「自由」とは? | 自分で自分の人生をデザインする方法

自分で自分の人生をデザインする方法

高校の先生を20年やる中で
3回うつ病を患い、そのたびに復活し、
今は旅館をやりながら
古事記を教えつつアドラー心理学を広めている
謎な人生を送っている人間がもがきながら掴んだ生き方のコツ

「自由」って、何なんだろう?と、時々考えます。

一応、「制限のない状態」と定義するとして、
では「制限のない状態」ってどんなか。

私は、「何も制限のない状態」は、この世界にはない、と思っています。

だって、「人間」として産まれた時点で、「人間」の制限を受けます。
産まれた国の制限、
性別の制限、
環境の制限、
持って生まれた資質の制限もあります。


だから、「何も制限がない状態」ではなく、

「制限の中の選択できる可能性の部分に関しては制限がない状態」が、

人間にとって一番「自由」ではないのかなぁ、と思います。
絵にすると、こんな感じ。



たとえば、親子で「門限」について話し合って、2人で「夜の9時」で合意したとしたなら、
9時までの時間、子どもがどこで誰とつきあい何をするのか、
タイムリミットをどういうふうに守るのか(9時ぎりぎりに玄関に飛び込むor余裕を持って帰ってくる)
その部分に関しては子どもにお任せして、親は一切口を出さない。

たとえば、夫婦で「月のお小遣いは3万円」で合意したとしたなら、
その3万円を何にどんなふうに使おうが、
その部分に関しては夫にお任せして、妻は一切口を出さない。


「パセージ」28-Rに、「選択できない可能性」というページがあります。

「自分を傷付ける」「人を傷付ける」「物を傷付ける」「社会の秩序を破壊する」「人に実体的な迷惑をかける」ような場合だ、とテキストに書いてあります。


人間は、「選択できる可能性」の中で、最大限自由なのだと思いますし、
人間が選択できる可能性って、私達が思っているより、実はだいぶ大きい、と思っています。


「ルールは上から問答無用でおしつけられるもの」
「ほんとは守りたくないけど、守らないと罰せられるから、イヤイヤ守らなくてはならないもの」

ではなく、

「ルールはみんなで話し合ってみんなが納得して決めるもの」
「ルールを守ると、自分の自由が最大限守られる、すてきなもの」

てことを子どもに学んでほしいなぁ、と思います。


私は「納得して人生を生きたい」、という願いが強いので、
そこら辺がひっかかるのかもしれません。

提示されたものを納得して引き受けるのは好きなんですが、
押しつけられたものを我慢して耐えるのは嫌いなんです。
だって「人(上)の言うことを聞いていれば罰せられないから」で行動するのって、
何も考えないおばかさんな感じがして、いやなんですもん。
納得してないと、卑屈になっちゃいそうだし。

私は自分の頭で考えて、
自分の胸の中の納得を大切にして、
世の中のしがらみと折り合いを付けながら、
その中で最大限自由に、
生きていきたいなぁ、と願っています。


人間は、制限の中で最大限自由なのだし、

自分を最大限自由にする制限を探り出すのが、

人間の賢さの使い道なのだろうなぁと思います。


私を最大限自由にする私の制限て、どんな状態なのだろう。


「何がどう私を縛るのかは、私が決める」

という状態ってステキだなぁと、個人的に思います。