生まれつき内省的な私は(勿論、嘘)
最近も色々と反省しているわけですが(だからといって改めるわけではありませんが)
夫と歩く、ということもなかなか継続は難しいです。
昨日は宝塚、今日は夫は指圧、私はワインの話を聞きに、ついでにお薬貰いに行かねばなりませんし
夜は夜で、ぐいぐいとワインを飲み、まあ、肝臓のお休みがなかなかとれません。
で、ワインを少し控えていこうと思います。
というのも、年寄りのアル中が増えているという話を聞いて、
私が今アル中になったら完全に年寄りのアル中だと気がつきました。
年寄りでアル中になる人は、自分はお酒が強いと思っている人が多いとのこと。
何となくわかる気がします。いつまでも自分はお酒が強いと思ってて
ある時規範を超えても、そうとは意識しないんですね。
はい、ここまで、ということは、これは年寄りは絶対に心得ていなくてはならないこと。
「ばーさんがじーさんに作る食卓」の最近の記事を読んで、そのキッパリとした生き方に感激しました。
九人前の若い人たちの食事を毎年つくってあげてきたが、はい、今年でもうおしまい、と決められたとのこと。
私、ワインをやめはしませんが、週に一本にします。
そして、歩くことを本当に一生続けます。
というわけで、ウォーキング用の靴を先ずは買って、意識することにしました。
スポーツオーソリティの能森さんよ、ありがとう。
あなたの丁寧なシューフィッティングのおかげで、膝への負担が少ないステキな靴に出会えました。
踵の部分の衝撃が少なくて、普通のスニーカーとはひと味違います。
紐が嫌いなので、この形はありがたい。
年寄り、という言い方、最近あんまりしなくなりましたね。
六十過ぎたら、年寄りだよね、年は寄ってきてるさ。
だから、何だ、だから、若い時とは違うんだよ。
それをさびしいと思うか、おもしろいと思うかはそれぞれの受け取り方。
私はさびしいというスイッチを母の胎内に忘れてきたので、何だかなぁ、おもしろそうだなぁ、と思っています。
でも、アル中はねー、なりたくないわ。
何にしろ、中毒というの、すごく感じ悪い、わたし的にキライ。
何かに主導権を奪われるのはとってもイヤなもんで(^∇^)
よしっ、歩くぞ。
夫よ、あなたも靴買いなさい、もったいなくて毎日歩くようになりますぞよ。