こんにちは わんわん




仏教では ブッダの死後・・・

”大乗仏教” と ”小乗仏教 (上座部仏教)” に 大きく ”分裂” しました。

その きっかけとなったのが 仏教の ”戒律” である・・・ 

”托鉢(たくはつ)” の やり方でした。どんぶり




皮肉にも このようなことで 仏教は ”分裂” してしまい・・・(※)

貴重な ブッダの教えも ”分離” することにも なりました。

今回の記事では この ”托鉢” とは どういうものなのか? を 考えてみます。ニコニコ





”托鉢” とは・・・

”仏教” や ”ジャイナ教” を含む 古代インド宗教での・・・

”出家者(しゅっけしゃ)” の ”修行形態” の 1つであり・・・

”信者の家々” を 巡って 生活に必要な ”最低限の食料” などを ”乞い”・・・

”信者” にも ”功徳(くどく)を 積ませる” 修行のことです。 

これは ”乞食行(こつじきぎょう)” または ”頭陀行(ずだぎょう)” 

さらには ”行乞(ぎょうこつ)” とも 言われています。どんぶり




つまり この行為とは 修行者だけでなく・・・

街に住んでいる ”信者たちの徳” も 積ませるものです。

この定義は とても重要です。目





また 古代インドの宗教では・・・

”出家者” は 自分自身の ”所有欲” を ”否定する” ために・・・ 

”三衣一鉢” という ”最低限” の ”生活必需品” しか 持たず・・・どんぶり

さらには ”修行に専念” するために・・・ 

”農業” などの ”生産活動” にも 一切 従事しませんでした。パー





それは なぜか? というと・・・

人間が さまざまなものを ”所有” することが・・・

人間の ”苦しみの原因” であることを ブッダは 知っていたからです。

つまり 自分自身の ”食料” も ”所有” することで・・・

さらには ”食料” を “生産する” ことで ”所有” することになれば・・・ 

それによって ”苦しみ” が 発生してしまうからです。

それで ブッダは 修行者たちに そのようなことを させなかったのです。目




したがって 出家者が ”生存” するためには・・・ 

”食料” を ”世俗の人々” から 調達しなければならず・・・

たとえ ”食料” を “得られなかった” としても・・・

修行者たちに ”動揺しない” ことを 求めました。かお




それは 人間が この世界で “何が 起ころうとも”・・・

決して ”動揺しない” ことが・・・

ブッダが 説いた ”究極” の ”平穏の境地” とされる・・・

”ニルヴァーナ (涅槃寂静)” に 到達するためには 必要だからです。星





そして 現在でも “上座部仏教 (小乗仏教)” が 息づいている・・・

東南アジアでの 仏教徒たちは ”托鉢” を 毎日 欠かさずに 行っており・・・

その ”修行の精神” は 今も 生き続けているわけです。ドキドキ





しかし 日本では ”大乗仏教” が 主流であり・・・

”大乗仏教” が ”所有” することを 否定しませんでした。

そして 平安時代からは ”寺院” による ”荘園経営” が はじまり・・・

寺院は “土地” を ”所有” するようになり・・・

それによって ”食料” も “自給自足” するようになり・・・

それどころか 各寺院は “莫大な富” も ”所有” することになり・・・

”托鉢する必要” などは 全く 無くなったわけです。

現在の日本では ”特別な修行” としての ”形式” によって・・・

”托鉢” が 行われているようです。どんぶり




しかし ”大乗仏教” が ”所有” を 認めている・・・という事実は・・・

仏教の開祖である ブッダによれば・・・

それは ”苦しみの原因” を ”作り出している” ことにも なっており・・・

日本の仏教が 果たして 人々を ”本当に 救うことができるのか?” というような・・・

非常に ”重大な疑問” も 発生しているようです。ガーン 





また “托鉢” について 深く 考えますと・・・

もしも 人間がすべて ”生産活動” を やめてしまって・・・ 

すべての人間が ”施される側” に なってしまったら どうなるのか?・・・

というような 疑問を持つ人も 多くいるようです。得意げ





しかし 人間には どうしても ”欲望” というものがあり・・・ラブラブ

”施される” だけでは 満足できない 存在であるわけです。

つまり 人間界では ”生産活動” を 精力的に 行って・・・ 

”自分の欲望” を 限りなく 満たそうとする人が 確実に 存在するわけです。

そんな ”現実” も ブッダは 見抜いていたようです。目 
 

 



もし これまでの 日本の仏教が ”ブッダの教えに近いもの” であったなら・・・

現在の 日本社会は ”かなり違った社会” に なっていたと思われます。

また 現在の日本で ”托鉢” を行えば・・・

その修行の ”真意” を ほとんど 理解できずに・・・

まるで ”乞食(こじき)” も 同然の行為と ”卑下する” 人たちが 多いようです。

これでは 仏教の ”真の教え” には 到達できません。ガーン 





私たちは 現在も 日本社会で 主流になっている・・・

”大乗仏教” を 尊重するあまりに・・・

”本来の仏教” としての ”ブッダの教え” を “軽視” するようでは・・・

私たちは 今後 ”苦しみの世界” を ”引き起こす” ことになるかもしれません。ドクロ







皆様も “托鉢の意味” について ここで 深く お考えになり・・・

日本社会の ”現状” についても 改めて お考えになり・・・

”ブッダの教え” を 改めて 学ばれてみては いかがでしょうか?ニコニコ













(※) 仏教の ”分裂のエピソード” については こちらの記事を お読みください。星