こんにちはわんわん




私たちは いったい ”何のために 生きているのか?”・・・

それは 人それぞれによって その考え方も 異なります。

そして 私たちは 人それぞれによって・・・

“人生の目標” も 異なることに なるわけです。星






”原始仏典 スッタニパータ” での ”こよなき幸せ” の 内容においても・・・

”人生の目標” としての ”誓願(せいがん)” について 書かれています。

そして ここでの “註釈” においても・・・

極めて 重要な内容が 書かれているのです。ひらめき電球 






”原始仏典 スッタニパータ” を 日本語に 体系的に翻訳した 中村元氏は・・・

No.260詩経の 注釈において・・・

”適当な場所に住む” の 言葉の解釈の中で 次のように 述べています。本





その内容は (抜粋)・・・


古代インドでは 修行僧は・・・

市街地から 遠からず 近からざる所に 住むべきものとされていた。

(それゆえに修行者は) 町から 遠からず 近からず・・・ 

”閑静” で ”空気の良いところ” を 求めたのであった。




ところで これを 現代の生活に あてはめると・・・

このような生活は ”困難” であると 思われる。

都市の ”喧噪(けんそう)の中” に 住まわねばならぬ人も 多いだろう。




しかし みずからの 主体的な ”心の持ち方” により・・・

”喧噪” や ”誘惑” は ないのと 同様になることも 可能である。
 



・・・ということが 書かれています。





また 次の ”正しい誓願(誓い)” の 解釈の中でも 述べていますが・・・




高らかな ”誓願(せいがん)” を 立てていれば・・・

”挫折に屈する” こともないし ”気の滅入る” こともない。

他人から とやかく ”悪口” を 言われても・・・

”誓願” を 持っている人なら ・・・

蚊の鳴くほどにも 気にとめないであろう。

”いかなる困難” も・・・

”誓願” の 前には ”無” に 等しいのである。
 



・・・ということが 書かれているのです。






私たちが これまでの 人生の中で・・・

”何を 目的に 生きてきたのか?” といえば・・・ひらめき電球





それは おそらく ほとんどの人が・・・

自分にとっての “ベスト・コンディション” を 実現すること・・・

さらには その 代表例を 挙げれば・・・

それは ”快適な居住環境” を 実現すること・・・であったと 思われます。家ラブラブ






それには まず “お金” を 稼ぐことによって・・・¥

“快適な住居” を 獲得することです。

そのためには “立地条件” も 重要であり・・・

“快適な土地” を あちこち 探し回るわけであり・・・

そこが “高級住宅地” であれば・・・

さらに “お金” が 必要になるので・・・

さらなる “労働” も 必要とされるわけです。あせる






しかし そのような ”懸命な努力” を 積み重ねて・・・

“快適な居住環境” を 手に入れたとしても・・・

そこで ”周囲” に起こる さまざまな ”問題” が 発生すれば・・・

私たちは そこから さまざまな ”苦しみ” が 発生することに なるわけです。しょぼん






それが 仮に ”対人関係” が 原因であれば・・・

問題を発生させた ”人間” に対して・・・

“恨み” や ”憎しみ” の 感情が 発生することになり・・・

そこから “重大な事件” も 発生することが 多いわけです。ガーン






そこでは ”問題の原因” を “他人に転嫁する” ことによって・・・

問題を さらに “難解化” させているようです。

これが 私たちが これまで 気づかなかった “盲点” で あったのかもしれません。ショック!






