前回のギャラリー・ヴイヴィエンヌを後にし、パサージュ・デ・パノラマの入り口へと辿り着いた。(サンマルク通り10番地)
ヴィヴィエンヌの華麗な女人彫刻の入り口と比べれば恐ろしく殺風景かつ無味乾燥、陰気で入るのを一瞬ためらうような感じである。
わざわざこの写真を扱う雑誌もないようで、以前に何かの本に掲載されたコピーを取っておいたものから拝借させて頂いたのでひどいピンボケだが、雰囲気だけでも伝わればと思って取り上げることにした。
(ちなみに逆側のモンマルトル通り入り口のほうはもっと明るく賑やかだ。後で紹介しよう)
入り口を恐る恐る入っていくと、中は思ったよりも明るくてホッとする。ガラス天井から惜しみなく降り注ぐ光のせいで、これこそパサージュならではのものだ。
すぐに独特の異国情緒溢れる香りに身体を包まれる。アジア、アフリカ系の香辛料の混じりあった匂い。特にカレーの匂いには、ホテルで朝食を摂ってきたばかりなのに食欲をそそられてしまう。その正体はどうやら辺りに軒並み続いているエスニックレストランだ。ただお昼までには少し間があるせいかほとんどの店は準備中である。
歩道は狭い。人が擦れ違うのがようやくといってもいいぐらいといったら大げさかもしれないが。それでも大通りや普通の通りのカフェやレストランの歩道に張り出しているのと同じように客用のテーブルは存在する。
メイン通りからは幾つかの横道(歩廊)が出ているので、狭さの中にもそれが息抜きになっているようだ。上の写真は入ってすぐの横道の様子。道幅はメイン通りとさして変わらないが、長さが短く出口がすぐ見渡せる距離ほど。
このお店は何でも屋という感じ。雑貨、絵葉書、ホットドッグも店先で焼いていたり…。観光客というより、地元の馴染み客がメインのようだ。
柱周りを利用して照明器具に吊り下げた、花籠と観葉植物とのナチュラルな飾りつけがなんとも愛らしい。
ここでこのパサージュについて少し記しておこう。
●設立時期は1800年。現存するパリのパサージュの中では最も古いものに属する。一時期はパサージュの代名詞となるほどの人気を博した。
●パノラマの名前の由来と成立
1799年1月にフランスに導入された見世物からその名を得たと言われている。
パノラマとは当時流行していたパノラマ館において観られる円筒絵画のことで、パノラマ画家プレヴォーによる重要作品は、長さはおよそ100メートル、高さは20メートルあった。世界のいろいろな都市をあたかも中央の建物のてっぺんの手すりで囲われた平屋根から地平線を見渡すように眺められる仕掛けになっている。
元はと言えば、 フランス革命後の混乱期に一山当てようとした山師たち、その中の2人のアメリカ人により造られ隣あった2つのパノラマの間に、通路として建設されたものだった。
下の写真の中央、天井から吊り下げられたガス灯が、当時このパサージュの売り物だった。
1815年12月1日にイギリス人ウィンザーによりパリへガス灯の輸入が認められた。1817年1月には、このパサージュへ試験的に導入された。しかし最初からここの住人たちに快く受け入れられたわけではない。危険だし大気を汚染すると非難されたのだ。その後徐々に認められついにはパリ市内のすべての街路と公共の場で使用されることとなった。
講釈はひとまずこのぐらいにして、このパサージュの魅力を下の何枚かの写真からじっくりと味わってみてほしい。
先ほどの柱周りと同じように、どの店も一様に照明器具から花籠を吊り下げている素朴で温かみが感じられるディスプレイ。パサージュ全体の雰囲気作りに一役かっている。
そうかと思えばこんなふうに雑造作に自然のままに置かれている植物たち。
床にも注目してほしい!一つ上の写真でもよくわかるが、所々タイルが剥がれたまま放置されている一見継ぎはぎだらけ?に見える床。一方、下の写真のように部分的にいかにも新しく張リ替えましたという感じの現代的なタイル柄の床。前回のギャルリー・ヴィヴィエンヌの床を飾る素晴らしいモザイクタイルを思い出して比べてみてほしい!
だがこの行き当たりばったりのチグハグな感じ、これはこれでなんともこのパサージュの魅力に繋がっているように思えるのは私だけだろうか?
