こんにちはわんわん




私たちは ”何のために 生きているのか?”・・・

この ”命題” には すべての人が 必ず 突き当たるようです。星





そして その ”答え” の 一つには・・・

私たちは それぞれの ”一生” を かけて・・・

ある “場所” に 向かって 歩み続けているようです。

それが “キリスト教徒” であれば・・・

”来世” での “神の国” なのであり・・・

それは 一般には “天国” と 呼ばれる 場所なのかもしれません。天使





また 仏教の開祖としての “ブッダの教え” での ”その場所” は・・・

“永遠の平穏” としての ”ニルヴァーナ” と 呼ばれる 状態を 示しています。

これらの ”場所” には すべて 共通して・・・

”苦しみのない場所” として 考えられているようです。

それは 人間としての 人生というものが・・・

あまりにも ”苦しみ” に 満ちているからでしょう。

そして 人類は これまで “理想の場所” を 追求してきたようです。虹 




 

世界の 主要な宗教においては・・・

その ”理想の場所” に 到達するには・・・

“出家” という 手段が 最善であると 考えられています。

つまり ”世俗の生活” を 捨て去って・・・

”僧侶” として ”清貧な生活” を 最後まで 続けてゆく・・・というものです。

これが “理想の場所” に 到達するためには 不可欠であると 考えられています。ひらめき電球







前回の記事でも ご紹介しましたが ”原始仏教” においては・・・

もともとは “出家者” そして ”在家者” であっても・・・

両者は ほとんど ”平等に 救われる” という 教えでした。

しかし ”原始仏典 スッタニパータ” の 内容では・・・

かつて このブログでも 考えたように “出家者” の方が・・・

”ニルヴァーナ” へ 到達するには “有利である” という内容が 示されています。(※)星






それは ”在家者” が ”飾り立てられた孔雀” として たとえられ・・・

“出家者” が ”白鳥” として たとえられており・・・

どちらが “速く飛べるか?” を 考えていたわけです。

それは 長距離を 速く飛ぶことができる ”白鳥” としての “出家者” の方が・・・

確実に “有利である” ということが 示されていたわけです。白鳥







しかし ”人間の一生” というものは ・・・

残念ながら ”短いもの” であると 言うしかありません。砂時計

つまり 私たちは “理想の場所” に 到達するには・・・

できるだけ “早く到達する” ことが 必要であると 考えられます。

そうでなければ ”この一生” だけでは “理想の場所” には 到達できずに・・・

”来世まで持ち越す” ことを 覚悟しなければ ならないからです。 ガーン     

 




