喪われた和音を求めて〜プロデューサー日記〜

ドラマ、映画、演劇、Web+IT、アート、エコ、・・・創造性とは何か? 

心動かされたもののスクラップブックです。

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YouTubeでたまたま下記を見ていいなと思った。

 

□Father's Drive ~3人のドライバーの中からお父さんを見つけるという実験~

https://www.youtube.com/watch?v=HsjGBOCC1NA

 

こういう親子ものには、昔からすごく弱い。

 

ちなみにこういう企業CMでもありながら、泣ける系のやつというのは何か好きだ。

 

下記はその典型か。

 

□MOM'S 1ST BIRTHDAY ママも1歳、おめでとう。 | パンパース公式

https://www.youtube.com/watch?v=uu3iM1azTj4

 

テレビドラマなどのフィクションにないリアリティがポイントであることは間違いがないが、プロが作ったクオリティだからこそというのは間違いがない。

 

ちなみに、これまでブログで取り上げたものでリンクが生きているものを中心にいくつか抜粋してみる。

 

□対立関係の続くインドとパキスタンの国民がコカ・コーラ社のキャンペーンで笑顔に

http://rocketnews24.com/2013/05/23/331250/

 

□彼氏にフラれた美女が涙を流しながら化粧をする!その一部始終が撮られた動画が話題に

https://goo.gl/Bw3DAg

 

□赤信号が楽しくなる!「踊る信号機」のアイデアが面白い

http://tabi-labo.com/46684/dancing-traffic-light/

 

□2014-05-12 後進国の『汚い水』が1ドルで買える自動販売機

http://ameblo.jp/yasuhito19751214/entry-11848670654.html

 

□英語を勉強したい若者と、誰かと話したいアメリカの高齢者をネットでつないだプロジェクト

http://ameblo.jp/yasuhito19751214/entry-11849476137.html

 

□Muse: Exogenesis Symphony Part III

https://www.youtube.com/watch?v=JXcV6dOMUZs

 

□次を左折です。左折です。左折です。左折です。次を左折です。(アート)

http://www.gizmodo.jp/2010/07/post_7288.html

 

□Real Time - preview Grandfather Clock - Maarten Baas 

http://www.youtube.com/watch?v=aYD-CDMhnmI&feature=fvsr

 

□『オオカミとブタ。Stop motion with wolf and pig. 』

http://www.youtube.com/watch?v=rmkLlVzUBn4

 

□おもしろ動画「レゴでコマ撮りしてみた」

http://ameblo.jp/yasuhito19751214/entry-10526643288.html

 

□Free Hugs Campaign - Official Page (music by Sick Puppies.net )

https://youtu.be/vr3x_RRJdd4

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『法のデザイン』(水野祐 著)を読んだ。

 

□オフィシャルWeb

http://filmart.co.jp/books/society/business/legaldesign/

 

こういう本を読んだ感想として、あまり伝わらないことを覚悟して言えば、かなりぐっと来た。

 

下記は本の中から印象に残った言葉の抜粋だ。

 

□『法のデザイン』(水野祐 著)から印象に残った言葉

http://ameblo.jp/yasuhito19751214/entry-12259406764.html

 

もしかしたら一般的にはこの本は、一人の弁護士が法やアーキテクチャといった視点から、あるいはデジタルへの移行という情報化社会を背景に、音楽やアートから、果ては経済や政治まで、横断的に未来を語っている本として感銘を読むものに与えるだろう。

 

いやそれは間違いがないことなのだが、個人的には、情報や分析といったレイヤーではなく、もっと深い層で彼が思うこと、その誠実な人間性に心打たれたような気がする。

 

数回食事を共にし、かろうじて「友人」と言えるぐらいの仲でしかないし、もしかしたら正しい解釈ではなくて、僕自身の好みに引き寄せた感想なだけかもしれないが、以下もう少しだけ書かせてもらう。

 

水野祐は弁護士らしからぬ風貌(長髪なのもあるが、ミュージシャンやアーティストと紹介された方が納得いく感じ)で、誰に対しても気さくでお固い感じがない。

 

いつも屈託のない笑顔で、ポジティブに毎日を楽しく生きているように見られがちではないかと思うが、彼の眼にはどこか今の社会に対する憂いみたいなものが同居している気がする。

 

あえて決めつければ、僕にはその両方ともが激しく拮抗しているような気がしてしまうのだ。

 

