ここのところのJW統治体は
例の児童虐待関連裁判の賠償金捻出に
忙しいご様子ですが、
同時に経費の大幅削減を目的とした
なりふり構わぬネット化を推進しています。

それはそれで結構ではありますが、
過去に言ったこと、書いたことには全く責任をとらない体質
「伝統」 のようですね(/・ω・)/

このことをはっきりと示すことが先週あったと感じました・・・・。


11月17日に始まる週の奉仕会
一番最初のプログラム(10分)は
「本当の友達とは?」というものでしたが、
内の会衆の場合、集会前にはすでにステージ上に
TVモニターが鎮座しており、
準備万端でした(^_^;)


さて、このプログラムの目指すところは、王国宣教の筋書きに
このように書いてあります。

(jw.orgを開く。
ホーム > 聖書の教え > 若い人)というホワイトボード・アニメに基づく討議。
最初にビデオを流して聴衆に見せる。
その後,以下の質問を用いた討議。
(1)本当の友達とはどんな人ですか。
(2)友となる人にどんなことを期待しますか。
(3)どうしたら良い友達を見つけられますか。
(4)友情を成長させるためにどんな努力が必要ですか。


はっきり言って、これはJW.orgを 
「宣伝し、宣伝し、宣伝しなさい」 ということでしょう。


ま、宣伝するのは自由ですが、
過去にこんなことを言っていたのを
統治体の方々はお忘れなのでしょうか?

以前わたしのブログでは
★一致よりも画一性を高く評価するものみの塔協会
http://ameblo.jp/whitetomb/entry-11051261448.html
という記事を書きましたが、
その中で、会衆の長老団宛への2007年8月4日付の手紙
「会衆の集会でコンピューター情報を映写することについて」
を引用しました。

そこにはこんな記述が・・・・・。↓

時おり長老たちから、会衆の集会において
"PowerPoint"(パワーポイント)などで
コンピューター情報を映写して提供しても良いか、
という問い合わせを受けます。
以下の指針をお伝えします。

「神権宣教学校の教育から益を得る」の第47課には、
視覚に訴えるものを使用する事に関して、
平衡の取れた見方がはっきり示されています。
その種のものは控えめに用いるべきです。
(校249ページ5節)

中には、コンピューターによる視覚教材を
会衆の集会で用いることには利点があり、
教えの効果を高め、
聴衆の注意や記憶を助けることができると
考える人もいますが、
視覚教材の目新しい用い方は、
実際には、神の言葉から、
また「忠実で思慮深い奴隷」が会衆の集会を通して
供給している霊的食物から
注意をそらせてしまうことがあります。

(マタ24:45。詩119:105)


※赤字は管理人


7年前にはこのような指針が出ていたのですが、
これらの指針はどこに行ったのでしょうか?

今回の奉仕会のプログラムは
JW.org のビデオをダウンロードして
それを皆に見せてから討議するという
視覚教材の目新しい用い方ですよね?

こういったやりかたは、
「忠実で思慮深い奴隷」が会衆の集会を通して
供給している霊的食物から
注意をそらせてしまうことには
ならないんでしょうかね(苦笑)


まぁ、天下の統治体様が言うことは
「その時点での真理」 だそうですから、
過去の指針は今は関係ないので
奴隷級が過去の発言の責任を取らないのは
いいらしいですけど、
平信徒は 「ダメよ~、ダメダメ」(爆)