では “出家者” と “在家者” とは 何が 違っているのか?・・・

この違いを わかりやすく 理解するために・・・

両者が 現在も 進行している “道の種類” について 私は 考えました。

それが ”在家者” が ”一般道” を 進行しているのに 対して・・・

“出家者” は “高速道路” を 進行している・・・という わけなのです。

これが 今回の記事の タイトルの 真意です。目






私たちのような ”在家者” というのは・・・

毎日 人間同士が “擦れ違う” ような 生活の中で 暮らしています。

それを 道路で たとえるなら  ”多くの交差点” を 通過していると 考えられます。

これが ”一般道” を 進行する上での  “宿命” であると 考えられます。 信号機






そして ”多くの交差点” を 通過することは・・・

そこで ”多くの時間” も 使うことにもなります。

さらには “交差点” では クルマ同士の “衝突” も 起こりやすく・・・

それゆえに 人間同士の “トラブルの原因” にも なっているわけです。

それで 私たちは ”余計な時間” も 覚悟しなければ ならないわけです。時計ガーン






しかし 一方の “出家者” というのは・・・

”世俗の生活” から ”離れた生活” を していることで・・・

人間同士が “衝突” することから 限りなく 離れられるわけです。

つまり “出家者” というのは・・・

“交差点がない道路” を 進行しているのであり・・・・

それは まさに “高速道路” を 意味していると 考えられるのです。目







皆様も すでに お分かりのように・・・

“遠い目的地” を クルマで 目指すのであれば・・・

“高速道路” が ”有利” であることは 明らかです。

それは 途中に “交差点” もなく “信号機” もなく ・・・

つまり “煩わしさ” から ”解放されている” 道路だからです。

そして それは “無駄な時間” からも “解放される” ことを 意味します。

それゆえに ”高速道路” を 使うことによって・・・

私たちが 目指している ”最終の目的地” には・・・

”一般道” に比べて 圧倒的に ”早く到着する” ことが 期待できるわけです。星







私たちが ”一般道” を 選択するか?・・・

あるいは “高速道路” を 選択するか?・・・

それは それぞれの  ”自由” で あるわけです。

また 私たちは ”最終的な目的地” というものを・・・

”どこに 設定するのか?” についても それぞれ 異なっています。ひらめき電球







皆様も ご承知のように “高速道路” というのは・・・

“遠い目的地” に 到達するためには 有利ですが・・・

道路は ”市街地” と ほとんど “隔離” されているわけです。

つまり 一度 ”高速道路” に 乗ってしまえば・・・

市街地にある さまざまな ”娯楽施設” に 寄ることもできずに・・・

”運転に集中する” ことしか できません。車






そして “出家者” としての 人生というのは・・・

”娯楽” からも ”すべて離れる” ことが 要求されるのであり・・・

途中にある “SA(サービス・エリア)” に 寄ることも 許されません。

それが すべての人が 耐えられるか? ということも 問題になるわけです。ガーン






つまり 毎日 ”娯楽” や ”快楽” を 追求している 人間にとっては・・・ラブラブ

“高速道路” を 走ることは ”苦痛” であると 感じられるわけです。

それゆえに その人は “遠い目的地” に 到達するよりも・・・

“近所の目的地” で 満足してしまうのです。
 
それによって その人は ”一般道” を 選ぶしかなく・・・

“交差点” を ”無数に通過する” ことを 余儀なくされます。

その結果 人間同士の ”衝突” や “トラブル” に 遭遇することが 多くなり・・・

いつまでたっても ”苦しみの生活” から 解放されない・・・と 考えられます。しょぼん






それが ”来世” まで 持ち越されれば・・・

私たちは 決して “天国” には 到達できずに・・・

”苦しみの世界” に 再び ”生まれ変わる” ことになります。

それが いわゆる “地獄世界” であると 考えられ・・・

そのことを 歴代の 宗教家たちは ”警告” していたのです。(※)雷







つまり 私たちのような ”世俗に生きる” 人間というのは・・・

このような ”悪循環” に 陥っているようです。

そして 私たちは ”短い一生” を ”苦しみ” によって 費やされてしまい・・・しょぼん






その結果 “遠い目的地” としての・・・

“天国” や “神の国” や・・・

さらには ”ニルヴァーナ” へも 到達することなども まったく できずに・・・ショック!






この世界で ”死” を 迎えて・・・

私たちが ”来世” を 迎えることになっても・・・

そこは ”市街地” を ”さまよい続ける” というような・・・

”苦しみの人生” が 待っているようです。

それが まさに “地獄世界” なのかも 知れません。ドクロ

 





 
先日も ご紹介しましたが・・・

私が これから ”何を しようとしているのか?” というのは・・・

ここで 私が “高速道路” に 乗るのではなく・・・

”一般道” を 進みつつ “遠い目的地” を 目指すことができる・・・

”最善の道” を 究明したい・・・ということなのです。ひらめき電球





 
私たちが ”一般道” を 進む時でも・・・

そこには “大きな交差点” を ”通らない” という 選択肢があります。

そのためには ”交通量” が 多く ”信号機” も 多いがゆえに・・・

さまざまな “危険” も 多い・・・というような・・・

主要道としての “幹線道路” を 選ぶのではなく・・・信号機×






“交差点” は 無数に あっても・・・

“交通量” も 少なく・・・煩わしい “信号機” も ないがゆえに・・・

”早く 通過する” ことができる・・・

“脇道” や “抜け道” を 選択する 方法があるのです。

そうすれば さまざまな ”煩わしさ” からも 解放されることができ・・・

さらには “安全” で “遅れない” ことも 実現されます。

このことは 私が かつて “配送の仕事” に 従事していた 経験があり・・・

その時の 実体験からも 証明されておりました。軽ワゴンニコニコ
 


  

  

残念ながら 私たちの “大部分” は “出家” できません。

それは “単調” な “高速道路” を 進行したくは ないからです。

つまり 私たちの “大部分” が 救われるためには・・・

”一般道” を 進みつつ・・・

“遠い目的地” を 目指すことが 必要であると 考えられるのです。星








皆様も この人生において・・・

“近所の目的地” で 満足されては いないでしょうか?

それは ご自身を ”市街地” に ”縛りつける” ことになり・・・

その “迷路” の 中で・・・

”永遠” に ”さまよい続ける” ことも 意味しています。

それこそが この一生 すべてを・・・

“無駄にする” ことに なってしまうとも 考えられます。ガーン








私たちは この ”一生” というものが・・・

”何のために あるのか?” について・・・

ここで 改めて 考えてみたいですね。

そして 私たちは “遠い目的地” を ”見失わない” ために・・・

”正しい生活” を することが 重要であると 考えられます。目







そして その ”正しい生活” というのが・・・

仏教の開祖としての “ゴータマ・ブッダ” が 示していた・・・

”八正道(はっしょうどう)” による ”実践生活” なのです。(※)

その “実践生活” というのは・・・

世界の 主要な宗教家たちも 同じようなことを ”実践” していたようです。クローバー 








私たちは この ”一生” を・・・

“地獄世界” へ 自分自身を 導いてしまう というような・・・

結果的に “無駄な一生” で 終わらせるのではなく・・・しょぼん








自分自身を “理想の場所” へ 導くために・・・

できるだけ “速く” そして “安全” に・・・

確実に “前進” して 参りたいですね。ニコニコ










次回の記事では さらに この内容を 踏まえながら・・・

現在の 日本の 仏教界が抱える 問題点についても 考えて参りたいと思います。星 
















(※) ”原始仏典 スッタニパータ” での ”白鳥のたとえ話” を ご紹介した・・・

   “ブッダの教え 出家のすすめ” の 記事は こちらです白鳥




    
    また キリスト教における ”警告” について 考えました・・・

    “傲慢(ごうまん)が 意味するもの” の 記事は こちらです星




    

    そして ”ブッダの教え” の 実践法である・・・

    ”八正道(はっしょうどう)” の 記事は こちらからどうぞクローバー