それは「法のデザイン」によって、フェアでより豊かな社会をつくりたいという思いと、そういうアプローチによって取りこぼすもの、それどころかスポイルしていくものを危惧する思いが両方あるという風にも置き換えられる。

 

それはまさに「矛盾」とも呼べる状況だと思うし、そこをどう乗り越えていくかなのだが、彼がしきりに使う「空白」という言葉は僕も好きな言葉で、その鍵を握っている概念かもしれない。

 

□「周辺の空白」について

http://ameblo.jp/yasuhito19751214/entry-12249747451.html

 

システムや論理では取りこぼす「豊かな空白」があって、水野祐はそういうものを信じ、そういったところから生まれる「アート」を心から愛している、そんな思いが本を読みながら伝わってきた。

 

そして、そんな創造性が花開く世界を、水野祐という人間は諦めないし、決して逃げない。

 

彼がこの本の中で書いているのは、せめぎ合う現実と法、創造性と経済性の境界線の話ではなく、もっと根源的な「自由」や「平等」の話だという気がする。更に言えばそこに向かう「勇気」の話だ。

 

確かに、システムをデザインすることで解決できること、改善していかなければいけないことはたくさんある。

 

例えば「禁止権」を中心とした著作権制度から「報酬請求権」を中心とした著作権制度にリフォームするとか、よりフェアな「富の再分配」システムというのは、当然取り組んでいく必要がある。

 

しかし、水野祐の思いは、上から目線で「あるべき姿」を語っているのではない。

 

現実を生きる我々に専門家の立場からエールを投げる。情熱だけで立ち向かえない世の中で、それでも不器用なアーティストに知恵と勇気を与えようと奮闘する。

 

オープンとクローズドのバランスを考えろと繰り返し、本当にかっこいいものを生み出し続けるためにも「賢くなれ!」、彼はそう叫んでいる気がする。

 

そんなことを考える時に思い出すのは下記の言葉だ。

 

「正義無き力は無能なり、力なき正義も無能なり」by 大山倍達

 

正義とは何か?自由とは何か?

 

今度会った時に、彼にあらためて尋ねてみたい。

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稲葉俊郎さんが、儀式や物語の起源について語っていた。

 

□一条真也『儀式論』

https://www.toshiroinaba.com/single-post/2017/03/27/%E4%B8%80%E6%9D%A1%E7%9C%9F%E4%B9%9F%E3%80%8E%E5%84%80%E5%BC%8F%E8%AB%96%E3%80%8F

———————————————

 

ドラマや儀式という「かたち」が与えられることで、心はその「かたち」に収まっていく。

それこそがドラマや演劇や儀式の力であり、「物語」の力。 

すべての儀式には、そうした「かたち」を与えることで、不安定な心(コロコロと不安定なことからココロという名前になったと聞いた覚えもある)を安定化させる働きがあるのだろう。

 

———————————————

 

そもそも、人間は「物語化」することで、過去から未来に行動を繋げることで生存確率を高めている気がする。

 

それは「物語化」することで未来予測性の精度を挙げているというか、「型」に落とし込むことで未来が予測しやすくなっている一面が、非常に有効だったのではないかと思うのだ。

 

また古代から、儀式化、物語化することで、「理不尽な不幸」を乗り越えようとしていたのは間違いがない。

 

「意識」の役割が、知覚によって生じた「矛盾」を解決するためだとしたなら、「物語」の力は、もう少し最小公倍数的にマスに向かってどこまで「月並みな幸せ」が可能かを模索している結果なのだろう。

 

「個」と「全体」、そのどちらが優先されるべきかは、当然答えが出せないが、少なくとも「物語」、そしてそこから身体性を加えた「儀式」に安定化させる力があったのはとても自然なことである。

 

「儀式」や「祭り」といった身体的な角度から、その「型」を学ぶことにはとても意義がある気がするし、そこを追求することで人体の内側に行ける可能性がある。

 

「魂」や「幽玄的な何か」というのは、そういうステップをくぐらないと浮き彫りにならない気もしていて、ボク個人としても、様々な接点を持てるように「物語の型」に関してはリサーチを続けていきたいと思っています。

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ミステリー・ザ・サード『一二三発見伝』という演劇(イベント?)を観に行った

http://www.epin.co.jp/m3/2017/

 

先日見た「地下空港」の『サファリング・ザ・ナイト』と同じ観客参加型の演劇だが、

 

