「せっかくこの世に生まれたのだから、世のため人のために尽くそう。」
私もそう思います。
でも、この世はなかなか厳しくて、自分が生き残っていくために他人を犠牲にする側面もあり、こういう言葉や考え方は「偽善者」だとか「嘘つき」と言われるかもしれないのですが、それでも、
人間は「地球全体のことを思うこと」ができる唯一の生きものです。
他の動物、植物にはそれはできません。
だからこそ、いんげんが価値ある存在として、世のため人のために一生懸命努力するという使命を果たすことが大切なのです。
人类是地球上唯一能够“全盘思考地球事物”的生命,其他的动物或植物皆无此能力。正因为如此,人类是具有特殊价值的存在,对人类而言,倾尽全力为世界的进化而努力,才是人类最重要的使命。
こんな風に思うことができれば、神や仏、天というかサムシンググレートというか人智を越えた存在も助けてやろうと思うでしょう。
心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん
天神様で有名な菅原道真の歌です。
心の力を良い方向に使いたいものですが、さて、中国語は、
“ 既然 生 而 为 人 , 那么 多少 也 应该 为 世界上 其他 的 人 尽 点 心力 吧 ! ”
“ Jìrán shēng ér wéi rén , nàme duōshao yě yīnggāi wèi shìjièshang qítā de rén jìn diǎn xīnlì ba ! ”
せっ‐かく【折角】
[副]
1 いろいろの困難を排して事をするさま。無理をして。苦労して。わざわざ。
「―来てくれたんだから、ゆっくりしていきなさい」「―のみやげを汽車の中に置き忘れた」
「―来てくれたんだから、ゆっくりしていきなさい」「―のみやげを汽車の中に置き忘れた」
2 (「折角の」の形で、体言に続けて)滅多に得られない、恵まれた状況を大切に思う気持ちを表す。
「―の休日だから、どこにも出かけたくない」「―の好機を逃がしてしまった」
「―の休日だから、どこにも出かけたくない」「―の好機を逃がしてしまった」
3 全力を傾けて事をするさま。つとめて。せいぜい。手紙文などで用いる。
「先生のお言葉を忘れずに、―勉学に励む覚悟です」
「先生のお言葉を忘れずに、―勉学に励む覚悟です」
中国語では、
【名・副】
(1)特意,好(不)容易,煞费苦心。(わざわざ骨を折ること。力を尽くすこと。)
せっかくの努力が無駄になる。/煞费苦心的努力归于泡影。
せっかくだが断ります。/对不起,您的美意不能接受。
せっかくの運動会も雨でつぶれた。/好容易盼到的运动会让雨给搅了。
せっかくおいでくださったのに。/蒙您特意光临,可是……。
せっかく勉強したのに病気で試験が受けられなかった。/好容易用了半天功,偏偏得了病,没能参加考试。
せっかくですがお酒はだめなのです。/有违您的好意,我不会喝酒。
折角用意したのですから,お使いください。/这是特意给您准备的,请用吧。
(2)好好地,拼命地。(せいぜい。十分に気をつけて。)
せっかく勉強したまえ。/好好地用功吧。
(3)珍贵,难得,好(不)容易。(めったにないこと。大切、特別。)
せっかくの休みがつぶれてしまった。/难得的一个假期被冲掉了
せっかくの連休なんだからどこかへ行きましょうよ。/好不容易有个连休,到哪儿去玩玩吧
せっかくの週末だったが、台風でどこにもいけなかった。/宝贵的周末,因为台风哪儿也没去成
せっかくの機会を逃して残念だった。/丢掉了一个珍贵的机会,真遗憾。
“好不容易”
ぐらいかと思うと、“既然”が選ばれています。
これは;
《接続詞》…したからには。…である以上。
複文の先行する文に用い、すでに実現したかもしくは確実となった前提を述べ、後述する文で前提に基づく結論を出す。
多く“就,也,还”などと呼応する。
とありますが、なかなか出てこない表現だと思います。
「この世に生まれたのだから」
これを、
“生而为人”
ですが、これは太宰治の二十世紀旗手の冒頭の「生まれて、すみません。」が有名でこの中国語訳“生而为人,对不起。”から来ている?
中国語は動詞が重要(←くどい!!!)、そして動詞はどんどん連続して置かれる。
ただ、その置く順番は発生順。
ということで、
“生而为人”
は、「生まれて、そして人になる」。
生まれた時には人なのでほぼ同時ではありますが、順序からいうとやはり生まれるのが先になるのでしょう。
次の、
「世のため人のために尽くそう」
は、
“为世界、人类,尽力吧!”
