子育てって | 「生きる」を楽しむ

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秋田魁新報を読んでいたら、こんな記事があって、

 

 

「多くの親にとって、子育ては初めての経験であり、それでいて失敗が許されない」 

 

「子育てはとても重要な役割であるにもかかわらず、事前に子育てを学ぶ機会はあまりない」 

(「秋田魁新報」2018年3月9日付け「きょうの言葉」より) 

 

 

いやもう、

「ほんとそう」

と思いました。

 

 

「子どもを育てる」って、家族にとってのみならず、社会にとっても一大事業であるはずなのに、

子育てについて体系だてて教えられることがないまま、

いきなり現場に放り込まれる感じ。

 

会社なら、

採用したばっかりの新卒の新人に、

何も研修しない、

現場でメンターもつけない状態で現場に放り込むにも関わらず、

 

「できて当然」

 

って高い要求水準課すようなもので、

それはむごいよ、と思います。

 

上記の記事に、

子育ては、明らかに「大人になれば自然にできるようになる」範囲を超えている。

とあったのですが、ほんとにそう思います。

 

現場で事故が起こり続けているなら、

システムの方に問題があるって考えるのが自然ではないかなぁ。

(ちなみに、「いきなり現場に新人ぶちこむ」ことに関しては、教師も似たようなものです)

 

 

昔は、きょうだいがいっぱいいたので、 
下の子のお世話をする中で、自然に「赤ちゃんのお世話の仕方」を経験してから 
自分が親になることができましたし、 

「家(親の仕事)」を継ぐのが普通でしたから、 
固定化された土地、職業、人付き合いの中で、 
村のしきたりを守るよう子どもをしつけておれば、 
子育てはそれでOKでした。 

なにより、子どもが、「(多少理不尽でも)親の言うことは聞くものだ」ってみんな思っていました。

でも現代って、きょうだいの数が少ないから、 
赤ちゃんのお世話の経験がなく、 
いきなり親になる人も多いし、 

親が知らない土地で、親が知らない職業に 
子どもが就くのが普通です。 

さらに、子どもが、「親の言うことは聞くものだ」って思っていませんえーん
(「筋が通っているなら聞きますが、通っていないなら聞きません」て感じでしょうか。

でも、この感覚、私達も親や夫や舅姑や上司に対して持っているような)

「子育て」の難易度が、昔と比べられないくらい高くなっているのに、 
新しい時代の子育て方法がまだそれほど普及していないため、 
多くの現場のお父さん、お母さんたちが、 
子育てに対して、怖さや不安やしんどさを抱えているように感じます。 

「子どもの体を育てる」方法は、比較的いろいろなところで学べます。

「子どもの頭を育てる」方法は、学校がプロフェッショナルで担当してくれます。

でも、「子どもの心を育てる」方法は、意外と学ぶ場がないように思います。

 


パセージやると、メンバーさんから、 
「普通に、幼稚園なんかでパセージ受けられるようになるといいのに」とか、 
「保健所とか役場で、お母さん達にパセージ受講券配ってくれるといいのに」とか、 
ありがたい言葉を頂きます。 
ほんとに、いつかそんな時代になりますように。