自分のこと 村上春樹のこと | 佑歌子 まるっと癒すスピリチュアルセラピスト

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あなたのココロと体をまるっと癒すスピリチュアルセラピストとして活動しています。

自分のことを冷静にみるのは難しい

がんばっている

こどもっぽい

包容力がある

わがままだ

色々な自分が鏡のこちらと向こうにいて

どちらが実像で

どちらが虚像かわからなくなる時がある。

もしくはどちらも実像で

どちらも虚像かもしれない。


困る というほどのことではないが

何か少し自分の中できっかけがあると

自分のことが とても いびつで

何か決定的に欠けているんじゃないか

と感じることがある。


それが自己完結する形ならいいのだけれど

世界とつながっていると

その自分のいびつさが

世界を傷つけているのではないか と

暗澹たる思いにとらわれることがある。


このほど きっかけがあり

世界が傷ついている

=わたしが傷つけている

=わたしが傷ついている

ということがあり 

自分のいびつさに思いをめぐらした。


そして いびつさ についての考察をしている中

ふと 村上春樹氏の「ノルウェーの森」を思い出した。


随分昔のベストセラー

世に村上春樹が知れ渡った本


息子は本が好きで 気に入った本を

本当に50回位読む

毎回新しい気づきがあり楽しいらしい


私はせいぜい3回だけど

3回読んだ本は片手で足りる


で 今回3回目の「ノルウェーの森」を読んで

びっくりした。

年を重ねて読んだその本はまた違った顔を

わたしに見せてくれたから。


ほとんどオンタイムで村上春樹氏の本は

デビューから読んでいて

中身を見ずに買うのは最終的に彼だけになった。


なので一冊一冊読む感覚が開いている。


今 デビュー作の 「風の歌を聴け」から

読み直してみている。


そして思うのは

わたしは随分 彼に助けられていたんだ ということ。


主人公のぼく は 一人で自分と

または孤独と向き合い

自分のいびつさに折り合いをつけるように

ひっそりと努力している。

その折り合いのつけ方の方法のひとつは

歯を磨いたり 

やれやれと思いながらひげをそったり 

自分のために心をこめてスパゲティーをゆでたり

サンドウィッチをつくったり

紀ノ国屋で買い物したりする。


すごく瞑想的だ。


彼の本を読んだ後は

わたしのいびつさも 仕方ない

これがわたしなんだから

という気もちになる


OK これがわたしだ

今までもそうだったし

これからもそうだ 

やれやれ


的な感じ。


このほど 彼の本をまとめて読み返してみて

わたしはわたしの人生のステップを

不器用ながら彼をお手本にして

もしくはお手本にしようとしてたんだな

と思って 涙が出た。


彼はわたしではないし

結局人生はわたしのものだけれど

その時ふと思い出すことができる

親友のように

彼と同じ時代で生まれて

オンタイムで彼に助けてもらっていると感じるのは

本当にうれしく思う。


わたしはわたしだと

誰かに言ってもらえるのは

力が湧くものだから。