民家の階段(仮) | けものみち

けものみち

日記のようなものです。

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絵の題名に悩みながら、画面を明るくしたり、暗くしたり\(゜ロ\)(/ロ゜)/
この写真では少し暗い時。




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そろそろ光源を入れましょう。
という、緊張感漂うシーンですが猫が落ちています。
こういうときに限って、よりだらしなく落ちています( ΦωΦ)




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電灯を描きました。

パキッと浮かんでいて気味が悪いので、つい明度を落としたくなります。
でも電灯ですから暗くてはおかしいです。
これを基準に他を調整してゆきます。




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そろそろ登れそうな階段になってきましたか(*'ー')?

これからさらに、電灯の影響が出ているはずの所へ光を入れていきます。
そして色合いの調整をしたり、影の調子を整えるなりして
絵は完成に向かいます。

色合いはもう少し、いかにも「灯火」らしい温か味を持たせたいところです。
絵を見るなり「赤っ」という印象にならないところで
うまく止めなくてはなりません。

自室の照明(白熱灯)で見たり、日光の下で見たりして
どの色にするか決めようと思います。
画廊の照明は、たいてい自室と「障子越しの日光」の間くらいの感じであります。


技術的なことを考えながら、気持ちも大事にしたい絵であります。

この父方の田舎の家を描いていて、時々思うのは祖母のことです。
父方の祖母、サン(名前です。ひらがな説も有り。)は昭和21年に亡くなりました。
その前年には父の次兄(サンの次男)が7月に熱射病で
8月に長姉が結核で亡くなっています。
それぞれ10代半ばと、20代半ばでした。

サンは仏壇を注文しました。
本漆、螺鈿、金の蒔絵で天国を描く様な仏壇を作ってもらう事にして
しかし待っている間に自身がみまかりました。

彼女にはまだ生きている子が2人居ました。
1人は次女で18歳、福岡に養子に出していました。
もう1人、末っ子の男の子「治男」が9歳。
治男は色が白く気やさしく、喘息が出たりもするような子でした。

サンは最初の子(長男)を7歳で亡くしています。
原因は次男と同じ熱射病でした。

そうして子供達に死なれていって、自身が死んで
彼女はどれだけ、治男を置いてゆきたくなかったことでしょうか。
それから養子に出した次女の事も、どれほど気がかりだったことでしょう。
次女は、子の居ない親類の家へ養子に出したのですが
数年後にはその家に男の子が生まれていました。
(やがて次女は実家に帰ることになりますが、サンはそれを知り得ません。)

現代に戻り‥ここ何年かで、私と世代の近い友人の多くが母になりました。
そしてずっと年上の女性達は相次いで祖母になりました。
どの人も忙しく、疲れながらも、幸福の最中という様相です。

そんな人たちを何人も見てきたためでしょう。
私はサンに会いたいです。

しかし死んだ人には会えません。
これは約束です。人は基本的に、死んだ人に会えてはいけないんです。
会えてしまったらそれは、死が死ではなくなります。
どうしても、死んだら、死んだにならねばなりません。

それでも私は絵を描きながら、サンに語りかけます。
「おる(居る)よー」と。
私もあなたの事を、知っているよと。
海風に消されないように大きな声で叫んでですよ。

孝子が帰ってきて家を継いだよ。
治男も無事に大人になれたよ。
子供が生まれて、その子もまた大人になれたよ。

その子が今、家の階段を熱心に絵に描いておる。
馬鹿な子で申し訳ない‥でも元気ですよヽ(;'ー')ノ


絵の光の描き方が上手くやれたら、題名は『燦』としましょうか。
燦…サン。

いや、じいちゃんの事も忘れとらんですけどね(*'д')?!

そのうち『耕』って題の絵も描きましょうか。
じいちゃんの名前、コウであります。

じいちゃんのお父さんは足軽頭で、一応武士の末端で
後に公務員みたいなものになって青海島という島に派遣されて‥
その青海島は漁業の島なのに、何故に「耕」でありましょう。

ひいじいさんにも会いたいですね。
聞きたいことが沢山ありますよ、あなたには。

だいたいですね

( ΦωΦ)=3


とりとめも、とめどもないのでこのへんで。

おやすみなさいまし(*'ー')ノ