罪悪感からの解放 | 「生きる」を楽しむ

「生きる」を楽しむ

7ヶ月でSPECを覚醒させて、
奇跡が日常になる

40年以上、

ずーっと私の中に、

「私には人間の心がない」

という苦しみがありました。

 

この苦しみ、向き合うのは辛すぎて、怖すぎて、痛すぎて、

ずっと、触らないようにしていました。

 

けれど、

「自分で自分の話を聴く」

「私は何を感じても、考えてもOKなんだ」

と、自分を勇気づけ続けたら、

 

この苦しみの正体に、正面から向き合ってみようかな。

 

と思えるようになりました。

 

 

アドラー派の方ではなかったのですが、心のプロの方とご縁ができ、

その方に、この苦しみについてお話を聴いていただいたところ、

意外なところに糸口がありました。

 

まず、

「どういうときに、人の心がない、と思うのですか?」 

と問われ、自分の心を見つめながら、お話していきました。

「卒業式でみんなが泣いていたり、 
 お葬式でみんなが泣いているときに、 
 私、全然悲しくないんです。 
 でも、周りみんなが悲しんでいるので、 
 悲しくない自分が異常なんだろうと、 
 ずっとその苦しさを感じていました」 

「お葬式で悲しくないと、どんなところが困るのですか?」 

「みんなから、えなちゃんは冷たい、えなちゃんは異常だ、と思われると思います」 

「みんなと同じ感情をシェアできないことが苦しいですか?」 

「はい」 

「では、笑う、とか、怒る、とかだとどうですか?」 

「…みんなが笑っているときは、私も一緒に笑っています。 
 怒りは、周りの人も、私自身もあんまり怒らないのですが、 
 私が怒りを感じるテーマであれば、周りと一緒に怒れると思います」 

「では、悲しみ、という感情だけですね?周りとシェアできないのは」 

「…ほんとうですね」 

「別離、死、に対する場面で悲しみを感じていないようなのですが、 
 えなさんにとって、死、って、どのようなものですか?」 

「そうですね…。 
 生まれてくる前の世界に戻ること。 
 本来、自分がいるべき場所に帰ること」 

「どちらかというと、うれしいこと、いいこと、と思っていますか?」 

「そうだと思います」 

「では、人の心がないのではなくて、 
 死に対する観念が、他の人と違うだけだと思いますよ」 

「そうなんですね…。 
 ただ、お葬式で全然悲しくないと、異常なようで」 

「日本人の多くは、死は悪いこと、悲しいこと、忌まわしいことと思っています。 
 周りの人と一緒に悲しむためには、 
 えなさんも死は悪いこと、悲しいこと、忌まわしいことと思わないといけないんですが、 
 こう思いたいですか?」 

「いいえ!」 

「えなさん、死に対する観念がフラットなんですよ。 
 多くの人にとって死は、恐怖だし、忌まわしいことです。 
 でも、えなさんにとって死は、元いた世界に帰る、嬉しいこと。 
 冷たいのではなく、死に対する観念が、他の人と違うだけです(^_^)」

 

 

 

 あなたは異常なのではない。

他の人と観念が違うだけ。

 

 

そんなふうにカウンセリングして頂いて、 
40年以上、ずっと胸にあった、 

「私は冷たい。私は異常だ。私は人の心がない。私は存在してはいけない」 

そんな罪悪感が、すぅっと消えていきました。 

 

 

自分の理想と現実の乖離が大きいほど、劣等感が大きいとアドラー心理学では考えます。

私が、大切な価値として持っている、

「人は優しくあるべき」

「人は誠実であるべき」

 

にも関わらず、

「心がない私は優しくない。そして、心がないくせに、心があるフリをしている自分は不誠実だ」

と自分で思っていたので、

ずっと自分が嫌いだったのだと思います。

 

他の人に、「えなちゃんは優しいね」「誠実だね」と言われても受け取れなかった、

 

私の罪悪感、自己否定、自己嫌悪の根っこ、ここだったんだ…。

 

 

 

ほんとこんな感じでした。

 

 

 

罪悪感が消えたら、

心に空いていた穴が、埋まったように感じました。

 

生きるのが辛くない。

人が怖くない。

 

生きるのって、辛くて苦しいことじゃなかったんだなぁえーん

 

 

今まで私、鏡を見ることができませんでした。

(お化粧とかで最小限見ることはありましたが、ほんと最小限です)

鏡の中に、醜くおぞましいものが映っているような気がして。

でも今は、鏡を見るのが平気です。

 

 

自分の中にあった苦しさ、

なんで私はこんなに苦しいの?

親の育て方が悪かったから?

私の精神が異常だから?

そんなふうに、誰かを、あるいは自分を責めるのではなく、

 

私はただ、観念が他の人と違うだけ。

 

と思えることができ、救われた思いでした。

 

 

40年以上、自分を責めることに使っていたエネルギーを、

これからは建設的な方向に使っていきたいと思います照れ