ピースボート、訴訟切り崩し作戦 | 地球一周の船旅 * その後

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2010年1月14日(木) ピースボート、訴訟切り崩し作戦

ピースボートが訴訟の切り崩し(弁護士さんから聞いた用語)を始めました。

目的は「訴訟の被告からピースボートを除いてほしい」ということのようです。

一つの動きは、11月中旬に、ジャーナリストの鎌田慧さんからコネを通じて原告団のある方にコンタ
クトがありました。鎌田さんは62,63回の水先案内人ではないので、PBが鎌田さんに折衝を依頼し、
情報を提供したのではないか、と思われます。
その方が鎌田さんと会われたのですが、要は、世話人代表のKさんともう一人の世話人Sさんに
会って話を聞きたい、ということだったらしいです。

12月中旬、Sさんに鎌田さんから電話があり「裁判をするとPBがつぶれる、吉岡をどこへでも連れ
て行く、謝らせる」と言われそうですが「全員の同意が必要だから個人の判断では会えない」と
断られました。その後、代表のKさんに電話があり「話が聞きたい」と言われたそうですが
「代表という立場上個人としては会えない」と断られました。

その後、12月25日付けの文書が各地の原告団24名のうち21名に速達で送られてきました。
差出人は、鎌田さんを中心にした昔からの協力者・水先案内人の方達の中から選んだ(というか
連絡の取れた?)方達のようです。62回・63回の水先案内人が約半数を占めておられます。
随所にPBとの共同作業が伺える封書・文章でした。

何故か、KさんとSさんと私の3人には、それから遅れること3日間の12月28日付けの同じ文書が
速達で送られてきました。この3人の遅延は何だろう、と、経緯と照らして、いろいろ推測して
います。それにしても、どうして私が?(このブログのせい?)

下にその文章を載せますが、起草責任者として挙げられている方々のお名前を載せることは控えます。

地球一周の船旅 * その後

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(*注:この画像は最初に送られてきたものなので、12月25日付けです)

この方達は、62回の単に船のトラブルに対する損害賠償訴訟ということしかご存じないようです。
当然のことながら、PBが都合の悪いことを含めて説明されたとは思えません。船内での人権侵害や
船内及び帰国後の話合の拒否(要望書の無視)をお知りになったら、どうお考えになるでしょうか。
上の文書の最後の文節「話合によって相互に理解しあう、市民的、民主的な解決方法」は、そのまま
こちらからお返ししたいと思います。

もう一つの動きは、PBの幹部やスタッフの方々が、原告団の個人に直接会いに行ったり、電話を
かけてきたりされたということです。
12月20日札幌のPB説明会後に、吉岡さん(日高さん・女性が同伴)が北海道在住の方に会って、
「ピースボートを被告からはずしてほしい」という主旨のことを言われたとか。
しかも「原告団が敗訴することになれば、高額の米国の弁護費用も弁済することになるのも予想され
るので、このためにも裁判をやめた方がいい」的なことも言われたらしいです。船中でJGの三浦
弁護士が「タンパのホテル代も皆さんに請求できるのですよ」と言われたのと、似ています。

その後、上記の鎌田さんの手紙と前後して、東京・広島・大阪・奈良など数名の方宅にPBの日高さん
(62回PBのクルーズ責任者)から電話があったようです。日高さんは12月28日横浜出港の68回
クルーズに乗られたそうで、乗船前に精力的に電話攻勢をかけられたのでしょう。
効果がないと分かって、上記鎌田さんらの文書が28日付けで3名に送られた、とか、ありでしょうか。
1月5日には、有名なPBスタッフの女性がわざわざ大阪の方を訪問して、「訴訟には関係ありません」
ということで、70回クルーズを勧められたとか。(70回は62回の縮小版ですが・・)

このPBの動きも、1月5日を最後にぴたりと止まりました。
切り崩しが不調、ということでこの作戦を断念されたのでしょう。

第一回の公判には、原告は訴状を、被告は答弁書を読み上げるだけとのことですが、その答弁書は
公判の2週間前までに裁判所に提出するそうです。どんな内容になるのか興味深いです。

最後に、余分なことですが、
水先案内人の方達の手紙では、若者だからと強調されています。でも、25年前の理想に燃えた若者達
も今や40才代後半となり、PBのあり方もJGと組んだ営利目的重視ともなれば、社会的に若者だから、
と許されるものではないでしょう。現在のPBの若者達が一所懸命にやっていることは認めます。ほん
とうに良くやっていると思います。ただ、大切な方針は上意下達で東京から伝えられ、62回の船内で
起きたことに対しても、若者達自身がそれに対して自分で考えて行動するという姿勢は見受けられ
ませんでした。又、批判的になった若者は離れていく、ということも耳にしました。
高額の旅行費用を支払う平和活動に関心のない観光目的の方達が大勢いるからこそ、現在のPB活動が
成り立っていることを、若者達にも知らせるべきでしょう。
PBがこの訴訟を契機にこの25年間を省みて、1000人もの人命を預かる船旅の安全性を軽んじること
なく、利益追従に走ることなく、本来の理想を達成するために出直して頂きたい、と私は願って
います。憲法9条を世界に広める資格のある、人権を重んじる(人権侵害なんてとんでもない)NGOでは
なくNPOとして再出発してほしいと願っています。