新聞小説「春に散る」(12)沢木 耕太郎 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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作:沢木 耕太郎 挿絵:中田春彌 5/1(386)~6/11(426)

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感想
カムバックの試合で見事に勝ってしまった翔吾。

まあ、出来過ぎではあるけど、ハナシ的にはそうなるわな。
翔吾と父親の話す内容の微妙な違い。立場が違うとこうも感じ方が違うのか、とある意味実生活でも示唆となる。

翔吾がメインだが、ここへ来て佳菜子もチャンプの家に入り込んで来るとは。里見八犬伝にはまいったが、若い人の少々強引な思い込みも愛嬌か。
佳菜子が金を溜めたい理由は・・・・ヒ・ミ・ツね。

今まで張った伏線を回収しないと、なんて大きなお世話か。

 

あらすじ

竜が曳く車 1~41
広岡は令子に、翔吾が山越ハヤトとの一戦を承諾したと伝えた。

試合まであと5週間。5人で練習のスケジュールを決めた。

 

だが練習初日が雨。家の中でのトレーニングを決め、居間兼食堂を片付ける。「悪くないな」と藤原。
一通り4人相手のミット打ちが終わってから、佐瀬が鍔のない竹刀を持って来た。通称「三九」と言われる120cm程度のもの。かつてジムのトレーナーがこれと同じサイズの竹刀をトレーニングに使っていた。
佐瀬に促されてその使い方を翔吾に教える広岡。
リング上でのボクサーの前後の動きは、この竹刀の全長の範囲に収まる。途中の目印である柄の端、中結という革紐の結び目の位置に応じて相手との間合いの掴み方が変わって来る。

ジャブを受けながら翔吾に指示を出す広岡。そして中結から剣先までの間が、翔吾が戦う時の距離だと教える。

 

翌日から佐瀬の三段打ちの練習が始まった。まずノーステップで一段目のジャブを打ち、すぐに踏み込んで二段目、更に半歩前に出て三段目のジャブを打つ。この攻撃に相手が慣れると、相手は一発目のジャブで過剰反応してバランスを崩し、それがまた攻撃のきっかけになる。
三段打ちの極意は、打ち抜こうとするのではなく、引き剥がそうという意識でやること。

打つのではなく、引く。その秘密を広岡は初めて知った。
数日でその技をマスターした翔吾。

 

次の週からは藤原のインサイド・アッパー。ロープに追い詰められ、相手が嵩にかかって打ち込んで来た時、相手に隙が出来る。そこでロープの反動を利用して一歩踏み出してアッパーを突き上げる。
追い詰められた時、一歩前に出る事がパンチをかわす事になると教える藤原。

 

この日は星の料理で、翔吾も一緒に食べた。

相変わらず旺盛な食欲の翔吾。
佐瀬が翔吾にウェイトを聞いた。スーパーライト級のリミット63.5キロまであと1キロ落とせばいいと返す翔吾。藤原は、プロのボクサーは観客に勇気を見せる事で金を貰う職業だと言った。

翔吾が帰っても藤原は酒を飲み続けていた。一杯つきあう広岡。

俺は勇気がなかった、と語る藤原。広岡も知らなかったが、藤原には娘と息子がいた。娘が11、息子が7歳の時に離婚。

今後一切会わないでくれ、と元妻に言われ、逆らえなかった。

もう三十を超えているとのこと。堅気の生活をしている。

一つくらい、息子に教えてやりたかったと話す藤原。

一歩踏み出す勇気。

 

対山越戦の練習が始まった次の週に、広岡は翔吾を連れて真拳ジムを訪れ、移籍の礼を言わせた。

そして、スパーリングの相手を捜してくれる様頼む。
真拳ジム側が見つけてくれたのは城南ジムの藤田。

スーパーライト級の日本3位。
真拳ジムでのスパーリング当日、4人も様子を見に来ていた。
藤田とのスパーリングは、圧倒的に翔吾の方が強かった。

練習生たちも驚きの目でそれを見ている。ジムのホープ 大塚が広岡に、一年もブランクがあったとは思えないと話し掛けた。

2日目以降、藤田と翔吾の力量差は更に歴然とし始めた。
4週目に入り、長めのスパーリングに入ろうとした時、令子から、藤田が足を捻挫してスパーリングが出来なくなったとの連絡が入る。

だがそれは口実で、藤田が自信をなくしているのだという。
困ったという広岡に、令子がうちの大塚とやってみないかと提案。世界レベルの選手が相手なら願ってもない。

 

次のスパーリングの日、翔吾と大塚は6ラウンドのスパーリングを開始した。早いスピードで優勢を保つ大塚。翔吾も大塚のスピードに慣れていき、善戦した。5ラウンド目に入り、さすがに翔吾は疲れを見せ始める。大塚のフックでぐらつく翔吾。大塚はワン・ツーを放って追い込む。だがロープを背にした翔吾は大塚の動きをじっと見ていた。
大塚がフックを打とうとした瞬間、広岡と藤原はその意図を知り「打つな!」と叫んだが、その前に翔吾の右アッパーが大塚の顎を打ち抜いていた。倒れた大塚はしばらく動けなかった。

まだやれるという大塚を制して、スパーリングはそこで終了となった。シャワー室から出た大塚が広岡に話し掛ける。

ラッキーパンチだったという広岡に、アッパーにラッキーはないと返す大塚。僕も、広岡さんに教わりたかったと話す大塚。

 

ジムからの帰り道、藤原が翔吾に「誘ったな」と言い、誘っては駄目だと諭した。

不満そうな翔吾に、いざとなればあれがあると思うと試合運びが雑になると言い、それをするようになって俺は確実に弱くなったと言った。

 

