丁度どこかから帰ってきた恐らく邦人男性であろう男が、
僕に話しかけてきた。
『君達。日本人か?』
彼は既に酔っていた。
喋るとすごく酒臭い。
外見から判断すれば、定年間近でリストラされたような感じのおっちゃんだ。
そんなおっちゃんがヘベレケ状態で絡んできたのだから、
たとえ相手が日本人であろうが、
適当に話を切り上げてその場を立ち去りたいというのが本音だった。
しかし彼が次に発した言葉で、それを行動に移すことを躊躇わざるを得なくなった。
『おっちゃん少し寂しいんだよー・・・。ちょっと話してもいい??』
NOが言えない日本人。いや、というか誰だってそういう言い方をされれば、
『あ、そろそろ寝るんですみません。』と答えにくいのではないだろうか。
『ちょっとだけなら大丈夫・・・です』
おっちゃんに対して僕はそう答えていた。
『本当!?いいの!?』
瞬時に笑顔になるおっちゃん。
こうして僕とおっちゃんの会話は始まった。
会話のやりとりの中で、
おっちゃんがタイに1年以上滞在している事が判明した。
後の会話は終始、何故か説教じみた感じとなった。
やれ関西は言葉が汚いだの、関西人は怖いだの、
僕の記憶の片隅にある会話の内容は、そんなもんなのだから、
大半がそういう会話だったのだと思う。
日本が恋しいそのおっちゃんは、
やはり恋しい日本の話を一通り話し終え満足した後、
こう言った。
『ようし、おっちゃん、なんでも答えてやるぞう。』
おっちゃん、両腕を後ろにぐぐっと寄せ、代わりにムネをググっと突き出しながらさらに。
『タイの事ならなんでも聞いてくれ』
そう言った。
・・・・・・。
いや、タイの事なら、ヤギに聞けばいいし、ラクダさんやぷにょさんもいる。
それに聞きたい事、特にねえんだよなぁ・・・。
ああ、そうだ、明日、ミャンマービザを申請しに行くから、念の為、大使館の行き方でも聞いておこっかな。
そう思い立った僕は、いい加減限界に達しかけていた睡魔もあってか。
“じゃあ最後に一つだけ聞かせてください”と、
最後を強調しながら、
『ミャンマー大使館の場所、どこですか?』
と尋ねた。
予想外の質問だったのか、瞬時に目を丸くするおっちゃん。
次いで彼は今一度胸を大きく張り、その質問に対して力強く答えた。
『知らん。』
うん。知らん・・・ってええ!?
あんたさっきなんでも聞いてくれ言うたやないかーーー!!
約束が違うやないかー!!!
『え・・・あ・・・じゃあBTS(電車)の最寄駅ってどこですか?』
ミャンマー大使館へは電車で行けるという情報を仕入れていたので、
質問を切り替えた僕。
すると彼はまたしても胸を張り、こう答えた。
『知らん。』
お前結局何も知らんやないかーーーー!!
1年以上タイに滞在してて、電車の場所も知らんっておい。
あまりにもおっちゃんの無知加減に半ば放心状態に陥っていると。
その隙をつかれ、次の会話に発展した。
『なんでミャンマー大使館の場所が知りたいわけ?』
そう尋ねるおっちゃんに『ちっしまった』と心の中で思いながら、
『ミャンマーに行きたいので』
と答えると、何をどう間違ってか、
明日ミャンマーに行くと解釈され、
次の瞬間衝撃の状況に突入した。
『何をグズグズやってんだ、お前はーーー!!』
いや、今度はキレキャラかよ!!!
何故激怒しているかわからないこのおっちゃんに、
きちんと一から説明する僕。
するとどうやらビザ申請したいという事がわかってもらえた模様。
一瞬、場の空気が沈黙になった。
その瞬間を見逃すはずが無い。
『じゃあ、そろそろ寝ますんで』
僕は自然とその言葉が出ていた。
おっちゃんとの長きに渡る戦争が・・・終結した。
2階へと上がっていくおっちゃんの後ろ姿を見送っていると、
酔いつぶれたラクダさんの隣に座っていた男が、口を開いた。
『亀さん、あの人と僕3回食事行った事あるんですよねー・・・』
その男は話を続けた。
『きっちりワリカンにしときました。あの人にカリは造りたくないので』
いや、3回も食事に行く仲なのに、
その言い方はないだろう・・・。
男は名を長沼と名乗った。
2日前、ひょんなとこからこの宿にやってきたのだ。
知らず知らずの内に長沼は会話に加わるようになり、
実はこの日は4人ではなく、5人で話をしていた。
さてここで。
物語はおっちゃんの話から、彼の話へと移り変わってゆく。
→主人公交代
おっちゃん→長沼
この時はまだ・・・
長沼は知らなかった。
彼は彼を取り巻く環境で彼が最も想像しなかった悲劇が
彼自身の身に振り掛かることを・・・
続く。
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