日本映画では、『フーテンの寅さん』や『釣りバカ日誌』など、シリーズもので長い間ファンに愛される作品があります。
また北野武監督のように、国内での興行収入はイマイチなのに、海外では抜群の評価を受けているような事例もあります。
しかし第一作目の作品から高く評価され、以降毎回違った題材を掘り起こしては毎回のようにヒットを飛ばした映画監督・・・といえば、
伊丹十三 氏
ではないでしょうか。
伊丹氏が、突然事務所の入居するマンション屋上から飛び降り自殺を遂げたのが、11年前の今日・12月20日のことでした。 まだ64歳の若さでした。
映画監督・伊丹万作氏を父に、妻・宮本信子は女優、妹の夫が大江健三郎という、まさしく芸術一家であった伊丹家。
当初伊丹氏は俳優として活躍していました。 『北京の55日』などの外国映画に出演したり、『家族ゲーム』では脇役としてキネマ旬報賞・助演男優賞も受賞しています。
そんな彼が40歳過ぎからドキュメンタリー制作に関わるようになり、51歳で遂に映画監督としてデビュー。 以降『タンポポ』や『マルサの女』など〝~の女〟シリーズのヒットで、伊丹映画は低迷気味だった日本映画の復活に大きく貢献しました。
そんな彼のデビュー作が・・・私のお仕事そのものである、
『お葬式』 (1984年公開)でした。(↓)
この映画は、伊丹氏が義父の葬儀をきっかけとして、僅か一週間でシナリオを書き上げたというデビュー作でしたが、同年の日本アカデミー賞を始め30以上の映画賞を総ナメにした衝撃作でした。
公開当時、私は保険会社の営業マンでしたので、単なる娯楽映画として笑いながら観ていましたが・・・今自らが葬儀のお手伝いをさせていただく立場としてこの作品を見直すと、お客様の目線から見た〝葬儀感〟に、いろいろと気付かさせてくれる貴重な作品です。
(まぁ、中には「そんなアホな!」という場面もありますけどネ。)
自らの経験を次々と題材に取り入れ、『ミンボーの女』 を巡って襲撃を受けたことにより護衛がついたこ とを今度は 『マルタイの女』 の制作に結びつける・・・そんな人一倍鋭く豊かな感性の持ち主だった故に、亡くなる直前に写真週刊誌で不倫疑惑が取り沙汰されたことが、一般人の想像を超える深い傷を伊丹氏の心に与えてしまったのか・・・?
映画監督としてまだこれから・・・という時に、この世を去ってしまった伊丹氏。
あらためてご冥福をお祈り致します。 (-人-)