私たちの 自分自身の ”人生の目標” というものが・・・

“快適な居住環境” を 実現すること であると 設定すれば・・・

そのために 限りなく ”懸命な努力” を 重ねることに なるわけですが・・・走る人






そうやって 手に入れた ”居住環境” において・・・

さまざまな 問題を引き起こす ”邪魔者” が 出現すれば・・・

そこから 私たちは それまでの ”懸命な努力” を 払った分だけ・・・

その ”人間” に対して・・・

“怒り” や ”憎しみ” の 感情を ”増幅させる” ことに なるわけです。

これでは 前回までの記事でも 考えましたが・・・

私たちは まさに ”愚者(ぐしゃ)” としての 人生を 歩んでしまうのです。ドクロ






中村氏が スッタニパータの 註釈の中で 述べていたことは・・・

私たちのような ”在家(ざいけ)者” といわれる ”世俗に生きる者” は・・・

“出家者” のように “自由に動ける人間” では ないので・・・

自分自身の “心の持ち方” によって・・・

さまざまな問題を 解決しなければならない・・・ということを 示しているようです。ドキドキ
 






さらには 私たちが ”正しい誓願(せいがん)” を 起こすことが・・・

極めて 重要であると 書かれています。

そして その ”誓願” というのは・・・

それこそが まさに “人生の目標” なのです。目






そして 仏教の開祖であった ”ゴータマ・ブッダ” が 説いていた・・・

その ”誓願” の 内容というのは・・・

自分自身が 人間から “解脱(げだつ)” することによって・・・

自分自身が  ”人間以上の存在” に なることを 示すことで・・・

“生きとし生けるもの すべてを 救いたい”・・・という 内容でした。クローバー






つまり このような ”高らかな誓願” を 立てていれば・・・

この 人間世界で 決して 何が 起ころうとも・・・

すべての ”人間” に 対して・・・

”怒り” や ”憎しみ” も 起こることが ありません。星






さらには たとえ 自分自身に・・・

”いかなる困難” が 起ころうとも・・・

それは すべて  ”人間である自分” が ”原因” なのであり・・・

すべては ”自分の責任” である と 考えることになるので・・・

”挫折感” や “気が滅入ること” も ありえずに・・・

すべての出来事も ”困難” とは 思えなくなる・・・ということなのです。ニコニコ







このブログでは かつて・・・

“遠い目的地” と “近所の目的地” という言葉を ご紹介しましたが・・・(※)メモ





“遠い目的地” とは・・・

”ゴータマ・ブッダ” が 示していたような ”人生の目標” なのであり・・・

“近所の目的地” とは・・・

”人間社会での成功” という “人生の目標” であると 考えられます。ひらめき電球






つまり 私たちが・・・

いつまでたっても “近所の目的地” を 目指していれば・・・

私たちが この社会の中で・・・

“挫折感” や “気が滅入る” ことを 繰り返す だけであり・・・ 

私たちは いつまでたっても・・・

”苦しみの世界” からは 脱出できない・・・と 考えられます。しょぼん







皆様も 毎日の生活の中で・・・

他人による ”喧噪(けんそう)” や “誘惑” に 悩まされることが 多ければ・・・

それは 自分自身による ”目標の設定” そのものに・・・

”重大な誤り” が あることが 考えられます。雷







そして 私たちが ”人生の目標” を・・・

”正しい誓願” というものに 大きく ”変える” ことによって・・・

私たちは ”苦しまない人生” も 実現されることになると 考えられるのです。ドキドキ







私たちが ”正しい誓願(せいがん)” を 立てることが できれば・・・

”挫折に屈する” こともないし ”気の滅入る” こともなく・・・

他人から とやかく ”悪口” を 言われても 気にすることも なくなり・・・

”いかなる困難” も ”無” であると 感じることが できるのです。得意げ







そして 私たちは そのような・・・

“最強の人間” にも なれることが・・・

中村氏の ここでの 註釈の内容によって 理解されてきます。星








私たちが 今後 この世界で 生きてゆく上では・・・

自分にとっての “ベスト・コンディション” というものは・・・

それを “外部的な要素” としての ”周囲の環境” に 求めるのではなく・・・

”内部的な要素” としての・・・

”自分のこころ” に 求めるべきである・・・ということが 理解されるのです。目 

 









私たちは この世界で 生きるのならば・・・

”正しい誓願” を 立てることによって・・・

自分自身の ”内面” を ”磨き続ける” ことによって・・・

“最強の人間” を めざして 生きてゆきたいですね。

次回も 中村氏による 註釈の内容について 考えてゆきます。ニコニコ



















(※) “遠い目的地” と “近所の目的地” について 考えました・・・

    “出家とは 高速道路を 走ること” の記事は こちらからどうぞ星