□舞台芸術集団「地下空港」『サファリング・ザ・ナイト』の感想

http://ameblo.jp/yasuhito19751214/entry-12254936978.html

 

こちらは、分かりやすく「犯人探しゲーム」のような作りになっていて楽しみやすい。

 

16:30に始まって、終わったのは20:30過ぎだったが、トータルで4時間の公演だが、あっという間だった。

 

途中は外に出て代々木上原の街を歩きながら、実際にあるお店などに立ち寄って、そこで話を聞いたりとすごく凝っている。

 

途中食事タイムなどもあって、詳しくは書かないがとても上手に構成されていて見事だった。

 

面白いと思うのは、与えられた情報を自分なりに整理していく時、自然と自分の思う仮説に引き寄せて、自分に都合良い情報は大切に、都合の良くない情報は頭の隅に追いやるということ。これはみんなそうだと思う。

 

いったんそうかもしれないという仮説を思いつくと、それを裏付けるために、情報を都合よく当てはめていき、自分の推理が正しいに違いないと思い込む。人間にはそういう修正があるのだろう。

 

そして、最後の解き明かしパートを見ながら、上手に間違った方向に自分が誘導されたことに気づき、やられた!と思う仕掛けだ。

 

真に優秀なミステリーは、まったく答えが想像できないということではなく、間違った方向へ見事に導かれてしまい、あたかもみんなにそれが正しいと思わせつつ、そこにはそれが成立しない条件もきちんと提示されている、みたいな感じなのだろうなと思った。

 

とにかく面白かったです。

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□『法のデザイン』(水野祐 著)

https://www.amazon.co.jp/dp/4845916053

 

からの抜粋。

()つきのページは引用ではなく要約(あるいは固有名詞)的な抜粋

 

7

大切なことは、ルールは時代とともに変わっていく/変わっていくべきという認識と、ルールを「超えて」いくというマインドである。ルールを超えていくことは、ルールを破ることを意味しない。ルールがどうあるべきかということを主体的に考えて、ルールに関わり続けていくことを意味する。ルールを最大限自分寄りに活かすことは知性の証明に他ならない。

 

8

社会にこれまでにない、新しい価値を実装せんとするイノベーターは、いつの時代も孤独なものである。本書はそのような、さまざまな分野に潜在するハードコアたちに向けて書かれている。本書を通して、法を主体的に捉えることができる人が一人でも増え、社会に「リーガルデザイン・マインド」が醸成されていくことを期待している。

 

11

現実と法の乖離は、法律や契約の文言の解釈に、いわゆる「グレーゾーン」と呼ばれる「ゆらぎ」をもたらす。現代は、現実と法の乖離、グレーゾーンの解釈がもっとも難しい時代であり、おもしろい時代だということでできるだろう。

 

14

創造性やイノベーションを促進または加速するための潤滑油のように法を捉え、そのような視点で上手に設計することはできないだろうか。

 

(14)

アーキテクチャ:物理的、技術的な環境

 

15

米国の法学者ローレンス・レッシグは主著『CODE』のなかで、人間の行動や社会秩序を規制する要素を「規範・慣習」「法律」「市場」に加えて「アーキテクチャ(あるいはコード)」という概念を使って整理した

 

18

アーキテクチャの特徴は「いちいち価値観やルールを内面化する必要がない」「人を無意識のうちに操作できる」

 

19

情報化社会においては、アーキテクチャによる制度設計と法による精度設計、特に多様性、柔軟性を内包した法(ここでは法律よりも柔軟さを有する契約が大きな役割を果たす)による制度設計とのグラデーションのある、複合的な設計と協働により組み立てられていく必要がある。

 

20

コモンズという「余白」

 

20

創造性やイノベーションの本質は、文化人類学者レヴィ・ストロースが言うところの「ブリコラージュ」(相互に異様で異質な物事が出会うことで新しい「構造」が生まれるという意味)にあり、創造性やイノベーションの非予定調和的な性質は体系化に馴染みづらいと私は考えている。一方で、創造性やイノベーションが生まれやすい、確立を高くする環境や土壌を創出することは可能である。

 

21

コモンズは、他分野からの参入障壁を破壊し、価格や品質をコモディティ化することで、その分野の境界を融解し、創造性やイノベーションを促進するのである。

 

25

安全性・信頼性という価値と創造性・イノベーションの促進という価値の利益衡量やトレードオフの関係は、現在さまざまな場面で振り子のように、形を変えて立ち現れる。

 

