劣等感のメカニズム | 「生きる」を楽しむ

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7ヶ月でSPECを覚醒させて、
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私が、

私はこれをやりたい。でも、私が好きなことをやるのは、許されないのではないか

と思ったり、

 

あるいは、失敗がとても怖かったの、

 

多分、

 

価値が低い私なんかが好きなことをするのは許されない」とか

 

ただでさえ価値が低い私が失敗なんかするのは絶対許されない」

 

的な自分に対する思い込みが強かったせいと思います。

 

イメージだと、こんな感じ。

私は「ふつうの人」より相当劣っていて、

「ふつうの人」が、好きなことやったり、失敗しても許されるレベルより相当低い位置にいるから、

好きなことしたり、失敗なんかしたら、ものすごく責められたり、バカにされたり、蔑まれたりして、所属に失敗してしまう。

 

いっぱい好きなことしたり、失敗したりしても、

責められたり、バカにされたり、蔑まれたりしないのは、

「すごい人」だけ。

 

私は、必死で努力してやっと「ふつうの人」になれる、相当価値が低い人。

崖に必死でつかまっていて、ちょっとでも手を緩めると奈落の底に落ちていってしまう。

 

 

「せめて完璧でいなければ、私はこの世界で生存を許されない」くらい思っていたわけです。(多分)

これは、しんどいよね。


 

 

私はふつうより相当劣っている、というこの強い「劣等感」、

 

アドラー心理学で「劣等感」というと、実は3つの意味があって、ややこしいのですが、

 

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《劣等感》という言葉には、大別して3つの意味がある。もっとも根本的な意味は、「相対的プラスに対する相対的マイナスの感覚」という意味だ。あるいは、「理想と較べた現実の感覚」といってもいい。第2の意味は「陰性感情」という意味で、怒りや不安や後悔などのことをいう。第3の意味は、「他人と較べて劣っているという感覚」で、これは世間の用法と同じだ。

(野田俊作の補正項2012年08月29日(水)http://jalsha.cside8.com/diary/2012/08/29.html

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この場合は1つめの「理想と比べた現実の感覚」、もしくは3つめの「他人と比べて劣っているという感覚」が、

どうしてこんなに強かったかというと、

 

アドラー心理学では、「相対的プラス(理想)と相対的マイナス(現実)」の乖離が大きければ大きいほど劣等感が大きい、と考えるので、

私は相当「相対的プラス(理想)」が高かった、ということになります。

 

私の相対的プラス、「ふつうの人でありたい」なんです。

なんでこれがそんなに高いの?という話なのですが、

 

日本人のなんとなくイメージする「ふつうの人」って、

実はめちゃくちゃレベル高いんです。

 

・5教科すべてまんべんなくできて、

・運動もできて

・お友達もいて

・痩せすぎても太りすぎてもいなくて

・(成人の女性の場合は)家事も育児も親戚づきあいも近所づきあいもできて、(現代日本だと、これにさらに「正規雇用で働けて家事と仕事を両立できて」)

・(成人の男性の場合は)正規雇用で働けて、妻子を養えて家を建てられるの安定収入があって、定年まで働ける。

 

って、これ、

全然「ふつう」じゃないと思うんですけど。

 

どこかが飛び出ていたり、

どこかがひっこんでいたりするのが、「ふつう」じゃない?

 

 

あー、くそ。

「全部ふつうにできなきゃないのに、全部をふつうにできない私は、ふつうより相当劣っている」って

洗脳されてたわゲッソリ

 

って気付いてからは、

「こわいよぅ滝汗

私なんかが好きなことしようとしたら絶対怒られるよぅゲロー

とか恐怖を感じながら、

ひとつひとつ、好きなことをやりはじめている、

今は、そんな実験の最中です。

 

ちなみに、

「まんべんなくぜんぶできてふつう」

って洗脳してくれる機関の別名、

「学校」

とか言います。

 

学校では、

「えなちゃんは、国語はできるけど、理科はダメね」とか

「お本ばっかり読んでないで、お友達と遊べないと」とか

 

「あなたは○○が劣っている」

てとこを注目してくれるんですが、

 

栴檀は双葉より芳し。

みつごの魂百まで。

 

人間、ちっちゃいころに苦手だったところは、多分、死ぬまで苦手なんです。

ちっちゃいころに上手だったところは、多分、死ぬまで得意なんです。

「欠点を指摘して矯正させる」教育ではなく、「得意を伸ばす」教育をしてくれれば、

もっと子ども達がラクになるし、そっちの方が合理的、と思うんだけどなぁ。

(マイナス10を0にするエネルギーより、プラス10をプラス50にするエネルギーの方が少ないと思います)