じゃあ。貴方でも良い。

じゃあ。貴方でも良い。

嫁生活しています。

長男と結婚した長女です。

超保守的な地方在住。

自宅は新築。

でも、親世帯と同じ敷地のお隣さん。

(ここの『でも』に注目!!)

Amebaでブログを始めよう!
幼稚園には制服がありました。
40年近く変更していない古臭い濃紺のダブルの上着とプリーツのスカート。
ソックスに指定はありませんでしたが、ブランド物のワンポイントとフリルとリボンまではセーフ、常識の範囲内で身だしなみを整えて…と、ありました。

でも、
小学校は自由。
とっても自由。
かなりの自由。

しかしながら、「式」と付く位だしデパートを見てもアンサンブル系が多いでしょう…と予測し、我が子も自分もとっても無難に「娘→ピンクのアンサンブル」「母親(私)→グレースーツ」で校門をくぐると…。


あっれ~?
タータンチェックのスカート率たっか~い!!!
制服無いって聞いてたのに???


え?
それって体操服ですか?


あれ?
フラワーガール?
結婚式なの?

いやいやいやいや…。
聞きしに勝るものがありました。
さすが公立小学校!

見知った顔を捜しつつ、「いろいろなお家があるのね~」としみじみ感心してお教室に入りました。

と、父親が保護者の5分の3強!!!!
我が家は残念ながら仕事でしたが、嬉しくなりました。
父親が育児に関わるって良いですね。
しかし、お父さんたち場所をとりますねぇ。
体が大きいだけあって、小さな1年生のお教室で嵩張る事この上なし(笑)
そして、お父さん方もお互い初対面とあってなかなか詰めてくれないわけです。
仕方なく数名のお父さんが廊下に出て窓を開けて覗き込むと、
何故だかお父さん方みんなで大移動(爆笑)

無意識とはいえ、男性も群れるものなのですね。
お陰で小さなお母さん方がお教室に納まりました。

30年前の日本ではなかなか目にすることが出来ない光景だったのではないでしょうか?


式次第に沿って滞りなく終えた入学式後の記念写真では、子供よりも3~4割り増しの保護者をフレームにおさめるのに一苦労。
しかも、上段は黒くてゴツイお父さん方が占めていて
新1年生のお顔が小さくなりそうです。

同世代のお父さん方がご家族を大切になさっていると知ることが出来て、本当に幸せに思いました。

日本を被い尽くす悲しみを癒し、復興と更なる発展への意気込みを語るTVの中の20代30代40代の可能性と優しさを西の果てでも感じることが出来ました。

「草食だ」「受動的だ」と称された日本の男性。
いざとなると頼もしい存在のようです。
3月11日以降、子供の日常に陰りが無いように注意してきました。
私がいたらないばかりに見せてしまった津波の脅威。

クラクションを鳴らし押し流される車。
走り出し逃げ惑い振り返る人。
掃き清められたかのように整然としていた町並みが
混濁し怒りを含んだかのような潮に呑み込まれていく様子。

正直、現実的ではなく。
TVの中継に見入ってしまいました。

私自身も肝が冷え、電話を握る手が震え、物も言えませんでした。


「ママ、これ怖いのにまだみるの?」

幼稚園の制服を着たままの娘が目に涙を浮かべ、脅えきっていました。
慌ててTVを消し、日常に戻ろうと
平常心を心がけ、
子供に集中しようとしましたが、
千葉にいる従姉妹家族。
東京在住にして茨城に勤務する夫の弟。
松島にいる大叔父夫婦。
仙台の従兄弟。
連絡を取りたい家族と全く繋がりません。

あまりに距離がありました。

外は朗らかな陽気。
幼稚園の送迎バス昇降場傍の梅の花がほころび、
「花が咲いた」と指差し笑みがこぼれた日。

日本は姿を変えました。

数日間、6歳の長女は夜夢をみて泣き、
2歳の次女はしがみつきます。

思い当たりコモンるみさんのブログの過去記事を読み返しました。

9.11以降もNYで普通に過し子供に負の部分をあえて伏せた事とその意味を再認識し、
私もそれに習い、幼稚園にも保護者のお願いとして伝えました。
幼稚園にはご賛同頂きました。