33

私の個人的見解としては、あらゆる情報がオープンになるべきとは考えていない。デジタル時代においては、ハードウェアとソフトウェア、アナログとデジタルの境界が融解し、曖昧になり、複雑化していっる。そのような時代にあって、3Dプリンターのような新しい技術と知的財産権の関係性や、オープンとクローズド(権利保護)のどちらが当該情報にとってよいのか、どちらが社会にとってメリットがあるのか、オープンとクローズドの両者のバランスをいかに図るのか、その見極めがますます重要になってきている。

 

39

法律によるコモンズの確保という観点から、もう一つ私が適切だと考えるのは、著作権制度を抜本的にリフォームするというものである。その一つは、「禁止権」を中心とした著作権制度から「報酬請求権」を中心とした著作権制度にリフォームするものである。

 

46

高度情報化社会は、「法の遅れ」を前提として、有史以来もっとも現実と法律の乖離が大きい時代であり、また、私たちが日々交わす利用規約を含む契約が大量化・複雑化している。そのようななかで、創造性やイノベーションの源泉である「余白」=コモンズをいかに法やアーキテクチャの設計や協働を通じて確保することが重要なのかについて述べてきた。

 

47

このような情報化社会において、法律や契約を私たち私人の側から主体的にデザイン(設計)するという視点が重要になる。「リーガルデザイン(法のデザイン)」とは、法の機能を単に規制として捉えるのではなく、物事や社会を促進・ドライブしていくための「潤滑油」のようなものとして捉える考え方である。

 

59

私たちはそろそろ、「法令遵守」に代わる新しいコンプライアンスの訳語を発明する必要がある。その新しい訳語は、リーガルデザインの概念とも相似するのではないだろうか。

 

80

短期的な視点に基づく著作権の過剰な強化は、一部の権利者を利することはあっても、音楽文化を衰退させ、著作権法の目的である「文化の発展」に反する結果を招来することはすでに自明である。

 

83

そもそも、音楽に限らず、なんらかの創作的行為がゼロから何を生み出すものだという前提に、私は懐疑的である。クラシック音楽ですら、楽譜というソースを後の解釈者が各々に翻案していくという二次創作の文化である。

 

(89)

「Musicity」

その場所に行けば無料でその場所に因んだ音楽をストリーミングで聴くことができる。

 

(97)

ブライアン・イーノ「Reflection」二度と同じ音楽は流れない

 

99

この〔音楽に関する権利の帰属や収益の配分に関する〕見直しは、それぞれ実は、文化的な価値がどう作られるのか、異なる文化的な価値がどこからくるとわれわれが考えているのか、異なる文化的な価値の相互関係はどういうものなのかということに関する、新しい見方なのである。だからこれらは最終的には、「オレはいくらもらえるの?」というつまらない問いではないのだ。ーブライアン・イーノ「音楽の共有」

 

101

音楽を「所有」という概念や「聴く」という行為から解き放つこと。音楽の送り手と受け手の境界が曖昧になり、音楽が都市、空有感、そして生活により溶け合っていくこと。非常に抽象的だが、そのように「音」をより広い意味で「楽」しむことの先に、より豊かな音楽文化が広がっているのではないか。

 

(106)

YouTubeではコンテンツIDという機能があり、著作権者は自身のコンテンツを登録することによって、違法アップロードがあった場合は通知を受け取れるのだが面白いのは、その際の選択として「削除」と「黙認」の他に、動画に広告を表示して自らの収益にすることができるという選択肢があるということだ。

 

(108)

初音ミクはイラスト部分はオープン化されているが、ボーカロイドとしての音声ソフトウェア部分は、しっかり権利保護されたプロプライエタリなソフトウェアで、そこでマネタイズがされている。

 

114

インターネットにおけるパロディやUGCの隆盛の果てに、「放置」または「黙認」モデルが定着するのか、ライセンス契約モデルが増えていくのか、はたまた日本においてはパロディに関する法改正やフェアユース規定が導入されることがあるのか。個人的には、コンテンツIDやブロックチェーン技術など、技術的なアーキテクチャが発達していけば、アーキテクチャとの協働を前提として、ライセンス契約モデルがスタンダード化していくと予想する。

 

(123)

コミケでの「当日版権システム」。これは、フィギュアや模型などの展示即売会に合わせて、時間、場所等を限定した、簡易な著作権、商標権、商品化権などのライセンス制度である。

 

(124)

いとうせいこう『親愛なる』

読者によって内容を変えるパーソナライズ小説

 

