新聞小説「春に散る」(4)沢木 耕太郎 | 私の備忘録(映画・TV・小説等のレビュー)

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作:沢木 耕太郎 挿絵:中田春彌 8/10(129)~9/17(165)

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感想
四天王の3人に順に逢い、皆人生に対してネガティブなイメージを持っている事を知る広岡。経済的には一番成功しているのが広岡。
彼が援助して3人を引き取り、同居する話に行く?それは話として侘しすぎる。
そんな時に「バニシング・ポイント」なんて言葉が出て来ると同年代として嬉しくなってしまう。

(そういえば、トップページに使っている割りに感想書いていない・・・・)
年寄りばかり出て来る中で、佳菜子がひとつの救い。彼女が今まで、映画館で映画を観たことがない、という謎に心惹かれる。

 

あらすじ

クロッシング(交差点)1~21
渋谷駅、ハチ公の前でぼんやり佳菜子を待つ広岡。

世話になったお礼にと食事を誘った際の待ち合わせ。

スマホで交差点の写真を撮っている白人青年に声をかけた。

渋谷のスクランブル・クロッシングは有名だと言う。

佳菜子の声に振り向く。食事の前に映画が観たいという。

映画の予告編の一つに広岡は心惹かれた。「老いた音楽家の館」というキーワード。
映画が終わって、二人はレストランに向かって歩いた。

そのレストランは令子に紹介してもらっていた。

 

広岡は藤原、佐瀬に会いに行った事を令子へ報告に行った。

消息を聞いて微笑む令子。そこにジムの希望の星、大塚の話。

ラスベガスで世界タイトルマッチが出来ることになったという。

相手は、広岡が以前キーウェストのTVで見た中西。
令子は続ける。どうしてもウチのジムから世界チャンピオンが出せなかった事に会長は悔しがったという。令子はその思いを継いで、1人でもいいから世界チャンピオンを出してから止めようと今まで続けて来た。
令子の息子はジムを継ぐ気はないという。

30過ぎて未婚、弁護士をしている。
令子から、大塚を見てくれないかと相談され驚く広岡。
話題を変えるためもあって、令子に若い女性と食事をする場所を尋ねた広岡。

 

レストランまでの道すがら、佳菜子が映画館で映画を観るのは初めてだったと聞き、驚く。

広岡でさえ冷たかった父親と行った映画の記憶がある。

だが深い事情を感じで「そうか」とだけ返した。
スーツが良く似合うと言う佳菜子。

紹介してくれた令子の事を考えて、既製服を買い求めていた。
食前酒の後、佳菜子が映画のストーリーを聞く。

「逃亡者」と「バニシング・ポイント」を足して二で割ったようなものだったが、ラストの記憶もなかった。

佳菜子は、広岡が何度も「居なくなった」と言う。

広岡は予告編の事を話し、佳菜子もそれを覚えていた。

その頃から広岡が「居なく」なったから。
元音楽家のための老人ホームがあるのなら、元ボクサーのための老人ホームがあってもいい。

四天王の面々の話をして、彼らを含めた数人が暮らせるところがないかと話す広岡。うちの社長に相談してみると返す佳菜子。

 

埠頭1~16
佐瀬のところへ訪問してしばらく経ってから、彼より封書が届く。中には葉書が一枚のみ。
星の家からの、米に対する礼状。文面から、星ではなく同居の女性からだというのは明らか。

住所には「小料理 まこと」と添えられていた。

 

手紙が届いて二日後、広岡はその住所の横浜に向かっていた。
店の引き戸にしばらく休業するとの貼り紙を見る。

住居のある二階に上ると「星 弘志 真琴」の表札。

声を掛けても返事はない。しばらく怒鳴った後で広岡はジム当時の星のニックネームを呼んだ「キッド!」
「キッドはいないか!」と再度呼んだ時、扉が開いた「仁!・・・・・」

 

促されて上る広岡。タンスの上に女性の写真と位牌、骨壷。

同居の女性は一ヶ月前に亡くなっていた。広岡は焼香を済ませた後、星にこの40年間の自分について、かいつまんで説明した。

座卓の上にはウィスキーのボトルとアイスペール。

昼間から飲んでいた。勧められ、貰おうか、と受ける広岡。
亡くなった女性、真琴とは5年前に入籍したという。

あいつに救ってもらったと話す星。

 

話の途中で強くドアを叩く音。

星が怒鳴りながらドアを開けると、スーツ姿の若い二人組。

立ち退き要求の話だった。

男らが去った後にいきさつを聞く広岡。

この店は真琴が一人で切り盛りしていた。

これから行くところがないと言う。
もし良かったら、と自分のところへ来ないかと提案する広岡。

またあの様な生活に戻るのはまっぴらだと返す星。

 

自分の携帯番号だけ教えて星の家を辞した広岡。少しの酒でほろ酔いになってしまい、横浜界隈を歩いてからにしようと思った。
そばを流れる川の標識に「大岡川」とある。ジムに居た頃、荷役会社のアルバイトで、この川のほとりを歩いたことがあった。
その当時の事を回想し始める広岡。