夜話 609 徴兵検査と成人式
祝日「成人の日」は昭和二十三年に制定。
しかし自治体が式典をやれという法律はない。
公的機関が式典らしいものを催すようになったのもその頃から。
ほとんど招待というやり方。
選挙権獲得狙っての発想の式典。
愚にもつかない政治屋の演説が続くのにげんなりした成人らが、時々反乱する。
反乱の心根こそ一人前になった証拠。
しかし「反乱」のやり方はへたくそ。成人になっていないことを反省すべし。
成人になったことを祝うのは家庭の仕事。
お頭つきのイワシ一尾で祝杯あげればいい。
他人に祝ってもらうのは、ゲスの根性。
だから二十歳にならなくても一家が認めて祝えばいい。
生計の助けになる家族の出現を祝えばいい。
成人式が始まったころ、式典の主催者は戦前の「徴兵検査」を例に挙げたものだつた。
自らの体験を得々としゃべって、戦後の成人の平和を語った。
国民の義務であった兵役義務の適非を検査する「徴兵検査」が拙らの成人式だった。
その経験のある首長はいま皆無ではなかろうか。昭和二年生まれの人までの経験ではなかろうか。
拙は経験がある。
敗戦の年が満二十歳。検査は数え歳の二十のとき。
だから昭和十九年の四月。拙は本籍地の旧八女郡公会堂で受けた。
軍人にかこまれ、越中ふんどしだけの姿での検査。
やがてふんどしも外せと命じられ、まさにすっ裸での検査。
昭和三年の陸軍省令による検査の内容には「性病検査の項目」のなかに、陰部検査、肛門検査も含まれている。
公会堂の板の間によつんばいにさせられた屈辱は忘れられない。
学友が我慢できずに失禁して、下士官からぶん殴られたのを記憶している。彼はそのご中国で戦死したと聞いた。
成人は屈辱から始まった。
検査の詳細は『フリー百貨店ウィキぺディア』をごらんあれ。
あえて拙の経験を語るのは、戦前戦中戦後の現在も、主催者が公機関にあることの危険性を強調したかったから。
やがて成人式が徴兵検査に代わる恐れは確実にあると思う。
祝ってやる側の格好よさを若者は自らのものとせよ。
招待する側にまわり、下らぬ美辞麗句を述べる役人ばらのうらを見抜け。
「成人は国のために死ね」と言われるな。
必要なら「死」は自ら選ぼう。それが成人になった証拠。
ふやけた一方的な式典にごまかされてはなるまい。
「成人したから酒とタバコは止める」といった豪傑がいたな。
アイツ頼もしい人物だったな。