「子供たちに悲しい現実のすべてを知らせる必要は無い。」
「子供たちにも出来ることがある事を知らせよう。」

幼稚園の方針はとても分かり易く、各々家庭によってどう捉えても良いように柔軟なものでした。

我が家では地震津波の仕組みを教え、起きる事を想定し備えてあった事なので批難した方々がとても多く避難所では日本人として誇りを持って秩序を保っている素晴らしさを世界が賞賛している事を選んで伝えています。


募金も支援物資もささやかながら当然の事と想い、送りました。

被災地を思う気持ちは、日本を思えば共有している感情だと思っています。

しかし…。
今日耳にした親子の会話。
特に、母親の言い放った言葉に私が傷つきました。
それはスーパーのお菓子の棚の前。
いつものようにおやつのお菓子を選ぶ長女の横で、同じくらいの男の子に母親が言い放った言葉。

「被災地では親が死んでお菓子も買えない子がいるのよ!だから我慢しなさい!!!」

200円足らずのお菓子に手を伸ばしかけた娘の手が止まりました。
私の顔を見上げます。
罪悪感に満ちた顔。
何も悪いことをしていない娘が何故こんな顔をしなくてはいけないのでしょう?
幸せに過せていることに感謝するのは当然ですが、何故罪の意識を植え付けようとするのでしょうか?
「あなたはお菓子を選んで良いのよ」
娘に答えた私を横目で見る男の子の母親の侮蔑に満ちた顔。
「悲しい出来事を経験している子供たちにはきちんとパパが思いを伝えているから、あなたがお菓子を買うのを叱る人なんていないのよ。」
私の言葉に応じて恐る恐る商品を買い物カゴに入れた娘と私の横で鼻を鳴らし、
更にしつこくねだる男の子に「うちは貧乏だから買えないの!」と、厳しい口調の母親。

もう、何とも言いがたい怒りで頭も心臓も沸騰しそうでした。

躾ならば被災地を引き合いに出すべきではないし、まして公共の場でたまたま隣り合った他人を引き合いにすべきではありません。
「うちは貧乏だから・・・」は明らかに私への当て付けで、他人の台所事情など我が家に一切関係ありません。
逆に「子供に買い控えさせた数百円を募金するの?」と、問い詰めたくて仕方がありません!!!

我が家の大切な娘たちのささやかな喜びに影を落とさせたくなくて、普段どおりにしていたのに
台無しにされました。

しかし、今年小学校に入る娘には良い機会だとも感じました。

社会には色々な境遇価値観を持つ人がいて皆が平等ではないことを身をもって知る事が出来るのです。
夫と話し合い、娘に噛み砕いて説明しました。
私たちが想像もできないほど贅沢な恵まれた環境にいる人がいること。
私たちが遭遇したことが無いほどの劣悪な環境に身をおく人たちの存在。
同じクラスになる子供たちの中には色々な家庭環境があること。
羨むことも嫉妬を買う事もあるであろう事。

色々な情報が入り娘は混乱したようです。


残念なことに人は平等ではなく、時間だけが平等に過ぎていきます。
今までそれが残酷な事だと感じた事など、ありませんでした。
平凡な日常を守る事すら難易度が高いというのも、今日初めて知った事でした。
九州でも衛生用品や飲料水の品薄状態が顕著です。

身内とは限らず、行政が呼びかける支援物資のために
皆が購入して送り出そうとしているようです。

しかし、本当に物で良いのでしょうか?

