猿の三次 | ナベちゃんの徒然草

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還暦を過ぎ、新たな人生を模索中・・・。

中高年世代の方には、懐かしい俳優さんだと思います。

今日は、TVドラマを中心に活躍した

 松山 英太郎 さん

の命日・・・早いもので、二十七回忌にあたります。

松山(※本名の読みは〝ひでたろう〟)さんは、1942(昭和17)年に前進座の女形・5代目河原崎國太郎の長男として東京・吉祥寺に生まれました。

5歳で前進座の『弁天小僧』で初舞台を踏んだという生まれながらの俳優だった彼は、中学卒業までに数本の映画に出演すると、1960(昭和35)年には高校を中退して俳優座養成所に12期生として入所。

同期には中村敦夫さん、加藤剛さん、成田三樹夫さんらがいました。

1963年に卒業し、その翌年にTBSのドラマ『七人の孫』に出演して人気が出ると、以降 『肝っ玉かあさん』、『時間ですよ』 等に出演するなど、演技力のある脇役として活躍しました。

しかし個人的には、松山さんというと現代ドラマよりカツラをかぶった時代劇の方が印象深いですネ。


かつてTBSの月曜夜8時からのナショナル劇場では、俳優座で同期だった加藤剛さんが主演する『大岡越前』にギュラー出演。

義賊だった彼が捕縛されて改心し、以降表向きは小間物屋をしながら大岡忠相の密偵を務める〝猿(ましら)の三次〟役が、007のようなスパイっぽくて印象に残っています。

        


森重久弥さんに可愛がられ、また撮影現場では教育係として新人俳優の面倒見も良かったといわれた松山さん・・・善人は早死にするとよく言われますが、彼もその例外ではありませんでした。

芦田伸介さんの一人娘と結婚・離婚をして以降独身だった彼を、ガンが襲います。

1990年9月、微熱が続き口に入れた食べ物が引っかかると感じた彼が病院で診察を受けたところ、診断はなんと末期の食道ガン。

すぐに手術が行われましたが、既にガンは肺・肝臓にも転移していて手遅れの状態だったとか。

悪い事は重なるもので、その手術の3日後に父親が脳梗塞により80歳で他界。

後に行われた劇団葬には、2度目の手術直後だったため喪主でありながら参列できませんでした。

その後一時は回復の兆しがあったものの、正月を過ぎて体調が悪化。

1991年1月11日に、まだ48歳という若さでこの世を去りました。 (その若過ぎる死は、後に親友の竹脇無我さんが鬱病を患う一因になったとか。)

納骨は父親と同時に執り行われたそうですが、きっとオヤジさんはすぐに追いかけてきた息子に、

「バカヤロウ、何でこんなに早く追いかけてきたんだ!」

と怒ったでしょうネ。 そして英太郎さんは、

「いや、面目次第もございません。」

と、苦笑いしながら平謝りしたのかも。

もし存命であったなら、今頃はいい老人役を演じていたでしょうに・・・残念です。

あらためて〝猿の三次〟のご冥福をお祈り致します。

余談ですが、えなりかずきさんはこれから先松山さんに似た役者になりそう、なんて思いませんか?あせあせ

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