心(視覚)に頼る弊害 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

そ○○た○ さん


メッセージありがとうございました。
何か気がついたことがあれば
是非お知らせくださいね。


1日に激しく動いていたので
今後の動きに警戒ですね。

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昨日から延々と薬品を吸わされては
異物を作られてそれに下剤で対抗している状態です。


まだ排泄が出来るだけ良いのでしょうが
それも彼らの出力一つで抑えられてしまうことになるので
あとは強い電磁波・放射線を食らうことになるようです。


今は排泄行為の妨害も始まっています。
(自然に見せかけていますが(苦笑))


直腸詰めもありますし、出来上がる異物の量は半端ではありません。


今も胃腸がパンパンに張ってきていますし
私は彼らの意思一つでいつでも壊される運命だと考えています。


こんな事がまかり通る社会なのですから
そこで生まれた以上仕方のないことなのでしょうが


人間の目的は経験や学習による精神の進化だと言っても
あまり体験したくない事もあります。


私のように科学力による被害を受けている人間は
恐らくは今後は二度と体験することのないような目に
遭っているのだと思いますし、


被害者に限らず、覚醒者は
めったに体験することの出来ない
人工黙示録を利用した星の社会の大きな変貌を
今体験している事になると思います。


朝から腸を常に膨れ上がらされている状態が続いています。

全身に電磁波を照射しながらも
じわじわと局所的な関与が続いています、


格好悪く言えば”糞詰り”で苦しまされているようなものかもしれません。


勿論その目的は電磁波や放射線の強化ですし
いったいどんな目に遭うかは判りませんね。


今体感しているのは腸と脳への様々な刺激です。


全く凄まじい世の中に生まれてしまったものです。


被害者も一般市民も今週はとりわけ
身の回りにご注意してくださいね。


今現在加害者暴走週間の真っ只中だと思います。


今は小康状態なので、ひどくなり次第
そして更新妨害がされなければ又報告しますね。


そしてお互い倒れるような事になった時は
転生先でお会いしましょう(苦笑)


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原因と結果の話の延長になるかと思いますが、
以前のような自分の記事を、”心”と”精神”の話も意識して
書いてみました。


私が日々苦しむこととなっている
組織的犯罪や日本社会の実態を念頭に


言いたい事を書いてみました。


少し以前に書いた記事なので
まだ、今現在書く記事よりはましな内容になっているかと思います。


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ここからが本題です。

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身奇麗に着飾って、立派な家で暮らして
他人の前では良い人を演じて見せながらも


心の中では金を儲ける事と
自分を立派で良い人間に見せる事ばかりを考えている人間がいたとしても
精神感応能力に乏しい私達には其れを察することは出来ません。


だからこそ、偽善なるものがこの社会ではまかり通る事になりますし
其れゆえに心無い人間であっても善人や聖人の振りをする事も出来ます。


と言うよりも心無い人間ほど
善人の振りをする傾向が強いのではないかと感じています。


決して私のように悪態をついたり
時には人前で不快感を顕わにする事もないと思います。


しかし私達がもう一歩成長して、相手の意識まで理解できるようになると
そんな人間が実は聖人でも善人でもなくて
取るに足らない一般人である事が理解できるようになると思います。。


