可能性というもの論、その3。 | やぎろぐ - 千代田区の税理士社長の情熱Blog

可能性というもの論、その3。

その1はこちら。


その2はこちら。



さて、平成2・3年の大学受験、

やたらめったら、どんどん高騰していく合格予想偏差値。

その原因は・・・。



実はベビーブームが関係しています。



大学の定員は決まっています。

多少水増ししても、限界があります。


私の受験した平成2・3年は史上空前の受験者数になり、

それまで経験しなかった総受験者数の多さが、

偏差値の高騰を招いたのです。


まぁ、人数が多いんですから、同じくらいの学力の生徒数も増えるわけです。

あたりまえですよねぇ。

すると、定員がそんなに増えないから、上位からの%だけをみると、

どんどん高騰していきます。

浪人数も増えますし、平成3年もえらいこっちゃに。


たとえば、上位2%程度を表す偏差値70だって、

受験者数が50万人であれば1万人が偏差値70以上。

もし受験者数が100万人になれば、2万人が偏差値70以上。

これは大きな違いです。

同じ偏差値でも、人数が増えてしまえば、大学に合格することは難しくなる。


更に、史上空前の受験倍率となりました。


これもうろ覚えですが、どんな大学だって、

20倍・30倍は当たり前で、

50倍・100倍などというわけのわからない倍率になる大学も出る始末。


私の入った専修も、応募倍率50倍、合格倍率20倍以上、

だったように記憶しています(うそだったらゴメンナサイ)。


いくら学力を競う試験といっても、ちょっとのミスで奈落の底。


大きく負け惜しみを書きますけど(笑)



模試の結果は、世間が上のような状況でしたから、

合格確率はなかなか50%以上にはなりませんでしたが、

六大学レベルで20~50%、日東駒専で50~80%くらいは、

出せていたはずなんです。


なので、現役時代も浪人時代も、先生や指導員からは、


「早慶はともかく、六大学かMARCH(今は違うようですね)はどっか受かる」


「滑り止めで日東駒でいいだろう」


と言われて、結局滑りまくって最後に出てきた(?)専修に収まりました。

でもね、落ちまくったあとの合格通知は喜びひとしお、でした。

母と泣いたもんね。

悔しさもそれ以上でしたが。



大学受験では、敗北感がものすごく強かったのと、

生計が苦しい中で浪人までさせてもらったのに、

という気持ちもあり、大学に入ってからは、

バイトもしっかりしつつ、

授業もさぼらずほぼ全部出たし(授業料もったいないもん)

会計士(これまた落ちたけど)の勉強に邁進していったのです。



大学受験での経験は、

偏差値なんてものはやれば上げることができる。

信じられる方法さえ見つけられれば。


でも、結果は必ずしも思い通りにはならない。


そう、あくまでも「確率」を上げることしかできなくて、

運命を決めることは、偏差値ではできないんだ、

ということでした。



その4に続く。