ひとり言 | 進藤祐光の多事争論

進藤祐光の多事争論

世の中を見つめるカメラになりたい



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デジタルデータから紙出力されたプリントを舐めるように眺めているのだが写真に見えない。

フィルムで撮ってプリントした写真こそ写真である。

など、どーでもいいスパイラルにはまっている。

やはり写真はモノクロだ。
自分自身の精神を安定させるには暗室作業が1番なのだ。

だがしかし、撮って即出しのスピードはデジタルデータの魅力。
現像を待って、半日かけて液をとき、何枚もテストプリントしてやっと渾身の一枚を制作するというような時間の余裕はまだ持ち合わせてない。

自分史を語ると産まれ育った環境には必ず暗室があった。

気がつけば写真館が実家だったのだ。

仕様も24時間何時でもはいれるプロ仕様の暗室だったのだ。

一般的に写真をやる人は機材がどうなのか?や、何をテーマに撮るのか?が大事だとおもう。

僕的には一連の写真を撮る行為も含め、身の回りの手の届く範囲まで写真をワンストップで作業できる環境が大事だったりすのだ。

ないものねだりとは重々承知だが、今はスタジオや暗室や作業場が3ヶ所に分散されているのだ。

タイムロスだ。

20代30代とひたすら広告写真を学び、向きあい、撮ってきた。
世の中の時流や景気に左右されるぜい弱な業界に身を置いてきた。

40代は自分自身の為の写真と、訪ねてきてくれる方々の為に誠心誠意写真を撮って生きるようにしょうとしている。てか、目標としている。


さて、どーでもいい事を悶々とループしているのだが結論はやはり写真は楽しい。

明日からも更に仕上がりが良くなるような工夫をひねりだし、喜んでいただける制作をやろう。

それにしか興味がないのである。

今日も生きさせていただけた事に感謝し、明日も一生懸命写真道を精進します。

ありがとうございました。