142

フランスでは、いわゆる「追求権」という権利が法律上認められている。追求権とは、オークションあるいは仲介者を介して行われる取引において支払われた金額の一部を美術作品の著作者が受け取ることができる譲渡不能かつ放棄不能な経済的な権利のことをいう。

 

(147)

「Startbahn」ネット時代におけるアートの統合型プラットフォーム

 

150

アーキテクチャに対抗するための「余白」としてのフェアユース

 

162

戦前のドイツや明治時代の日本においては、写真の権利が被写体に帰属する法律が制定されていたことがあったという。

 

(167)

ゲルハルト・リヒター 『Betty』

 

(170)

ダグ・リカード『A New American Picture』

 

(174)

新津保健秀『\風景』

 

219

ファストファッションはファッションにおけるフリーカルチャーの恩恵をユーザーやコミュニティに市場に還元する意思とその仕組みがないことこそが問題なのではないか。

 

238

二次利用を許すことは鑑賞者・利用者の「エンゲージメント」を高めることにつながる。「エンゲージメント」とは、本来「約束」とか「従事・雇用」を意味する語であるが、インターネット上のサービスやコミュニティにおいては「愛着」や「共感」といった意味で使われる。

 

242

西洋音楽はなぜ楽譜という形で伝承されるのか。演劇はなぜ戯曲という形で残されるのか。日本舞踊の伝達方法が口承で行われるのはなぜか。これらはあえて偶然に他分野からの混入の「余白」を残すためのチャンス・オペレーションなのではないか。

 

(249)

コカ・コーラの成分配合やGoogl検索のアルゴリズムは特許を取らず秘匿するという戦略がとられている。

 

(333)

鈴木健「なめらかな社会」

 

334

人々の生活や暮らしは円滑に、スムーズに進むかもしれないが、そのような「ゆらぎ」「余白」の少ない(少なくなりやすい)社会が人間にとって幸せな社会なのかわからない(もちろん人間にとって幸せなのかはもはや重要ではないかもしれないが)。「なめらかな社会」における余白の確保のために、アーキテクチャを柔軟に設計することや、柔軟性を確保しやすいアーキテクチャを法律や契約により実現できるよう制度設計するなど、法律や契約を、アーキテクチャとの絶え間ない行き来とバランスのなかで柔軟に設計し、解釈・運用していくことがこれまで以上に重要になるように思われる。

 

338

「アート」や「クリエイティブ」はたまた「カルチャー」といった言葉を発した瞬間に、何か特別なことのように人々の関心が離れていく瞬間を数多く目撃してきた。本書は、デザイン思考を持ち込むことにより法に潜むポジティブな側面を炙り出すことを第一の目的としているが、私のなかで通底するもう一つのテーマは、文化がいかに経済と地続きであり、有用かつ不可欠な視点であるのか、ということを法的な視点から提示するという試みであった。これは控えめに言っても深淵なテーマであるため、本書における私の取り組みもおそらく失敗しているだろうが、私はこのトライを続けていくのだと思う。

 

□オフィシャルWeb(フィルムアート社)

http://filmart.co.jp/books/society/business/legaldesign/

 

□著者ブログ

http://tasukumizuno.hatenablog.com/entry/2017/02/20/070000

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甲冑を着た武士さながら馬に乗り、花火と共に打ち上げられた旗を争奪する「神旗争奪戦」で全国に名を馳せる「野馬追祭り」。

 

この国の重要無形文化財にも指定される「野馬追祭り」は千年の歴史をもち、その期限は平将門が野馬を敵にみたてて戦いの演習を行ったことにあると言われている(承平年間のころ 西暦932年~937年)。

 

そのように軍事訓練として野馬追はスタートし「千年の間、野馬追を通じて、相馬の人たちは今も武士道的な気質を受け継いでいる」という解説をされる事もある。

事実、江戸時代、相馬氏が治める中村藩の北には強国・伊達藩があり、そこからの強襲に備え、野馬追祭りというお祭り仕立ての中で、軍事訓練を続けてきたのは事実かもしれない。

 

しかし、実は歴史を紐解くと「野馬追」の起こりはそうではなかったという説もある。

 

歴史文献の中で、野馬追について最古の確認がされているのは、慶長二年(1597年)、中村藩主・相馬義胤が城下で野馬追を行ったという事実だ。

 

