工作員への右ストレート 前編 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。




今日二つ目の記事です

一つ目は昨日の記事、


”地球の危機”の続きです。


今日の記事に関連して
近いうちに工作員語録VOL4を公開予定です。

予備サイトでの更新となります。


過去の工作員語録、
私に対しての誹謗中傷が山ほどあります。

http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-268.html
工作員語録 VOL1
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-270.html
工作員語録 VOL2
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-271.html
工作員語録 VOL3

中を読めば私が極悪人か加害者であるかのような
印象を与える悪質なものが山ほどあります。


私がこの人間を名誉毀損で訴えないのは
私がこの社会での自分の立場を理解しているからです。


工作員の方が私よりも偉い、もしくは
必要とされる社会が出来つつあるのです。


内容を読むとブログに書いていないようなことも
でっち上げられていますが


私がそれに対して反論しているのも
ブログだけですし、
それ以外は一切その工作員とは係りなどありません。


私のブログを読んでいる方は比較して見ていただければ
工作員のすさまじさを理解して頂けるかと思います。


コメント書いていると
今も記事を出すなと背中に電磁波が走りました。


今直接攻撃をしている人間が誰かは判りませんが、
しつこく胃腸を通じて顔にも頭髪にも関与をし続けてくる
この人間の関係者が居るので御礼含めの公開となります。


実は三日ほど公開を我慢しては
工作員に加害行為と誹謗中傷をやめるように
説得もしていましたが


結局はやめる気は無いようなので
牽制含めての公開です。
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水曜日に近所のスーパーに出かけてきました。


水曜と土曜日は特定の人間たちが組織だって
私に激しく加害行為を繰り広げる日でもあります。


予想通り多くの付きまといに遭いましたし
咳こそされませんでしたが
鼻を押さえていく人間と鼻をすする人間が何人か居ました。


風邪の流行期と無関係だと思いますが
マスクをしている付きまといが何と言っても多いです。


そして不思議とその日は私の顔をしげしげと
眺めていく人間や盗み見していく人間が
後を絶ちませんでした。


その日部屋に戻って以降、胃腸への関与が激しくなり
顔と頭皮への集中攻撃が強まっているのです。


加害工に晒され続けている私の顔を見ては
それでも攻撃が足りないと判断し
それを強化した可能性も感じました。


目の下の皺と眉間と額の皺、頭髪の脱毛、
ホウレイ線と頬の肉です。


無自覚な人間が多いだけで
やられている人間は大勢居る。


薬品を使用しては胃腸を詰めては(便秘・宿便を利用して)
顔などの風貌への関与をされている人間は
おそらくは大勢居る。


最近TVで不思議と太ってきた
芸能人やアナウンサーを見てはその事を
勝手に想像していました。


今日も朝から直腸腫らしと
肛門塞ぎの暴挙に出た人間が居るので


数日間保留しておいたこの記事を
公開することにしました。


私への誹謗中傷を繰り返している、
ネットでもおそらくはリアルでも加害者である人間と思われる
【金井のアル君】に関連しての話です。


この人間の私への誹謗中傷の詳細も
少しずつ公開していきます。


この人間が単なるネットの
粘着工作員ではない事を確信したので
降りかかる火の粉を払う意味含めてです。


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以前にジャブと言う事で取り上げていますので
今日は右ストレートと言う事で。。


