ニートの僕が子育てをしたら 第1章(8)後編 | ニートの僕が子育てをしたら

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こんにちは。
黄金龍星です。

バーチャル・パレンツ内の教育施設 エデュケーションセンターの講座に出席した隆。ユニークな講座に色々と感じるものがあったようですね。

さて、本日のお話は講座の後半です。

それではお楽しみ下さい。

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ニートの僕が子育てをしたら 第1章 8話(後編)

前編のつづき


すると前列の方に座っている女性が手を挙げた。

「はい。知的な雰囲気を感じるあなた・・・どうぞ意見を述べてください。」

キャリアウーマン風の女性が立ち上がり、

「私は、恐怖というものは自身が作り出す幻影だと考えています。
恐怖そのものを知り、その恐怖にきちんと対応することで、その恐怖はいずれ恐怖で無くなるのではないでしょうか。

 確かに災害や病気は私にとっても恐怖に感じるものです。でも私は先ほどの方達のような恐怖を感じることはありません。なぜなら、災害や病気を知り、自分ができる範囲で対処を行っているからです。

 災害に恐怖を感じるのであれば防災対策を怠りませんし、ストレスを感じるのであればストレスを回避する様々な方法を私は学んでいます。

 きちんと対策を実行すれば、恐怖という幻影は必ず自分の中から消えて行きます。でも、一つの恐怖が消えると次の恐怖が襲ってくるのも人生なんですけどね。

 そのたびに私は対策を考えますので、おかげ様で色んな知識と経験が身に付くようになりました。でも、一つだけ恐怖ではありませんが・・・悩みが・・・。」


という女性の話に対して、マイヅル先生が、


「さて・・・どんな悩みですか?」


と尋ねると・・・女性はニンマリしながら、

「王子様が私を迎えにきてくれないのです。男性が私に・・・君は何でもできるから王子様は必要ないだろう?って。私はこんなにか弱い女性なのに。」


彼女の困った顔に受講者の多くが笑っている。

そんな彼女の話にマイヅル先生は、

「確かに・・・それはそれは大きな悩みですね。こんなにインテリジェンス溢れる女性を放って置くなんて世の中の男性はどうかしています。私も独身であれば、すぐにアプローチしていますよ。」


と返したので、また教室の中で笑い声が上がった。


「はい。話を元に戻しますが・・・彼女が今話してくれた恐怖の克服方法は大変興味深いものがありますね。恐怖というのは自身が作り出した幻影である。

という説は個人的にもとても関心があります。
では、この彼女の意見に対して何か考えることはありますか?」


すると、後ろの方から男性が手を挙げた。


「確かに・・・それもある側面から考えれば正しいと言えるかも知れません。でも、恐怖を幻影だと知ったとして、人は本当に全ての恐怖を克服することができるのでしょうか。

対処できる恐怖であれば彼女の方法は有効かもしれませんが、対処できない恐怖を感じた場合は有効ではないような気がします。

例えば、幼少期に受けた傷が該当すると思います。
トラウマと世間一般で言われているものです。

このトラウマは幼少期に受けたストレスが原因で、脳に傷が入り・・・その人の人生に得体の知れない恐怖を刻み込んでしまうことがあるという話をある脳科学の先生から聞いたことがあります。

恐怖そのものの正体がわからない場合はどのように対処すれば良いのでしょうか。正体がわからないものに対して人は備えることができない場合はどうすれば良いのでしょうか。」

その男性の投げかけにマイヅル先生は、

「確かに彼の言うとおりですね。恐怖にも対処ができる恐怖と対処ができない恐怖の二つの種類があるという話はこれもまた興味深いものがあります。では、この彼の話について考えがある方はいますか?」

若い女性が手を挙げた。

「私も彼の意見に賛成です。リアルの世界では幼児の虐待や暴行が日常茶飯事です。これだけストレスが多い社会で大人も理性を失いつつあるようです。いくら虐待や暴行が問題行為であると言っても、一向に止むような気配はありません。

彼の話を聞いて、私は次の方法を一つ考えたことがあります。

それは「結婚制度」というものを考え直す必要性があるのではないか・・・ということです。
 
結婚する際に、きちんと子供を育てることができる力があるのかどうかを国が機関を設けてテストするのはいかがでしょうか。」


そんな彼女の大胆な提案に・・・マイヅル先生は、

「それはおもしろいですね。恐怖を克服する話から少し外れますが・・・あらたに考えてみる価値のある話だと思います。もう少し具体的にお話をしてくれますか?」

とマイヅル先生が彼女に投げかけると、

「はい。例えば従来の結婚は恋愛の延長に結婚をするパターンが多いと思います。でも、それが基本的に問題の始まりではないかと私は考えるのです。恋愛の延長線上に結婚がある訳では無く、それはきちんと切り離して考えるべきではないでしょうか。

結婚はよりよい子孫を残すためにするべきです。

だからと言って私は恋愛結婚を否定している訳ではありません。もちろん愛情を感じることができる相手とより良い結婚行うことを理想としています。

しかし、それだけでは後に離婚などの悲劇を作り出す可能性があります。

そういう意味で結婚はもっと厳密に・・・子供を作らないと決めた場合はまた別の話になりますが、子供を作ることを前提とした結婚の場合は、先ほどにもお話したとおり、第三者の機関で、結婚して子供を育てる能力を持ち合わせている人物なのかを適性チェックをする必要性があると思います。」