ブラザーズの社会の様な精神の発達した惑星では
住人が皆テレパシー能力を当たり前に備えているのですから
自分の心を偽って相手の前で善人ぶる事は出来ません。


つまり偽善なる存在と言うのは地球ならではのものであり
精神感応能力を持たない人間達に対してこそ通用するものであって


詐欺や偽りがそのまま金儲けやその人間の地位や名誉を
高めるのに利用できるのも
この社会で暮らす心無い人間の特権と言う事になります。


言って見れば如何に上手に他人を騙すか
如何に他人に自分を良く見せるかと言う行為が
そのままこの地球における自分の利益にも関わってくるのです。


勿論、表立っての人間の印象は大切な物ですし
愛想がないよりも愛想が合った方が良いに決まっていますし


口や態度が悪い人間よりも
口調も丁寧で親切に見える人間が
このような社会で好まれるのも当たりまえです。


私達には相手の心の真意など見る事は出来ないからです。


その意味ではこの社会では他人の前でこそ良い人間を演じていれば、
出来の良い社会人を演じていれば、
其れがそのままその人間の評価に繋がることにもなりますし


心を読めないがゆえに他人に対しての評価には、
風評や噂話もがそのまま強い影響を与える事になりがちです。


つまり私達はこの社会においては
究極の二重人格を演じる事すら美徳となるわけです。


心にもないことを口に出し、偽った美しい姿を見せては
相手に自分を過大に評価させて
実際の魂の濁りを偽り自分を美化することも可能な社会。


神の予定の創造物としての人間本来の姿と比較すると
そこでは余計な入れ知恵も存在している事になりますし
実際の私達の魂は激しく濁っていると思います。

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私達の社会では行動の尺度は法律によって規制されます。


ブラザーズの社会であれば犯罪を起こす人間がいないのですから
法律は必要ありませんが、


エゴの充満する地球の様な社会においては
無秩序が社会に混乱を齎す事に成りかねないと言うのが
法律の存在理由だと思います。


自らのエゴのために他人に危害を加えくる人間も出てきますので
被害者を保護する目的含めて、罰則の存在しない道徳とは別に
法規なる物が必要とされたのだと思います。


罰則が心無い人間の行為を抑制する手段とされたのです。


そしてこの法規に抵触する行為を行った人間は
そこで罰を受け社会的制裁をも受ける事にもなります。


その結果がその後のその人間の人生にも
何らかの影響を与えることになりますし
罪を犯した報いをその人間はそこでしっかりと受けることにもなります。


これは、一見正しいことであり其れが当たり前のことにも思えますが
この法律と言うものは、他人の権利や心身を侵害していると公に認められて
初めてその行為を規制するために適用される物です。


つまり社会の中で、
例え他人の権利や心身を侵害している行為が存在していたとしても


其れが正しく認識され法律で規制され適用されない限り
其れは罪として咎められる事もないわけです。


そしてこの法律の存在が一方では道徳を排除していると言えます。


罰せられる事に関してはそれは抑制力となり
悪意を持った人間の行動を規制しますが
道徳は心無い人間達の抑制力には成り得ないからです。


それに道徳なるものは、本来は心の持ち方であり
それの現われとも居えます。


その意識は見えないものであり
外からは確認することは出来ないのです。


こんな実態がこの社会の中で特別な意識をも作り上げる原因となっているようです、


「法律に抵触しなければそれは悪いことではない」


と言う意識の蔓延です。


極端な話が道徳と180度異なる行為を行った時に
それは法律では規制されていないのだから間違っていないと
開き直ることも出来るわけです。


例えば法律を逆手にとった詐欺寸前の行為などが
例として挙げられます。


やっている事が全体として把握すればそれは詐欺なのに
法律で規制されて居なければそれは罪にはなりません。


現にこの社会ではそんな事が横行しているわけで
法の規制と犯罪がいたちごっこを繰り広げているという現状もあります。


しかしそのような行為は確実に道徳からは外れています。


ただ、法規が存在しないがゆえに
そのような行為を咎めるにも法に抵触していないから
其れは罪ではないと開き直らせる原因にもなっているわけです。


そして事実上の犯罪行為はどんどんと進化しては
法の網をくぐり一般人の権利を侵害する行為もまかり通ることになります。


それは犯罪行為ではありません。
法律で規制されていないからです。


しかし他人を害し自らが利益を求めることが目的としてとられる行為は
事実上は犯罪と何の変わりも無いのです。


そしてそれは道徳に照らせば人間のあるべき姿とは
かけ離れた行為でもあります。


その意味でも道徳と法律は似て非なるものであるということです。


本来、道徳を外れた行為をした時点で
その人間が咎められると言うのが以前の日本社会でしたし
人として当たり前の意識のはずです。


しかし道徳なるものが事実上ないがしろとされていて
法律に抵触しないことを全て正当化できる社会が出来上がっているからこそ
本来の”正しくない”はずの行為は其れを正当化されることにも繋がってくる。


