夜話 1323 映画「二―チエの馬」 | 善知鳥吉左の八女夜話

善知鳥吉左の八女夜話

福岡県八女にまつわる歴史、人物伝などを書いていきます。


夜話 1323  映画「二―チエの馬 」

第61回ベルリン映画祭で銀熊賞・第84回米アカデミー賞の外国語映画賞を受賞したハンガリーの作品である

監督はタル・ベ―ラ 彼が製作した「サタン・タンゴ」「倫敦から来た男」などは観ていない DVDになっていないとも聞く                       
善知鳥吉左の八女夜話

この名作で寒々とした心境になり 身体も寒々となり再び風邪をひいた 

まさに心身ともにダウンされた 久しぶりの名画に接したせいである 

自ら映画狂を自認していたこの老人は[二―チエの馬」に圧倒された 


二―チエとは 学生時代 文庫本で接した虚無主義の哲学者という認識しかない                       

かれは馭者からムチ撃たれる馬を抱いて泣きくずれ 以来発狂した哲学者とか  

二―チエを狂わせたその馬らしい老馬が映画の全編をささえる

老人と娘のふたりの荒涼とした生活のかげに無言の老馬がいる 善知鳥吉左の八女夜話

監督があえて「二―チエの馬」と題したのは この物言わぬ老馬を主人公として描いたからだろう 


老人と娘は沈黙の生活をくりかえす 娘は朝起きて片腕の不自由な父に衣服を着せ靴をはかせる 

寝るとき娘は父の靴と 服を脱がせる その場面をエンエンと繰り返す会話はほとんどない 

無言のなかでのそのくりかえしが 過ぎ去る時の虚無を観るものにそくそくと訴える 

親娘と老いさらばえた一頭の馬 水さえ飲まぬ病む馬を娘は撫でることすらしない 目前にせまる死にあがらうことの善知鳥吉左の八女夜話無意味さを ふたりは毎日のくりかえしのなかで見る者に訴える

馬と彼らが住む石造の小屋が人生のすべてである 

朽ち果てんばかりの廃屋は住む者のすべてを表現している  

この映画はモノクロ 

さむざむとしたこの世の終末を預言する映画には色は不必要                          

新藤兼人の『裸の島』もモノクロの沈黙があった しかし「裸の島」には生への志向があった

双方とも「水」を求める生活がつづく 

『裸の島』は水を得る しかし『二―チエの馬』では水が断たれる

『二―チエの馬』には確実に迫りくる死の世界があるのみ
死を言葉や色彩で表現しないところが『二―チエの馬』と題したダル・べーラ監督の真意だろう :

汚れはてた現世の欺瞞を押し切るモノクロの虚無の世界のなんと現代的で美しいことよ

これほど完全な虚無的な映画を観たことはなかった 

世記の傑作といえる映画である