エンパス関連の記事では何度も登場している「エネルギー・バンパイヤ」ですが、今日はこれについてだけアップします。

一緒に居ると、なぜか疲れる人はいませんか?

誰かといると自分が弱くなったような気分になったり、あるいはそれまでのご機嫌なムードが一瞬でなくなってしまうという経験はないでしょうか?

誰かといて、何か自分が悪いことでもしているような気分になったことは?

それは誰かのコントロールドラマのパターンにはまったのかもしれません。

ただ注意していただきたいのは、誰か「エネルギー・バンパイヤ」的な人がいる、というわけではなく、誰もがこの4つのうち一つ以上の「クセ」を持っているということです。

「エネルギーを盗む」ということですが、要はちょっと肉体的・精神的に疲れている時などに、他人に当たってしまう時のクセという感じではないでしょうか。


さらに、この情報は他人のクセを見つけ出すようなことを促すことを目的にしているというよりも、自分の中の特有のクセを見つけ出して、そういうクセに意識的になることでドラマに巻き込まれないようにすることを勧めているものであると私は考えています。

小説「聖なる予言」に詳しく説明があります。






2014年6月「エネルギー・ヴァンパイヤから身を守る方法」
http://ameblo.jp/wake-up-japan/entry-11885869274.html

から一部引用します。





(引用開始)


また、エネルギー・ヴァンパイヤのお話を読んで思い出したのが、ベストセラー小説、「聖なる預言」の「コントロール・ドラマ」の部分でした。

こちらのブログに、コントロール・ドラマの説明がありましたのでご紹介させていただきます。

一番最初の人間関係の基本となる親子関係において、特にこのドラマが問題になるということで、子供に接する時は気をつけたいものです。



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幸せの種を見つけよう!様】「聖なる予言」(2)

http://happy-happy.tea-nifty.com/tane/2004/09/post_1.html



人は育ってきた家庭環境によって、他人からエネルギーを奪う癖を持っている。攻撃的にむりやり人の注意を自分に向けさせるか、受身的に人の同情や好奇心に働きかけて注意を引くかする方法があり、それは大きくわけて脅迫者、尋問者、被害者、傍観者のドラマに分けられます。



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「尋問者」は他人からエネルギーを得るために、批判的になる。誤りを見つけ出すという特定の目的をもって、尋問しては他人の世界に介入する。誤りを見つけ批判する。

その戦略が成功すると、批判された人はドラマに引きこまれる。

尋問者のまわりいると、自分のことが急に気になり、言動に注意を払い、間違った事をして尋問者に見付からないように気をつける。

批判されないように行動しがちになり、自分のエネルギーが吸い取られ「自分」が失われるが、それは相手がどう思うかによって、自分自身を判断しているから。


「被害者(犠牲者)」は、同情をひくことによって譲歩と注目を勝ち取ろうとする。自分に起きたひどい出来事を話し、いかにも相手に責任があるように匂わせ、もし助けてくれなければひどい出来事はずっと続くと訴える、受身的なレベルで他人をコントロールする人。

「被害者」と一緒にいると、何の理由もないのに罪悪感を感じ、自信を失い、この人の為に十分尽くしていないのだと思う程に追い込まれてしまう。

「傍観者」はよそよそしく、無関心で、あいまいな返事しかしない。

何か理由があって自分のことを人に知られたくない場合と違い、相手がこの人は話をしたくないのだ、と結論を出して他に注意を移してしまうと、戻って来ては自分との会話に引き戻すために何か言い出す。

自分の方にエネルギーを取り込むために、心の中でドラマを作り、自分の内にひきこもり、神秘的で謎めいてみせる。誰かがこのドラマにひっぱりこまれて、何が起こっているかを探り出してくれないかと待ち望むが、はっきりしないので、相手は本当の気持ちをわかろうと大変な苦労をし、傍観者にかかりきりになる。長い間相手を引きつけ、困らせておけばおくほど、傍観者はエネルギーを沢山受け取る。

「脅迫者」は相手を言葉や暴力で脅し、脅された人は、何か悪い事が起こるのではないかと恐れて、「脅迫者」に注意を払わざるを得なくなる。その結果「脅迫者」にエネルギーを相手に与えてしまう。



場合によって使い分ける人もいるが、誰もがこの4つの型のどれか支配的なドラマを1つ持っていて、それは子供時代に家族に対してどれが1番効果的だったかによって決まる

自分のドラマがわかると、無意識的な行動から抜け出す事が出来て、ずっと自由になれる。つまり、その家族に生まれた霊的な理由がわかり、自分が本当は何者なのかが明らかになり始める。

私たちは大体において、他人から自分の行動や癖について、いろいろ文句を言われ続けているが、自分をだめにする癖や思い込みを、客観的に見て、手放して行かなければならない。問題の根本的な原因に焦点をあて、知的理解をおこしたものを見ることが必要である。そうすることで初めて、外的原因に左右されない安らぎが得られる。

(以上「聖なる予言」(P200~208)「聖なるビジョン」(P85~101)より抜粋要約)



(引用終了)

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「人生の中の小さな出来事を楽しもう。


なぜならある日、あなたは過去をふり返り、

その小さな出来事が実は大きなものだったことに気がつくからです」