この社会が道徳で動いていないと言うことが
とても良くわかると思います。


そして事実上の正しくない行為をしている人間達は
開き直ることが出来るわけです。


「自分は法律に触れることをしてはいない
だから自分は何も悪くない。


自分は一切罪を犯しては居ない。
年金もNHK視聴料金も公共料金の支払いもしているし
国民の義務である税金も収めている


自分は善良な一市民だ」


これはこの社会では確かに認められる主張です。


裁判にかけられて有罪にならない限り罪は罪として成立しませんし
法律の規制を遵守しているのは事実だからです。


そして一方では私のように金がなくて
年金やNHK料金を滞納したりすれば


其の人間は規則を破っている悪い人間であると言う主張も
当然成り立つことになります。


公的ルールを守っていれば後は何をしても自分は正しいと言う意識を
持っていればそんな主張もまかり通る事になるわけです。


更に、犯罪なる物はそれを立証されて
罪として訴えられることで初めてお咎めを受けることになるものです。


例え犯罪行為を延々と繰り返していたとしても
それを認識されて起訴されないうちは
其の人間は犯罪者ではありませんし


この社会の中では善良な一市民となります。


そして逆に言えば実は罪など犯していなくても
冤罪から裁判にかけられ罪人とされてしまう事もありうるわけです。


その場合もこの社会の中では裁判で有罪とされれば
犯罪者扱いされることになりますし
そのように取り扱われる事に甘んずる事になります。


この社会の約束事がそうなっているからです。


私達が現象なるものを”心”で認識すれば
犯罪行為が認識できない人間は白ですし


冤罪でも起訴された人間は黒となります。


しかし其の実態を捕らえると、
そしてそれを”精神”で見つめることが出来れば
この両者の立場は逆転することにもなるのです。


つまり私達は目に見えている結果を持って
判断することを強いられているがために


実は正しいものと誤ったものを間違って認識することも
あるのだと言うことに成ります。


私達にテレパシー能力でもあれば
人の心を見透かすことが出来ますし


人間が皆そんな能力を持っている社会では
嘘をつくと言う行為が不可能なのです。


頭の中をそっくりそのまま読めてしまう社会では
偽ると言う行為自体が出来ないのです。


偽善も偽りも全てお見通しです。


善良な一般市民ぶっていても
それが限りなく悪意を持っているという事も認識できますし、


悪とされているけれども実はそうではないと言う事も
認識できる事にもなります。


しかしこの現実社会では私達は視覚をもって、
心を持って物事を判断するのが常になっています


マスコミの報道で流される内容に
疑問を持つことなく鵜呑みにするのもそんな心の意識の表れです。


このような社会の仕組みを利用しては、
半ば犯罪行為を繰り返している人間達も大勢存在します。


しかしその人間達は今のこの社会の中では
何の罰も受ける事もないわけです。


経歴は綺麗なままでしょうし
社会的に責められることもありません。


しかし道徳を無視して暴れたその行為は
地球の法則では罰せられる事がなくても


神の摂理の元ではその罪は魂の濁りと言う形で
証拠として刻み込まれる事になるはずです。


yまり地球の法則が認めても
宇宙の法則ではそんな行為は認められる事はない。


今が良ければと良いと開き直っている人間達は
いずれ大いなる報いをしっかりと受ける事になるはずです。


道徳からかけ離れた行為を行い、
しかも本来犯罪である行為を続けながら


加害者達はその罪を問われる事もないまま
平穏に次の精神の進化へと進んでいけるなどと言う事になって


一方では、地球社会の中でそんな人間達に悪人扱いをされ
時には陥れられ更には結果として罪を犯す羽目になったような人間が
魂の消滅を受けることになる。。。


これではあまりにも理不尽だからです。


でも現実問題、神の摂理の元、
そんな不条理な事は絶対にないと確信しています。


お天道様が悪行を見ているのではなくて、
私達の精神自体が神の一部なのですから


どこが癌細胞と変異したかは
神様が一番良く理解しているはずだからです。


考えてみれば、私達は常に神に見つめられながら
生きているのと同じなのです。


地球の中では善人で通っていようが、仲間内では評判が良かろうが
魂の濁った人間は宇宙の法則の下では
しっかりと選別されて淘汰されていくことになる


被害者や不遇な思いをさせられている日本で暮らす方々は
その事を信じて、


陥れられようが何をされようが、心を濁すことなく、
真っ当な人生を送っていけば良いのだと思います。


目に見えなくても宇宙の法則は働いている。


その事を強く信じて下さい。

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P.S.


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この社会は悪意がまかり通る社会となっています。


其の原因はここでも触れたように
道徳がないがしろにされて法律ばかりが重視されていること。


そして目に見えるものばかりを結果として重視することで
事の本質を精神で感じ取る事をしようとしない社会だからです。


この社会で評価されるのは全て視覚に訴えるものであり
聴覚に訴えるもので、それはつまりは私達のエゴによるものなので
必ずしも正当とはいえない訳です。


しかし私達はこの社会のそんな実態に
少なからず染まっていて、それに目をつぶったり
そんな社会をどこかで利用しているのかもしれません。


でも狐と狸の化かし合いが通用するのは
心で相手を見つめる人間同士であって、


神の意識の前ではいくら自分を着飾って美化しても
私達は裸同然でもあるのです。


自分の真横に神様が存在していると思った時に
自分の今の其の行動を神様が見ていると思った時に


本来なら決して取れないはずの行為を
私達は平気で実行しているのだと思います。


いくら神様を拝んでいても、
神の名を口にしていても、


現実の行動が其の程度であれば
其の人間の心は神とは大きくかけ離れていることになるとは思いませんか?


そして私達の社会のあるべき姿は
やはりブラザーズ達の生活空間その物のように


他人に見えないからといって悪い事をして良いという意識を持たず
人が見ている時だけ良い人ぶって見せるのではなく
裏も表もないそんな人間で満たされる状態では無いかと思います。


裏表が無ければ悪意は諌められますし、
善意は正しく評価を受けます。


そしてもっと言えば私達の社会のあるべき姿は
究極的には、誤った想念を一切持たないで


私のように感情に振り回されないで、


皆が宇宙意識を持ち続けることの出来る社会と
いうことになるのかもしれません。


そのためにもまずは誰もが想念を感じ取るのことの出来る
そんな社会を目指す事が大切なのですが、


其の前に宇宙の法則を皆に知ってもらう事が前提ですね。