夜話 1321旭座人形芝居 その二
手もとに作者不詳の「鰐八座由来」がある
鰐八とは旧八女郡笠原村の一集落名 前夜話の「旭座」の前身の一座名を「鰐八座」と言った
学制令の実施された明治五年ころまでは 隣村には祭ごとに行う風流があって大いに賑わった 全国的に「浄瑠璃」が流行している時期でもあった 大衆の好みはやがて浪花節から今の演歌につづく
鰐八村には村落集団の伝統の催しがなく酒の座などでは 徳利を人形に見たてて動かし なにやら それらしき歌を添えてその場の楽しみとしていた
そのころ集落の二三人が浄瑠璃を覚えた
そこで ひょうたんや徳利を人形のかわりにして浄瑠璃に合わせて踊らせて座興にした
集落のものが次第に浄瑠璃に興味をもち始めた
明治廿四年 石崎健一の庭の広場に大工手づくりの人形に小川宗八の妻ヨシノの嫁入り晴れ着を着せ 初めて舞台をかけて人形をつかった これが鰐八での人形浄瑠璃の初めだったという
素人ながら仲々上手という評判がたった
翌年かねて熊本県山鹿に本物の人形があることを知った鰐八の村人は早速それらを買い入れた
素人造りの人形をそれに加えて熱心な稽古がつづくようになった
本業の農業を捨てるわけにはいかず 一座から脱落するものも出たが明治廿八年には大分の日田の一座の人形を買い入れたので稽古には益々熱が入った
そのころ日田の篠﨑竹次郎という名手の指導をうけ 太閤記などを演じるようになった
鰐八座の株は十二だったという
一座の者は農閑期に稽古を重ねた
やがて八女郡内はもちろん県外からも所望され興行に出かけるまでに上達した
明治四十年 もと座中の一員だった溝田虎四郎がハワイから帰国して 土産に旭日旗と大鷹が描かれた景気のいい幕を寄贈したので それからこの一座の名を「旭座」と改めたという
次第に上演演目も増えた
そのころ 各地にあった「座」を買収し旭座の人気は高まった
毎年各地で行われる豊年感謝祭などに切望され巡業に出るほどになった
戦後昭和二十二年三月福岡劇場での素人演劇大会に八女郡代表として出場し受賞するなどの成績を上げた
一座には座長はいない 座の運営は年齢・先輩の別なく民主的に運営されてきた
毎年一月二十日には「初光り」という正月祭を催し 座員一同 家族とともに喜びを分かち合い親睦を深めた
七月十五日には「翁渡」といつて住吉・春日・八幡の三明神の舞を奉納して 村人の健康を祈願する
本公演は十一月三日(祝)である
それらの年中行事は素朴であり まさに民俗芸能の有るべき姿を今日に伝えていると言えよう
今に伝わる上演外題
「傾城阿波鳴門」・「御所桜堀川夜討」・「絵本太閤記」・「鬼一法眼三略巻」・「壺坂観音霊験記」・「一谷嫩軍記」・「源平布引瀧」・「賎ケ嶽七本槍」・「神霊矢口渡」・「玉藻前旭袂」・「播州皿屋敷」・「朝顔日記」・「伽藍鏡」・「大江山」
(敬称略)
上(表題)・中の図(三番叟よは筑後市在の画家 友添泰典氏による