試合当日、後楽園ホールは満員だった。広岡は万一異変が起きた時の事を考えて、セコンドは残りの3人に任せた。
そこにやって来た佳菜子。社長からの伝言で祝勝会の予約を決めてくれという。気が早いという藤原に「黒木君は勝ちます」ときっぱり言う佳菜子。

セミ・ファイナルも終わり、翔吾の試合の番が来た。翔吾らがリングに上がると、大音響の音楽と共に山越ハヤトが登場。

動画で見た時よりはるかに大きく見えた。

広岡は令子に促されてリング脇の椅子席に座った。
試合開始。いきなり攻撃して来た山越のパンチを危うくかわし、翔吾も戦闘モードに入った。藤田とはレベルが違い手強い相手。

1ラウンドが終わり佐瀬、星、藤原がセコンドとして対応しているのを見て「年寄りの冷や水!」

続いて「年寄りの死に水!」とのヤジ。

星は睨み付けたが、翔吾は笑いをこらえきれずに体を動かした。

笑ったおかげで緊張も解け、次第に翔吾のペースになって来た。

ラウンドを重ねるうち、翔吾は確実にポイントを重ねて行った。

だが山越のタフさは想像以上であり、ノックアウトはまず難しいと思われた。6ラウンドが終わった頃から翔吾がしきりに広岡の方を見る。7ラウンド途中でまた翔吾が広岡を見た。

何かの許可を求めている、と感じ、インサイド・アッパーを使いたがっていると理解する広岡。
8ラウンド開始の時、またこちらを見た翔吾に大きく頷く広岡。ラウンド後半で山越のフックを受けて吹っ飛ぶ翔吾。

一気に勝負を付けようと乱打を始める山越。とどめの一発を打ち込んで来た山越に、ロープの反動を利用して踏み込んだ翔吾は完璧なアッパーを打ち込んだ。打ち抜かれた山越は動かない。

 

控室に戻ると、新聞や雑誌の記者が押し寄せて来た。

慣れた様子で対応している翔吾。
広岡が通路でぼんやりしていると、年配の男性に話し掛けられた。名刺をもらって、先方が当時若手のライターだった事を思い出した。彼は、広岡がアメリカで成功していた事も知っていた。

ホールに戻ると佳菜子が待っていて、祝勝会に案内するという。

出口に向かう途中で似たような歳の男性に呼び止められた。

翔吾の父親だった。状況を察して先に行く佳菜子。
会うのは初めてではないと言う黒木は「ハザマショウイチ」と名乗った。羽佐間正一は、過去に広岡が戦ったボクサーの一人だった。6回戦に上がって最初の相手で、広岡が大差で勝った。
広岡に負けてからボクシングをきっぱりとやめ、当時働いていた町工場で続けて働いているうちに、その家の娘と結婚して婿養子に入った。それで黒田姓になった。

黒木の妻は40代で乳がんにより亡くなり、その後健康維持のためのボクシングをやろうと近くのジムに通った。

そこの女性インストラクターと親しくなり、妊娠させてしまった。歳の差が恥ずかしかったが急いで結婚し、そうして生まれたのが翔吾。

そのジムが後継者難を理由に廃業しようとしていたのを知り、譲り受けて今に至る。
幼少から非凡な才能を発揮していた翔吾だが、プロに転向して7戦目に勝利してから突然止めると言い出した。

その後の話は広岡の知っている翔吾と符合する。
息子を生き返らせてくれたと感謝する黒木に、本当にそうだろうか、と自問する広岡。

 

祝勝会場の居酒屋に行くと佳菜子が一人で待っていた。

続いて残りのメンバーが続々と到着。皆で生ビールで乾杯。

翔吾も許可を得て飲んだ。
「佳菜ちゃんの言った通り翔吾はノックアウトで勝った」と言う星の言葉を聞き、それでインサイド・アッパーを使いたかったのかと理解した広岡。次は星のボディ・フックだな、と言う藤原に、その前にやらなければならない事がある、と言う星。

 

あのパンチを効果的にするにはもっと体を鍛える必要がある。

星たちは当時港湾荷役のアルバイトもやっており、それが体幹をいつのまにか鍛えていた。今は二代目となっているその佐藤興業で翔吾を働かせてくれるよう令子に頼む広岡。
もしそこに通うとなると、翔吾の家からでは遠すぎる。

藤原が翔吾をチャンプの家に住まわせる事を提案。皆が賛成した。

そこに佳菜子が、私もチャンプの家に住みたいと言い出した。

部屋は1階の和室が空いてはいる。どうして?と聞く星に家賃が倹約出来るから、と答える佳菜子。貯金するという。

何のために?という問いに広岡は、以前彼女から聞いた言葉を思い出し「ヒ・ミ・ツなんだね」と収めた。

 

佳菜子はこうなると思っていたと話す。翔吾という名前。

里見八犬伝だと言う。広岡の名前、仁一の仁が里見八犬伝から付けられたと聞いた佳菜子はマンガでその物語を読んでいた。

広岡はが仁一で一、藤原が次郎で二、佐瀬は健三で三、星は奥さんが弘を弘志として四を与えたと言う。そして翔吾の五。

佳菜子は七ではなく、亡き父の旧制が六浦だったから六。

七と八がないと言う佐瀬に、星が真田会長の言っていた六頭の竜、と言い出した。古代中国では太陽は六頭の竜に曳かれた車「日車」に乗って昇るという。皆が曳く太陽は誰か、という星の問いに佳菜子が「会長です」。令子は零、〇だから。

望みは何かと星に問われて、世界チャンピオンをこのジムから出す事かも、と答える令子。父親の願いだった。
広岡は、このために自分が日本に帰って来たのかも知れないと思った。