今日は”被害者交流”という罠に嵌り、
工作員と関わってしまった事で


その後工作員に粘着される事になるまでの経緯を
記事にしてみました。


興味ある方が読んで頂ければと思います。


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三年前の年末のある日の夜に


携帯で電話をくれた”被害者”がいました。


それ以前に私のブログ宛にコメントをくれて
メールのやり取りをしていた人間です。


この”自称被害者”の寄こすメールは
とても礼儀正しくて女性を髣髴させるほど
文面も綺麗で、好感の持てる内容でもありました。


私は当時被害者との交流も受けていましたし、
時には積極的に被害者同士の交流をもはかっていました。


三度の交流会を持ちましたし
街宣もしたことがあります。


好感の持てる被害者であったこの人間に
私の方から直接の交流を求めた事もあります。


勿論、私にメールをくれた多くの方に
直接の交流を求める事もありましたし
それもその事の一環です。


この”自称被害者”はその度に
「被害が酷くて外に出れない」
「引越が終わっていない」


等の理由で私とは会う事が出来ず
直接の交流は持つことは出来ませんでしたが、


この犯罪の被害者は外に出る事もままならない人間も
少なくありませんし、


中には被害者に成りすます人間も混じりますので
気に留めても居ませんでした。


私は当時多くの被害者と交流を持っていました。


組織的犯罪被害のブログを書いているような人間の多くは
私に何らかの交流を求めてくれましたし


私の方でも数人の先輩広報被害者達に
メールを送ったことがあります。


当時の私のブログは異質ではありましたが
私のブログの影響力は少なくはないと
多くの被害者に言われてもいました。


内容は当時からフリーメーソンや闇組織を見据えた上での
日本の宗教団体をも見据えた被害記事でした。


一人だけ返事をくれなかった方がいましたが
それ以外の先輩被害者達とは


後に何らかの交流をメールなり直接なり
持つことになります。


それ以外にもブログを書いていないような被害者含め
交流した事のある被害者は大勢居ます。


一時点の被害者の多くが私と何らかの縁があったわけです。


そしてその事は私同様に加害者母体の大きさと
その背景に何かがあると感じている被害者が多かったことを
意味していると考えていました。


ある被害者は
一年目には近所の人間が加害者に思えて
三年目には創価学会が加害者母体に見えて
十年目には国家が加害者母体に見えたと言う


私に言わせれ名台詞をくれたことがあります。


当時は創価学会の集団ストーカー行為という主張をする
被害者が多かったこともあり、


その上をも見据えた私の記事はその意味で異質でしたが


被害が長くなり警察や役所その他の機関と関わったり
郵送物・公共機関等含めての異変を感じると


その加害者母体増が実は大きいと言うことに気がつくのが
この犯罪の特徴です。


今から振り返ると、その後被害者としての広報を
やめていった人間も多いですし


その後一切ネットでも気配を感じなくなった
人間もいます。


ブログを読んでくれた被害者含め
メールをやりとりしていた相手は
当時は伸べ30人は居ました。


私にしてみれば
その”自称被害者”はそんな大勢の中の一人でした。


彼は私とは違って彼の場合は加害者母体が
”同和関係者”らしいという話でしたが


被害者によって加害者像が違いましたし
丁寧なメールの内容からも
好感を持てていた人間でもありました。


そんな人間がある日突然始めての電話をくれて


「実は今別の被害者と一緒なんだけど
食事しませんか」


と誘ってくれたわけです。


被害者交流を喜んだ私は
その申し出を受けて彼らと出かける事になりました。


その時にもう一人一緒だった被害者と言うのが
胡麻(鶯パン)というHNで掲示板に
書き込みをしている方です。


私は誘ってくれた被害者との交流以前に
こちらの胡麻さんとは既にメールの遣り取りがあり


胡麻さんも偶然なのか、その被害者と縁が出来て
メールをやり取りし始めたと言うことでした。


三人は間接的に共通の知り合いという事にもなります。


私の印象としては胡麻さんは私よりも
彼との方が馬が合っていたように感じましたし
其の事に関しても何も疑問など持っては居なかったのですが


今から思えば”件の被害者”は私と胡麻さんとの間に
入り込むように関わって来たようにも思えます。


その日は胡麻さんが関東を出て関西方面に
仕事のために行ってしまうと言う話を聞き


是非、会いたいと言う気持ちで
誘いに応じたわけでもあります。


二人の初対面の被害者。


”件の被害者”の方はメールどおり腰が低くて
そして大人しい感じの男性でした。


口調も丁寧で少しおどおどして見えましたが
普通の人に見えました。


胡麻さんの方は想像通り、
知的でどこか懐疑的な意識を前面に出した感じの男性で


相変わらず私の事を被害者と認めかねているようではありましたが
私の方は、はっきりと彼を被害者である事を確信しました。


過去に私に寄ってきた偽被害者は
当初は私を本当の被害者であると認めていましたが
後で掌を返すのが常でした。


裏で私の揚げ足を取るわけです。


しかし胡麻さんはメールをくれている時から
延々と私を疑い続けていたからです。


工作員が私に近寄って来る目的で接するのなら
最初は私に好印象を与えておいた方が良いわけで


そうではなかったからこそ余計に
その人間は本物の被害者で、


被害自覚期間が長いがゆえに
懐疑的でもあるのだと私は確信したわけです。


そして彼と私は親族やその他色々な点で
余りにも共通点が多かったようで


彼にしてみれば、後からネットに名乗りを上げた私は
彼に対しての仄めかし要員ぐらいにしか思えなかったようです。


そして世田谷さんという被害者に多くの知識を貰っていて
尚且つ勘の良い私の書く記事は
彼には工作員の記事としか取れないようでもありました。

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その日は私のアパートの周辺で食事をする店を探すも
残念ながら居酒屋のような場所は存在しておらず


西所沢駅前に行けば居酒屋がある事を私が告げて、
結局は駅前の居酒屋で食事をする事になりました。


店内の入ってすぐの方の席だったと思いますが、
胡麻さんが店の入り口を向く格好で私と向かい合う形で座り
”件の被害者”は私の隣に座りました。


”件の被害者”は運転手だったので
アルコールを飲むことも出来ないので


私と胡麻さんがビール飲み放題をオーダーし
私と”件の被害者”がつまみを注文した事を覚えています。


当初私に対しては怪訝な顔をしていた胡麻さんも
アルコールが入った事と


おそらくはネットの諸星あたるではなく
古川正樹としての実物を目の前にした事もあるのか
その時は多少は私にも心を開いてくれたようで


わたしの事を疑いながらも、それなりに被害の話や
太田龍さんの著書の話を聞かせてくれました。


私は太田さんの話を取り上げてはいましたが
元々は太田さんの本は一冊しか持っておらず


(”親ユだった頃に日ユ同祖論に熱中していたことがあり
その延長で購入したのですが、私の当時の知識とはかけ離れていて
購入当時は途中で放り出してしまった本でした。


その後四年ほど前に再びその本を読むことになり
目から鱗が落ちた思いでした。
そしてその後私は太田龍さんの視線が正しいことを
確信するに至ります。


”ユダヤの日本侵略450年の秘密”で、
たしか胡麻さんも同じ本を読んでいました)