場所は今の南相馬市「原町」の辺り。原町という名の通り、当時そこは広大な原っぱであり、そこに「野馬追原」という牧場があった。その大きさは現在の「雲雀ヶ原催事場」のおよそ100倍。その広大な牧場は、と言っても広大な原っぱの周りが馬が逃げないような土手で囲まれていただけのものなのだが、そこにたくさんの野生の馬が飼われていたのである。

 

そして年に一度、その野生の馬(つまり野馬)を小高神社まで追いたて、そこで「神馬」として神に奉納するというのが、この野馬追の最初の姿だったと言われている。

馬を奉納するといっても、殺していけにえにするわけではなく、野生の馬を境内まで追い立てた後、最後には素手で捕まえ、神の前に馬を引いて連れてくる、つまり野生の馬が大人しく神の前に連れてこられることで「奉納」が達成されているというこである。

 

この馬を奉納し、神に願うという行為は、実は日本人にとってはとても馴染みの深い行為である。

 

それはすなわち「絵馬をする」という行為に他ならない。

 

古くから、馬は神の乗り物と考えられ、奈良時代には馬を奉納するという儀式が始まっていたと言われている。南相馬の野馬追は、そういった儀式がより大規模なものとして受け継がれたものであったのだ。

 

その一連の流れは下記屏風にも描かれている。

 

画面上部にお殿様がいて指揮を取り、右から左へと野間を追い立てる姿が描かれている

 

 

右側から追い立てられた野間は海水で清められ、左側の小高神社で捕まえられ奉納される。
 

上部の屏風にもにあるように、殿様の前で家来の武士達が、馬を追い立てる様は、確かに現在の「神旗争奪戦」の様子に近い。


この野馬追原にやってくる大名行列も、そこで野馬を追う姿も、最後に素手で馬を捕まえ奉納する「野間懸(のまがけ)」も確かにその原型がある。
 

そして、この一連の儀式の最後に馬を奉納して、当時何が神に願われていたのかと言えば、「領内の平和と民の健康」というごく自然な願いだったのである。


もしかしたら、野生の馬を捕まえるという行為には、自然に対する脅威を克服したいという願いもあったかもしれないし、自然と共生し、豊作であるようにという願いが、あえて広大な原っぱで馬を放し飼いするという所に繋がっている可能性はある。


ともかく、様々なお祭りや神事がそうであるように、その根っこには、切実な平和と繁栄を願う心があったのは間違いがない。
 

そして、長い年月を経て、この野馬追は、どのようにして、今の祭りの姿に変わっていったのか。


相馬義胤によって始められてから270年あまりが経ち、時は江戸時代を経て、明治時代になった。時代は大きく変わり、廃藩置県と共に中村藩は消滅する。その際に、放たれていた馬はすべて国に没収され軍事的利用などに回された。
 

それによって、野生の馬を追い立てるという行事はできなくなった。その野生の馬の代わりが現在の「神旗」なのである。野生の馬を追い立てるという行事は、打ち上げた旗を争奪するということに代わり、その舞台も広大な土地から縮小して、今の「雲雀ヶ原催事場」となった。
 

小高神社まで馬を追い立てるという行事はなくなったが、かつての一連の行事の最終段階、つまり小高神社の境内にて、馬を捕まえて神に奉納するという「野馬懸」部分は現在も行われているということなのだ。
 

その「野馬懸」でさえ、現在では素手で馬を捕まえるというアトラクション的な部分が喝采を浴びる要素として大きいが、本来は神に馬を奉納するという「神事」である。
 

そして、今では祭りのメインイベントとされている「神旗争奪戦」は、そこに至る前段階の行事でしかなかったものが、さながら戦国絵巻物のような派手な甲冑戦が観光行事として多くの人に愛されるようになったのは、この150年くらいのことなのである。
 

「平将門が野馬を敵にみたてて戦いの演習を行った」という起源説も、この行事が受け継がれていく中で、伝説化していくようにつけられたエピソードとも言われるが、観光行事としてPRする際に、そのようなエピソード、そして「千年を越える」というフレーズはとても有効であったため、それゆえ強化されていった可能性もあるだろう。
 

また、甲冑競馬や神旗争奪戦が、南相馬市民が年に一度、みなで楽しむお祭りとしての側面は全く否定されるものではない。
 

多くの神事やお祭りがそうであるように、最初のならわしから長く続けられる中で、その形や意味合いが変わっていくというのは多くみられることであり、お祭り的側面のおかげで、今日のように多くの人に見られる行事として残り続けているのは事実であろう。
 

