鞍馬山から戻り、市内の平野神社へ向かいました。
平野神社は奈良時代末期、平城京宮中に祀られていたそうです。
当時ここは桓武天皇の父光仁天皇の御所であり、奈良時代末期の「臣籍降下」(皇族が姓を賜り臣下となる制度)により外戚となった皇族である源氏、平家、高階、大江、中原、清原、菅原、秋篠八姓の氏神とされています。
そのため、現在は宮中外に祀られているということです。
中でも大きな勢力である源氏と平家を中心として元気を結び開き、ひとつに統合されていくのでしょうか?
ここの御祭神に久度大神(クドオオガミ)という神がいますが、この響きもどこか、クナド神に繋がるようにも思えます。
平野神社本殿の前はとても静かで清々とした雰囲気の中、元神の結び開きの歌とともにお水をご奉納しました。
平野神社から京都神田明神へと向かう途中、菅原道真様を祀った北野天満宮の中を通り抜ける道筋となりました。
このほうが近道!ということで通ったのですが、それにしてもうまく御縁のつながるようにして、神社が隣接しているものだと感心。
平野神社は八姓の元神ですからその周りに縁者がいても不思議はないのですが、中でも将門様に縁の深い菅原様のお宮を通って行かされるとは、なんと周到に整った順路案内なのでしょうか。
ついでといっては失礼ですが、菅原様にご参拝して、ご一緒に神田明神に向かうことになりました。
平将門様は関東で悪政に苦しむ庶民を救わんとして、関東一円を平定したが、それを謀反として平貞盛、藤原秀郷によって打たれました。
その首は京都に運ばれ、市中の真ん中にさらされ、その場所が現在神田明神として祀られています。
東京の大手町に京都から飛んできたとして将門首塚が有名です。
数多くの伝説があり、祟ることで恐れられていますが、私が感じる限りでは、将門様はすでに限りなく昇華されており、人としての無念、恨み、怒りといった領域にはいないように思えます。
将門様を思うとき、何か、とてつもなく深い慈愛と温かみ、温情と力強さを感じます。
京都では、とてもとてもひっそりと、大通りの路地裏の奥の人家の片隅に祀られていました。
ここの門番はカエルさんで、忠実に将門様をお守りされていました。
ここでもカエル。
もとにカエル。蘇る。
ということで、将門様もカエルでした。
今回、京都をご案内くださったAさんが、カエルさんが少し怒ってると言ってましたが、ここに来た理由をお話ししてお水もあげて、ご機嫌を直してもらいました。
中に入って向き合うと、とても穏やかでそれでいて凛とした空気に、将門様の高みに極まったお心根が溢れている感覚に包まれました。
ただ、無になって、出るがままの声で歌を捧げ、お水を献上しました。
ご奉納を終えて大通りに出ると、はっきりとした龍雲が現れ、ホテルに帰りついたころ、ほどなく雷鳴が轟き蛇口をひねったように夕立が降りました。
この明後日、稲荷山神宝神社へ向かいます。