どこか下町風で懐かしい味のある散歩道としての。
パノラマの魅力はさておき、今度は レストランの前に張り出したテーブルの敷地部分にに改めて注目してみたい。下の2枚の写真、歩道の残りのスペースは人一人が通り抜けるのがやっとの狭さである。
これらの写真でテーブルの敷地部分が歩道の幅に比べて広すぎ、通り抜けできる部分が狭すぎるということを分かってもらえると思うが、これは何を意味しているのだろうか?
ここで改めて問いかけてみたい!!
それはパサージュは屋外なのか室内なのかということである。
その前にもう一度パサージュの定義を確認してみる。
<パサージュとは、ガラス屋根で覆われた歩行者専用の通り抜けの道>
補足すればそれは空が見える ということである。
この定義に基づけば、パサージュは屋外としての要素が強い。単純に言葉どおり捉えるならば、歩行者専用の通り抜けの道で空が見えるということは即ち外と受け取ってもよい。
だが上のレストラン部分を含めた写真から受ける印象としては、室内の要素が勝っていないだろうか?ガラス屋根で覆われているということは、室内と受け取れなくもないからだ。特に私が注目したい部分は、繰り返しになるがテーブルの敷地面積が広く通り抜け部分が狭すぎるという点にある!これはまるでテーブルに座る客、すなわち室内に招いたお客を優先し、通り抜けは付け足しと思えなくもない。
どのみち正しい結論が導きだされるというものでもないし、受け取り方は自由であるのだと思う。ただ、ああだこうだとあれこれ思いを廻らしてみたくなるのがパサージュという場所なのである。
ここまで読んで興味を持たれた方は、ぜひ前に書いた記事も併せてお読みいただければ私の伝えようとしていることが尚わかりやすいもしれません。
↓ ↓
パサージュという名の屋外でも室内でもない空間①
http://ameblo.jp/vingt-sann/entry-12133910314.html
パサージュという名の屋外でも室内でもない空間②
http://ameblo.jp/vingt-sann/entry-12146085569.html
せっかくなのでもう一つ、これまで見てきた写真のある部分に注目してほしい。
柱周りに飾られた観葉植物、花籠、店の2階部分から勢いよく垂れ下がったり、雑造作に自然のままに所々に置かれている植物たちを。
その説明はもう聞いたなどとは言わずにもう少しだけ耳を傾けていただければと思う。実はこれらの植物の存在というものが、私が先ほど室内の要素が勝っていると言ったことをさらに強める役目をしているのだ。
ここで次の文章を引用させてもらうことにする。
「…/ガラスと鉄による空間の構成は行き詰っていた。/ところがここに、まったく目立たない源泉から突然に新しい力が流れ込んできた。/この源泉はまたもや、「保護を必要とするものをかくまう」ための、「家」であることには変りはないが、生きもののためや神の家ではなく、また竈の火や生命のない所有物のための家でもなく、植物のための家なのである。/現代いうところの鉄とガラスのすべての建築物の根源は、温室なのである。」A・G・マイアー『鉄骨建築』(エスリンゲン、1907年)55ページ
ヴァルター・ベンヤミン 「パサージュ論 第一巻 F鉄骨建築」より
要するに、パサージュは植物たちのための家=温室とこの著者は捉えているといってもいいだろう。
さて忘れないうちにお約束の出口側、モンマルトル出入り口(モンマルトル大通11番地)の写真を紹介しよう。
いかがだろうか。
殺風景かつ無味乾燥、陰気で入るのを一瞬ためらうようなと散々こきおろしたサンマルク側の入り口に比べれば確かに明るいが、中とは違って意外と普通で特徴がないんじゃない?と思われるかも…。
最後にベンヤミンからもう一箇所、このパサージュの魅力を伝える文章を引用させてもらうことにする。
パノラマに関する関心は、真の町を見ることにある――家の中の町。窓のない家の中にあるものは、真なるものである。ところでパサージュもまた窓のない家である。パサージュを見下ろす窓は、桟敷席のようにはそこからパサージュを覗き込むことはできるが、パサージュから外を覗くことはできない。(真なるものには窓がない。真なるものは決して世界には開かれていない。)
ヴァルター・ベンヤミン 「パサージュ論 第三巻 Qパノラマ」より
次回はさらに今回のパノラマで紹介しきれなかった、私の立ち寄った店やギャラリーなどを取り上げる予定です。お楽しみに!!
今回の記事はいかがでしたでしょうか!!
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