もう事態が災害発生当初とは違ってきているのに
まだ支援物資を送って
個別にガソリンを燃やし
ダンボールなどの紙ごみを増やしてはいないか、個人的に心配です。

長期的な支援を必要としている被災地の方々に
本当に必要なものは、現金と生活の安定。

被災地域以外に住む方の中に支援物資を送って、達成感を得ている方がいないか
不安です。

生活の安定は、個人規模で支えるのはとても難しく政府に頼るより他ありません。
しかし、現金は絶対に必要なはずです。
300円のトイレットペーパーよりも300円。
それが100人分で3万円。
買い占めるより被災地支援に有効だと感じています。

情けは人の為あらず。
もしも、私たちが同じ状況におかれた時に
現金を切望するでしょう。

結局、自我。
お恥ずかしい。

でも、恥を忍んで
言っています。

それに現金であれば、
1人の遺児となった学生に1ヶ月でも1日でも長く教育を受けるチャンスを与えられると思うのです。

被災地の現状を思うと、学業の心配などは甘い考えだとは判っています。

しかし被災地域に親がいて生活をしていただけで、
急いで大人になる必要に迫られている中高生に、
3年後5年後の復興期において、
学歴を求めない公平な就職の約束が出来るでしょうか?

進学が決まっている子供たちのチャンスをつぶさない方法。

国が早く対策を打ち出し、子供たちとその家族を安心させて欲しいと思っています。

色々と一長一短ある各団体HPを訪ねて息の長い支援を検討しています。
とりあえず遺児の為の基金には協力しましたが、ある団体の箱物を作り組織を肥大化させる姿勢には些か疑問を感じています。

やはり政府に期待するより無いようです。
九州電力の計画停電を老人福祉施設に勤務する友人の医師に世間話程度で話しました。
「計画停電でも仕方が無いわよね。」
普段から2児の母として医師として奮闘する彼女の事だから
絶対に「停電になってでも安全確認よね」というかと思うと、
真剣な面持ちで思ってもみなかったお話が…、


現実問題として盛夏の計画停電は脱水症状からの重症化、そして死者を免れないと…。


多くの老人は「迷惑をかけたくない」と心底願っていらっしゃる。
その気持ちが排尿排便を堪えさせ、ひいては水分補給を躊躇わせるそうです。

いくら声を掛け、気軽に接し、煩わしく思っていないことを伝えても

排便排尿の介助はご本人たちにとって苦痛。

完全自立の方も実は非常に体力を必要とする行為で、億劫となるもの。

救急指定病院の自家発電装置はきちんと稼動するでしょうけど、
一般的に養老や特老、老保には自家発電装置はないし、
もしも施設が所有していたとしても、空調設備にまわされる電力ではないと、

「原発の停止は医療現場においては現実的ではない…。」

と、肩を落としていました。

電力に頼らない暖房器具はいくらでもあるけれど、
冷房はガスを動力としても停電では動かせないそうです。
それに、救急指定病院でも消費電力の大きい検査機器はオフにせざるを得ず
発見の遅れる重症患者が出るはず。

無邪気に「安全確認のために我慢は必要」と論じていた自分の愚かさに、
情けなくなりました。

もしも自分が老いて誰かの手を煩わす…。
排便排尿の介助は羞恥心からも、1番苦痛でしょう。
それが自らの健康を脅かすと知っていても…。

それに介護士が異性ならば?

友人は要介護認定の女性が下のお世話をされる時や入浴介助の時に無表情になられる時が必ず来ると言いました。
長くても半年。
慣れるというより羞恥に耐えることに疲れて、諦めた表情。

普段朗らかな女性がその瞬間に見せる表情。

どうもしてあげられないことが辛いそうです。

「お手を煩わせたくない…。」と、水分を控えるお年寄り。

お気持ちを思うと、胸が締め付けられます。


計画停電に至る状況を生んだ電力会社と国の愚行に苛立ちます。

九州電力も夏の計画停電を回避できないと発表しました。

九州の夏は暑い。

おそらく冷凍食品や冷菓はフリーザーの予冷程度では持ちこたえないでしょう。

それでも雪降る被災地で身を寄せ合う皆様を思うと、
全く痛みだと感じません。

暑さを耐えられず熱中症になるのは恐ろしいことですが、
それはエアコンの冷気で予防する事ではなく
水分補給と過し方によっては、電気に頼らなかった昔のように
声を掛け合い気遣い合いながら乗り越えられることだと思います。