しかし、市民同士がライバルでさながら戦国時代の武士のように争って馬を走らせたり、旗を取り合うという行為が、実は、そもそも「みんなが幸せのために一致団結して神に馬を奉納するため」の行事だったという事実はとても大きな意味を持っているのではないだろうか。
 

かつての中村藩の領土は現在の野馬追に関わる市町村とおよそ同じである。
 

 

そしてこの中にあの「福島第一原発」もある(福島第一原子力発電所は上記の大熊町・双葉町にまたがる形で存在する)。

 

つまり、かつて野馬追によって、皆の幸せが願われた共同体が、震災によって大きな被害を被り、その完全な解決が到底見通せない状態にあると言える。

 

未曾有の混乱は、例えば避難するしない、あるいは保証金の額の違いによって、不幸にも市民を分断してしまうことすらあった。

 

そんな中、あらためて「野馬追」の意味を考え、その原点に立ち返る中で「野馬追」が受け継がれていくとしたら・・・、いやまさにそういった精神が受け継がれていくことこそが求められているのではないだろうか。

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昨日の村上春樹ナイトで、稲葉俊郎さんが村上春樹作品にまつわるレコード(とレコードプレイヤー)を持ってきてくれて大変盛り上がった。

 

なんかその感じが良かったので、思わレコードプレイヤーを衝動買いしてしまった。

 

 

分かりにくいかもしれないが、蓋を閉じるとバックのようになっていて、なんと充電電池で外でも聞けるのだ!

 

□ ION Audio Vinyl Motion レコードプレーヤー スーツケース型

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00WG3OXRA/

 

そして渋谷のディスクユニオンに行って一枚だけレコードも買ってきた。

 

最初はクラシックでも買おうと思った。

 

もっと正直言えば、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」を聞きながら、『騎士団長殺し』を読むというベタなことがやってみたかったのだが、渋谷のディスクユニオンにはクラシックはなかった。

 

そんなに音楽に詳しいわけでもなく、でも何か聞きたかったので、いそいそと30分狭い店内を何かに出会わないかとあるき回った結果買ったのが、ブライアン・イーノの「MUSIC FOR FILMS」だ。

 

ブライアン・イーノは、ちょっと前に聞いた「Fulless of Wind」という曲が印象的だったのと、なんとなくレコードで聞くには、抽象度が高いものの方がいい気がしたので、お店にあった何枚かの中からタイトルで決めた。

 

それにしてもレコードを買うというのは初めての体験だったが、楽しかった。

 

店内にいる僕以外の人は、みんな「音楽の達人」のように思えた。あのバババと高速でレコードを見ていく技を見よう見まねがやってみたら、ちょっと気持ちよかった。

 

ただ、レコードの良さというのは、正直まだ分かっていない。

 

これを書きながらも、ブライアン・イーノの音楽が鳴っていて、それ自体はなんだか心地よい。これだけ多くの人がレコードを愛しているのだから、きっと単なるノスタルジーではなく、純粋に”質の高さ”があるのだろう。

 

とはいえ、正直心のどこかで、スピーカー次第なんじゃないの?とか思っている自分もいて、利便性含めレコードにこだわり続けられるか自信はないが、でもこれが新しい扉の一つだったらどんなにいいかと期待はしている。

 

ちなみに稲葉俊郎さんは、CDとレコードの違いをはっきりと感じているという。CDの音は、その境界がはっきりしてどこか自分と混じり合わないが、アナログの音は自らの身体に染み入ってくるというような違いがあるそうだ。

 

CDはデジタルで記号として脳に作用するが、レコードはアナログで身体全体で聞くものなのだろう。そんな違いをはっきりと分かるようになりたいと切に願う。

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まだ一冊も読み終えていない私だが、本日下記の会で、村上春樹に関する色々な話をきけて大変有意義だった。

 

□村上春樹ナイトvol.00 「村上春樹の世界~『騎士団長殺し』発売記念」

http://peatix.com/event/247900

 

参加者それぞれに自分の嗜好、ポイントがあったとは思うが、個人的には『騎士団長殺し』の中にも、ダイレクトにその言葉が出て来るように「顕在意識と深層意識」といった部分が、自分の興味にも重なり、ポイントな気がした。

 

比喩的な言い回しの面白さが魅力の一つであることは間違いないと思うが、具体描写の後に、比喩的な文章で補足される際に、その文章が表現するものは幅も奥行きも、ぐんと深みを増す。