私よりも余程太田龍に詳しい彼の話を
興味深く聞いていました。


ただ、その居酒屋で話をしている間の時間
その殆どは私と胡麻さんが話をしている状態でも
あったのです。


もう一人の被害者はその間殆ど自分からは話す事なく
私達の会話を聞いていたようです。


「大人しいんですね」
と言うような趣旨を私が”件の被害者”に話すと


「以前はそうではなかったけど。。」


と、実は性格が変わったような内容の事を
告げてきました。


数少ないこの被害者との会話で聞いた印象的な話は
「元エホバの信者だった」と語った事。


ビールを飲みながら話をしている
私や胡麻さんの会話には殆ど口を出すことなく


時折つまみに手を伸ばしては、
その存在を思い出させられると言うほどの
存在感の薄さをその時は感じました。


そう言えば胡麻さんはとても酒が強い人でした。


実は歳をとってから酒に強かった事に気が付いた
私ではありましたが、その比ではなく
何も殆ど食べる事なく、只管ビールを飲んで居る状態でした。


かと言って絡み酒の様な悪い酒ではなくて
明るく朗らかになる良い酒だと思いました。


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被害者同士の集まりとなると
当然そこには加害関係者が寄ってくる事にもなります。


近場に私達よりは若い人間達が陣取り
とてもうるさく感じた事を覚えていますが


おそらくは彼らは加害者関係者だったのだろうと
思います。


その時は三人でその事を指摘していたのですが、
時折こちらに意味深に視線を向けるその人間達の目が
それを物語っていました。


と言っても何かをするわけでもなく
単に煩いだけではありましたが。。。


私は胡麻さんと延々と話をしていたので
それほど気にはなりませんでした。


居酒屋の中で私が感じた異変は
最後のビールを注文してそれを飲んだ直後におきました。


最後の一杯のビールを煽るように飲んだ次の瞬間に
私は眩暈と胃腸に不快感を感じ
トイレへ駆け込む目にあったのです。


自慢にもなりませんが私は普段はどれほど酔っても
寝てしまう事はあっても吐く事はありません。


大学一年の時のクラブの新歓コンパで
先輩たちの日本酒一気飲み攻勢にあって


二次会に行く途中に吐いてしまったことが
最初で最後でした。


妻の親戚の集まりなどでは日本酒を御銚子三本飲んで
その後に缶ビール10本程度の量を飲み
更に追加しようとしたのを止められるほどでした。


その私が精々5~6パイのビールで、
しかも最後のビールを口にして間もなく


眩暈と胃腸の気持ち悪さと吐き気を覚えて
トイレに駆け込む。。


しかもそれまでは何の前兆もなしにです。


はっきり言えばその時はビールに何かが
混入されていたか、若しくは激しく電磁波を
脳と胃腸に照射されたかのいずれかだと想像していました。


私はその後半ばテーブルに伏すような感じになりましたが
酒の強い胡麻さんはそれまでと同様に
平然として話をしてたのですが


私があまりにも具合が悪くなったので


「今日はもう帰りたい」旨を私が告げた事で
その日はお開きとなりました。


酒に関しては、私の飲み残しを
胡麻さんが引き受けてくれたのですが


後日のメールで胡麻さんも帰りに気持ち悪くなり
吐いたというような趣旨の事に触れてあって


どうやら目薬のようなものを
盛られたらしい可能性を感じる事になりました。


結局胡麻さんは飲んでいたばかりで
食事には殆ど手をつけず、


おつまみは私と”件の被害者”が全てを
平らげる格好だったと思います。


正直言えば私は飲みながらしっかり食べるタイプなので
食べるほうは足りてはいませんでした。


一応は遠慮しながら食べていましたし
夕食兼用のつもりだった事もあり
もっとメニューを注文したかったのですが


他の被害者達がその気配を見せなかったので
気を使ったわけです。


そう言えば勘定の支払いの時に
割り勘のつもりで支払いをしようとすると


”件の被害者”が
「ここは俺が払います」
と申し出てくれました。


酒も飲んでいない人間が勘定を全部持つなど
申し訳ないと思ってその旨を告げると、


「じゃあ1000円づつでいいです」


と言ってくれたので


貧乏人の私はありがたくそれを受け止めて
「ご馳走様です」とお礼も言ったと思います。


「色々ためになる話が聞けたので」


そんな趣旨の事を”件の被害者”は語りました。


その後私達は帰路に付く事になりましたが、
胡麻さんは電車で帰ることになり
私だけが自動車で送って貰うことになります。


アパートに付いた時も
件の被害者に対して別れ際に丁重に


「ありがとうございました。
(これからも)よろしくお願いします」


と挨拶をし、握手をしてその日は別れました。



下に続きます