彼女の話にマイヅル先生は、

「そうですね。確かに現在結婚されている多くの人達は、恋愛という感情の延長線上で結婚をするケースが多いという意見に私も同意します。そのこと自体が良いか悪いかをここで論じるつもりはありませんが、確かにそのことが幼児虐待などの社会的暗部を作り出す要因の一つでもあるという意見も一つの見方と言えますね。

では、結婚を審査するためには何か基準というか物差しが必要だと思います。
その基準はどんなものがあるでしょうか。誰か考えのある方はいますか?」

今度は年配の男性が手を挙げた。

「大人として自立した能力を持っている。という基準を物差しにしてはいかがでしょうか。どちらか片一方に経済的なことや精神的な面で依存しなければならない夫婦関係は家族というシステムを歪ませる危険性があります。

依存は安心を得ることができますが、逆に不自由な面も作り出すからです。
具体的に言うと、依存する人間は依存を許す側に支配されます。

経済的に依存をすれば、経済力がある方が経済力が無い方を支配してしまうという意味です。

その支配から逃れることを依存する者が望むと、、依存を許す側からそれまで与えられてきた安心を手放さなければなりません。

ここで必ず依存する人は葛藤が生じるでしょう。

依存から得ることのできる安心を取るか安心を捨てて自由を得るか。
この二つのどちらを手放すことが自分にとって良いか天秤を掛けるのです。

しかし依存を好む人のほとんどが依存を許す人から与えられる安心を手放すことができません。その理由は、人の支えが無い状態で生きて行くことに不安を感じるからです。

葛藤の結果、多くは依存から得られる安心を選択して自由を手にすることを諦めるのです。
中には依存から得られる安心と同時に自由を得たいと切望する人もいます。

でもこの二つは基本的に相反しますので同時に手にすることはできません。
あなたに生活の面倒は見てもらうけど、私のすることに口出さないで。

こんな理屈は通りませんよね。
 
自分に都合の良いことばかり考えていては・・・他人と共同生活はできません。

他人に依存しないで自分の力で生きていける人間同士が結婚すれば、少なくても今私が話したような依存による夫婦関係の歪みは解消されるのではないでしょうか。

自分自身に力があれば相手に支配されることはありませんからね。

また夫婦の一方に何らかのアクシデントが生じても、片一方が支えることができれば、家族を守るリスクヘッジにもなります。

より良い子孫を残すことのために結婚があるのであれば、この基準も一つの物差しとして考えても良いのではないでしょうか。」

この男性の意見に・・・マイズル先生は、

「さすが・・・人生経験が豊富な方の意見は示唆に富んでいますね。依存という側面から問題点をあぶり出すことで、結婚制度を考え直すのもおもしろいですね。

では、彼の意見に考えがある人はいませんか?」


年配の女性が手を挙げた。

「確かに・・・おっしゃることはごもっともだと思います。しかし、性別の役割というものがあると思います。女性にしかできないこと・・・男性にしかできないこと。

そういう面も踏まえて考えないと一方に負担ばかりが強いられてしまうことになりかねません。
女性は子供を産めますが、男性は産めませんよね。
出産の間は仕事ができません。

そういう面で女性は男性と比較して不利な面もあるのではないかと思います。」


そんな彼女の意見に、先ほどの年配の男性が手を挙げて立ち上がった。

「あなたがお話されることももっともですね。ただご理解いただきたいのは・・・私は別に夫婦としての役割についてお話をした訳ではありません。結婚する資格があるかどうか適正基準についてお話したことをご理解いただければと思います。

依存が絶対に悪いという話をしているのではなく、依存から生じる問題点についてお話をしています。夫婦間で互いに納得が行くのであれば専業主婦もしくは専業主夫であっても問題は無いと思います。

それは夫婦の間で決めることですので、他人かそれについてどうこう言う権利は無いからです。

最後に私が定義する自立した大人とは、自分自身で生きる力と知恵を持っている人を指します。自立した人同士が結婚して、その二人で家族内のルールを作り、問題が生じればその都度対処していけば良いのではないでしょうか。

自分自身で生きる力と知恵を持っている夫婦であれば、相手に負い目を感じることも無いのできちんと話し合いができるはずです。

そうすれば幼児虐待やネグレストなどの問題も少しは減るのではないかと私は考えています。」

彼の意見にマイヅル先生は、

「そうですね。きちんとした話し合いができる夫婦であることは家族を構成する上でとても大切なことだと私も考えます。そして先ほどの女性のお話にもあった性別の役割という点も忘れてはならない観点ですね。

では、そろそろ時間になりましたので次回も引き続き、このテーマについて更に議論を深めたいと思います。

次回の講義の為にも受講者の皆様はしっかりと今日の議論について考えを深め、自分に置き換えて考えることが大切です。この講座を受講している皆様すべてに共通する問題ですので。」

と講座を締め括った。


(9話に続く)

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