 

例えているものが、一つのものを指さず、時に読み手の状態や視点によって様々なものへと繋がり、それによって生まれる重層的な世界が何よりの醍醐味だというコトが少しわかった気がする。

 

冨倉由樹夫さんの「騎士団長殺し」の読み解き方も、あまりにも鮮やかだったが、人称であったり時勢であったり含め、村上春樹さん自身がどのよう変容していったか、そして今回の作品に込められた思いみたいなものを少しでも伺い知れたのはとても有意義だった。

 

今回、僕の興味を後押しして頂き会を支えてくれた稲葉俊郎さんと参加してくれた皆さんに感謝。

 

次回は「走ることについて語るときに僕の語ること」か「職業としての小説家」を課題本にやれたらと思っています。

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その昔、例えば高校生の時とか、勉強する時とかにヘッドホンで音楽を聴いていた気がするが、今は意外とそういうのができない。

 

もっと言うと、例えばゆっくり本を読もうと思うと、そこそこ賑やかな喫茶店では集中できなかったりする。

 

暇つぶしにスマホいじるとか、事務的なパソコン作業をやるとかなら、どんなにうるさい場所でも、ガンガン音楽聞きながらでも大丈夫なのだが、本を読んだり、何か考え事をしようとする時には環境を整えることが必要になってきた。

 

これは集中力がなくなってきたということなのだろうか。

 

個人的にはなんとなく逆というか、環境を整えることで、昔にはなかった集中にいけてる気がするのだが、果たしてどうなのか。

 

集中するには人それぞれの方法があるだろうし、もしかしたら求めるものは、”ないものねだり”的に循環するのかもしれない。

 

丁度今読んでいた村上春樹の『騎士団長殺し』にこんな文章が出てくる。

 

———————————————

 

静寂が私の目を覚ました。時としてそういうことが起こる。突然の物音がそれまで継続してきた静寂を断ち切って、人の目を覚まさせることがあり、突然の静寂がそれまで継続してきた物音を断ち切って、人の目を覚まさせることがある。

 

———————————————

 

喧騒が当たり前となれば、それ以下の情報は切り捨てられているのか、それとも「意識」上で切り捨てられているだけで、無意識、身体としてはそれらの音を受け取っているのか。

 

実は最近、なんとなく後者なのではないかという気がしてきた。

 

だからこそ、意識しないような部分でも自分の身体はちゃんと受け取っていると思って、目や耳に届くもの、口に入るもの、触れるものなど、できるだけ整えていこうと思ったりするのだが、実践にはほど遠い。

 

会社の机の上とか、自分の創造性を刺激するという意味で、見える範囲の”場”から整えていかなければと思いつつ、今日も色々積み重なり、いまかいまかと雪崩が起きそうになる。

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以前、撮影中に俳優の人たち「元気になる方法」を集中して聞いていた時期があった。

 

過酷な撮影の中で、体力的にも精神的にも大変な中、どうやって気力を保っているかが興味あったからだ。

 

その時に思ったのは、決まって共通するものがあるわけではないが、それぞれに何かしら「元気になる方法」を持っているような気がしたということ。

 

多かったのは、マッサージやエステに行くことと、美味しいものを食べることという回答だが、あとはアロマとか瞑想とかカラオケとか音楽とか乗馬とか、皆さんそれぞれに何かしら「元気になる方法」があって、それは「型」にも近いものがあるような気がした。

 

自分を良い状態に保つ方法として、大雑把に言えば、ストレスを避ける歩法というより、「回復の型」をもっていることの方が現実的な気がする。

 

体力、気力的にダメージを被らない方法を模索するよりは、ある程度のダメージは織り込み済みで、でもそこからの回復に関して、自分なりの「型」を持つ方が、便りになるのだろう。

 

その中で「美味しいものを食べる」あるいは「マッサージやエステに行く(人によってはジムや筋トレ)」という型は、脳みそというより、身体に大しての回復魔法で、そういうのがよりプラクティカルであるというのは何か分かる気もする。

 

普通の仕事に比べて、「からだ」が資本な人たちであるのも事実だが、それを差し引いても、「からだ」をケアすることで「気力」を補っているのはとても自然な気がしたのだ。

 

だからこそ、どんなに疲労困憊なときでも、確実に手に入れられる美味しい食事や、マッサージなどを複数選択肢として持っておくのはとても有効な知恵なのかもしれない。

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