先日、この方↓にカウンセリングをしていただきました。
◆こころに風を通す心理セラピスト 凪ちゃん

ブログもとてもステキですが、
お話するともっともっとステキでしたはーと♪

やさしーくやさしーく話を聞いてくれて、
いつの間にか、すーっと素直な自分に
戻してくれるような、そんな方です。


で、そう。
カウンセリング。


私の悩みは、
「何をしていても、予想外の展開にならない」こと。


たとえば、ライターという仕事をしていると
時々、人に取材をさせていただくことがあるのですが、
そういう時、私はほとんどすべての質問を事前に考えて取材にのぞみます。


その質問にそってインタビューを進めていくのですが、
途中で話がそれていってしまったりすると、
とたんに軌道修正したくなってしまいます。


他のライターさんが、
「思わぬところへ話が発展して、面白い記事になったよー」
なんて話しているのを聞くと、
「私はそういうふうにならないんだよなー。むむーー」
と思って、すごくうらやましくなります。


で、今、カウンセリングの勉強をしていても、そう。

「人の話を聞く練習」をしているのですが、その練習中も、
ひと通りマニュアル通りに質問をしたら、
「次、何聞こう…?」と思ったまま、ぼけーっと止まってしまう。

なんで私はここから進めないんだろうと、苦しくなります。


てな思いを私が話していくと、
なぎちゃんが「じゃあ、友達といる時はどう?」と聞いてくれる。


そういえば、普段の友人関係でも、
似たようなところはけっこうあるかなー。


たとえば、友人をゴハンに誘う時は、
誘っても断られなさそうな人やタイミングを事前に考えて、
お店なんかも自分で探して、
けっこう計画的にお誘いしている、私。


流れで飲みに誘っちゃったーとか、
急に話が弾んで一緒に遊びに行くことになったーとか、
そういうことって少ないかもなぁ…と。


で、子どもの頃はどうたったかと振り返ってみると、
小学生の頃、今とまったく同じように
友達と接していたことを思い出す。


学校に行ったらきちんと友達はいたし、
事前に約束をして友達と遊びに行くことはあったけど、
「●●ちゃん、今日遊ぼー」みたいな感じで、
放課後急に友達の家に遊びに行ったりっていうのは
あまりなかったなぁ。学校や習い事が終わったら、
わりとまっすぐ家に帰りたい子どもでした。


ここまできて、「むむっ!」っとなります。

昔も今も、私はもしかしたら
自分から急に誘ったりしないし、
人に急に誘われることも極力ないように、
心のどっかで、とても注意深く、用心しながら、
人と接してきたのかもしれない。

仲良くなりたいんだけど、
でも、仲良くなりすぎないように、
慎重に、慎重に。


ということは、私の悩み・「予想外の展開にならない」理由も、
自らその状況を作り出していたからなのかもしれない。


「えーー!?」 とは思いつつ、
今までも、「なんとなくそうなんじゃないかな」と
うっすら思ったことはありました。


でも、今まではここまでくると
「私って人がキライなの?」「それって私がやさしくないから?」
という方向へ考えが進んでいってしまうから、
そうは思いたくなくて、いつもここで考えるのを止める。


今回は、カウンセリングを通して、
とうとうその先まで行ってしまいました。


で、行ってみた結果、
すごーーーーーーーーく気持ちが軽くなりました。


って急にはしょっちゃったけど(笑)


結局のところ、私は、

「仕事が忙しくて何時に家に帰ってくるかわからない母」と
少しでも長く一緒の時間を過ごしたかったから、
他になーんにもせず、毎日家に帰って待っていたかった。  
らしい。


自分でも「うそー。…そんなアホな」と思うけど。  


「お母さんが働いていてさみしかった?」と聞かれると、
「んーー、でも一人で遊ぶのも好きだったし、
いつも祖母が一緒にいてくれたから、
そんなにはさみしくなかったと思う」と答えます。
だって、本当にそう思っていたし。


でも、
「お母さん、私いつも一人でさみしい。
早く帰ってきてほしい」
と自分の口で言ってみたら、
それまで何ともなかったのに、ぼろぼろと涙が出てくる。


私の中にいる「もう一人の私」が勝手に反応するみたい。


好きな仕事をして、それがとても忙しいから
なかなか早く帰ってこられない母。
帰ってくると、料理やら洗濯やら、
たくさんの家事が待っていて、家の中でも大忙しの母。

たぶん、小さな頃の私は、
もっと一緒にいてほしいと伝えたかったんだろうけど、
毎日とっても大変そうに見える母に、
それを言ってはいけない、と思った。


言葉には出さないけど、
その気持ちが消えてなくなるわけじゃないから、
できるだけ予定外のことはせずに、じっと家で母を待つ、
少しのチャンスも逃さないように。
という行動パターンがずっと残った。


予想外の展開を拒否していたのは、
母と一緒にいたかった「もう一人の私」。


すごく不思議だったけど、納得できるような気もしました。
もう一人の私が、「やっと気づいてくれてうれしい」と
喜んでいるような感じがして。


母が大好きだったから、さみしくされて怒っていたけど、
母を悲しませたくなかったから、それは言わないことにした。


「私ってけっこうやさしいヤツなのかも。えへへへ」
と思ったら、なんだか自分のことが好きになれました。


ここまで導いてくれた、なぎちゃんってすごい。
カウンセリングってすごいなー。受けて良かったなー。


これまで、マスターコースでさんざん自分のことを見てきて、
その度にひとつひとつ自分のことを知って、
今回もまた知らなかった自分をひとつ知ることができた。
もうさんざん見たよ、と思っても、まだまだ出てくる。
こころって本当に不思議なんだわーー。


最後に、「これからもお母さんのことを待ち続けるの?」
と聞いてもらった時に、
「自由に行動してみたい。お母さんみたいに」
と思いました。


思いつきで、自由に行動してもいい。
わくわくするけど、こわいなー。
こわいけど、わくわくするなハート



おわりうさぎ

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