でいいようなものでしょうが、中国語の表現はかなり詳しく描写しています。
先ず、
“那么”
「それなら」
です。そして、
“ 多少 也 应该 为 世界上 其他 的 人 尽 点 心力 吧 !”
テーマというかこの文の主人公は“人类”とか“我们”なのでしょうが省略されています。
“多少也”
は、「多少なりといえども」。
ちゃんと「多少」と“也”を表す「も」も入っています。
“应该”
は、「~べき」だと覚えておられるでしょうが、この言葉は注意が必要です。
自分以外の人間に対して、
“你 应该 ……”
というと、「おまえは…すべきだ!しなくてはならない!そんなこともわからないのか!」とかなりきつい表現になります。
(この表現で中国側からクレームが来たことがありました。)
ここでは自分が…すべきと言っているので「~べき」でいいのですが、このように中国語と日本語ではその表現が違うので安易に「=」するのは問題だと覚えておく必要があるでしょう。
「世のため人のために尽くそう」
は、
“为 世界上 其他 的 人 尽 点 心力 吧 !”
と翻訳されていますが、少し「?」ではありませんか?
「世界(上の)その他の人のために気苦労と骨折りをしよう!」となっていて、「世のため」と「人のため」がいっしょになってしまっています。
これは、
人間は世のため人のために貢献することができる。
であったように、
“人类 为 世界、为 人类 本身 作出 贡献。”
を参考に、
“为 世界、为 人类 本身 尽点 心力 吧!”
“好不容易”
ぐらいかと思うと、“既然”が選ばれています。
これは;
《接続詞》…したからには。…である以上。
複文の先行する文に用い、すでに実現したかもしくは確実となった前提を述べ、後述する文で前提に基づく結論を出す。
多く“就,也,还”などと呼応する。
とありますが、なかなか出てこない表現だと思います。
「この世に生まれたのだから」
これを、
“生而为人”
ですが、これは太宰治の二十世紀旗手の冒頭の「生まれて、すみません。」が有名でこの中国語訳“生而为人,对不起。”から来ている?
中国語は動詞が重要(←くどい!!!)、そして動詞はどんどん連続して置かれる。
ただ、その置く順番は発生順。
ということで、
“生而为人”
は、「生まれて、そして人になる」。
生まれた時には人なのでほぼ同時ではありますが、順序からいうとやはり生まれるのが先になるのでしょう。
次の、
「世のため人のために尽くそう」
は、
“为世界、人类,尽力吧!”
でいいようなものでしょうが、中国語の表現はかなり詳しく描写しています。
先ず、
“那么”
「それなら」
です。そして、
“ 多少 也 应该 为 世界上 其他 的 人 尽 点 心力 吧 !”
テーマというかこの文の主人公は“人类”とか“我们”なのでしょうが省略されています。
“多少也”
は、「多少なりといえども」。
ちゃんと「多少」と“也”を表す「も」も入っています。
“应该”
は、「~べき」だと覚えておられるでしょうが、この言葉は注意が必要です。
自分以外の人間に対して、
“你 应该 ……”
というと、「おまえは…すべきだ!しなくてはならない!そんなこともわからないのか!」とかなりきつい表現になります。
(この表現で中国側からクレームが来たことがありました。)
ここでは自分が…すべきと言っているので「~べき」でいいのですが、このように中国語と日本語ではその表現が違うので安易に「=」するのは問題だと覚えておく必要があるでしょう。
「世のため人のために尽くそう」
は、
“为 世界上 其他 的 人 尽 点 心力 吧 !”
と翻訳されていますが、少し「?」ではありませんか?
「世界(上の)その他の人のために気苦労と骨折りをしよう!」となっていて、「世のため」と「人のため」がいっしょになってしまっています。
これは、
人間は世のため人のために貢献することができる。
であったように、
“人类 为 世界、为 人类 本身 作出 贡献。”
を参考に、
“为 世界、为 人类 本身 尽点 心力 吧!”
ではしっくりこないのでしょうか?
「世のため」
を探すと、
“舍身为国”
があり、これは、
“为国家牺牲自己的生命。”
「国のために自分の命を犠牲にする」
という意味ですし、
「人のために尽くす」
は、
“专门利人”
“舍己为人”
があるのですが、日本語でよく対になる「世のため人のため」はあまり見当たりません。
このあたりも中国語の表現と日本語の表現が違う。と言うことなのかもしれません。