民俗学者 柳田国男 『涕泣史談』③ | ドット模様のくつ底

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福祉的な目線から心の問題を考えています。



②でお伝えしました通り、

出版するにあたり「涕泣史談」と題された、
昭和15年ごろの柳田氏の講話では、
「泣く」ことに対し否定的になった時代であるということが
前提で語られていました。

そして、氏が多くの文献から推定するところ、
人が手放しでワアワアと泣くことをさも悪徳であるかのごとく
言い出したのは、

中世以後の変遷であろうということです。

やたらと泣くことは無反省であり、
「偉人豪傑は喜怒色に表われず」などと、

自己検束の普通に超えている点を尊敬されていたけれども、

このような人であれ、
大きな衝動があれば泣いていたのだと言っています。

常人はなおさらで、
義太夫の浄瑠璃など聴いていても、
慟哭の声が物語りに混じって、
感動の極まるシーンではいつもこれに帰着します。


これが
社交界より排斥されたのは、
むしろ濫用があったからだともみられるそうです。

この表現方法があまりに有効であるが故に
女や子供がこぞって真似をし、
これを武器するようになり、

受身の者もそれが耐えられなくなったため、
必要上、
これを抑圧する傾向が加わってきたのだそうです。

また、他にも大きな原因があると言います。

それは学問の結果であるそうです。

日本人の学問は読書が主であり、
読書は漢語の対訳を出発点としています。

人が泣くのは内に
「カナシミ」があるためということは、
昔からの常識であったけれども、

「カナシミ」の日本語に、
漢字の
「悲」または「哀」の字を宛てるべきものと
したのは学問の方であって、

「カナシ」という国語の古代の用法
または現存の多くの地方の方言の用例に、
注意深く見ればわかることは、


「カナシ」、「カナシム」は
単に感動の最も切なる場合を表す言葉であって、

必ずしも「悲」や「哀」のような
不幸な刺激には限らなかったのです。

また人の心持や物の考え方が進んでいくと、
そんな昔のままの概括的な言葉では、

個々の場合を言いあらわせないので、
その用語は地方的に分化していったのだそうです。



元は「一般に身に沁み透るような強い感覚」が「カナシイ」
であったことを、その中から「悲哀」「カナシイ」だけを取り出して、
中世以降は、それを標準語の内容として語られていること、

これは、
「悲」という漢字を最も多く需要した
仏教の文学や説教の影響なのではないかと推定されています。


泣くことをことごとく人間の不幸の表示として、
忌み嫌う、または聴くまいとしたことは、

まったく漢訳の誤りがもとであり、

抑圧せずに、ただ濫用だけを防ぐように教育すれば
それでよかったことで、
そうでなければ、
その感情を一つ一つを適切に表す代わりの言葉を
与えるべきっだのではないかということでした。

この漢字の誤解は、
これこそ説文学者の怠慢と言ってもよく、

「ナク」という言葉に、
「涕」だの「泣」だの宛てたのが
そもそもの失敗であったということです。

漢語の字引きを見ると、
「涕」は元来、眼または鼻から出る液体、
「泣」はまた声なくしてその「涕」を出すことであって、

ともに三水を扁にしているので、
音声そのものとは関係がないもの、

「泣」の誤訳の方は、
正す場合「哭」の字を宛てる方がよかったと言い、

『万葉集』はこれを多く使っているが、
その「哭」する場合にも涙が出るので、
「泣」=涙をこぼすことも、
古くから「ナク」と言っていたことがわかります。

古典の引用や日本の風土に関する資料などをもとに、
分析した結論としては、

「泣く」ことよりもっと平和な方法の交通手法が
代わって発達しつつある兆候とみていいとし、
それをまた翻って一度勝手放題に泣かせてみるということを、
要求しているのではなく、

ただ、その適当な転回なり代用なりというものが、
果たして調子よく行われているのかどうかということは、

国を愛する人々の忘れてはならない観察点であり、
特に若い人には無関心でいてもらっては困ることであると言うことでした。

そして、
「歴史は単なる記憶の学ではなくて、
必ず反省の学でなければならぬのである」
と締め括られていました。

「涕泣史談」については、
以上になります。


ここまで読んで頂きまして
ありがとうございました!!

それでは今日も一日、
皆さまが幸せでありますように。


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