私の母の実家では未だにかまどが現役です。
間伐材はお風呂の燃料。
杉はヤニが多く煙突の手入れが必要になりますが、
それを苦に感じることが無いほど日常的。
夏休みに祖母と汗を流して炊いたお風呂の軟らかい湯。
懐かしく思い出されます。
今でも現役なのは珍しいようですが田舎では少なくありません。
それに30年ほど前の日本の田舎では電気の給湯は最先端技術で珍しかったんです。
当時は灯油・ガスの湯沸かし器が主流で残念なのが点火と温度維持管理に電気が必要な点。

それが、いつの間にか電気が大きくシェアを伸ばし
今ではオール電化のお宅が多くなってしまいました。
そのことが日本の電力供給の道を老朽化した原子力発電所を稼動させ続けることになりました。

突然、皆が原発を批判し放射線・放射能を恐れだしています。
元々、恐い物だったのを無理矢理管理したのが原発です。
核分裂の熱量で水を沸騰しタービンを回す。
燃料がウランなだけで原理は石炭で動いた機関車と同じ。
維持管理さえ上手くいけば、問題無い物なのです。
その維持管理が上手く回転出来ないほどに日本は電力を消費しているのです。
定年引退した人間を鞭打ち労働させていたのです。

私は原子力発電に反対しません。

原子力に畏怖の念しか持たず、頼りたくないと思う方たちは
オール電化にしなければ良い。

ソーラーパネルだから平気…?
そのソーラーパネルを作ったのは何処ですか?
工場はソーラーパネルで稼動しているのでしょうか?
日没後はどのように過されていますか?

ソーラーパネルも実はオール電化を推進する口実でしかなかったのでは?

私利私欲に走った電力会社もエネルギー政策を誤った政府も反省する時なのです。
そして日本が、目覚める時です。

間違ったエコブーム、省エネブームを反省する時です。


朝は少し遅く日が長い九州でも、サマータイムは効果的だと思うのです。

九州の交通事情において自家用車での通勤が主。
信号の停電による事故を防ぐためにも、サマータイムで帰宅が明るいうちに集中させて!
多くの家族の不安を取り除いて欲しい。

ただ、ご自宅で療養なさっている皆様の不安を思うと心苦しい思いでいっぱいです。

そして、今はただ節電を心がけ被災地の皆様に心を寄せるばかりです。
松島に住む私の祖母の弟は津波の中を生き延びました。
夫婦で津波を凌ぐ為に自宅2階に上がり難を逃れ、救助されたそうです。
避難所には生存を信じた山形に住む娘家族が待っていてくれ、
無事に山形の娘のところに身を寄せています。

奇跡でした。

地震の直後、電話が通じ娘は母に
「そちらは平気?」と、尋ね
「免震だからそんな揺れなかった。」
と、会話をしている最中。
後ろで切迫した声で父親が
「津波が来ている上がれ!!!」
何か怒号のような音を受話器で聞いた後、音がしなくなったそうです。


その後、TV中継で津波にのまれる実家が映り、
慌てて現地へ赴いたそうです。

再会したのは14日。

「今、山形に連れて帰りました。」
日付が変わった15日深夜にお電話を頂きました。

母は震えが止まらなかったそうです。
伯父夫婦の強運を喜びつつも老夫婦が耐えた恐怖を思うと、今でもどうしようもない悲しみが残っているようです。

まだ、安否確認が取れていない方たちがあまりにも大勢いらして
素直に喜べない…。

母の従姉妹の声にそんな含みが強く強く感じられたそうです。

「ご無事で何より力強く生きてください。伯父様にもゆっくりお休みいただくようにお伝えください。」
母が申し上げられるやっと言葉だったようです。


この数日の間、家族親族皆が皆
本当に眠れぬ日々を過しました。


皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
避難所に身を寄せていらっしゃるすべての方に生活が取り戻されるために、出来る限りのお手伝いをいたします。

日本には実績がある!
日本には実力がある!
東日本の地震津波の被災は本当に心が痛み、被災された皆様に衣食住の安定供給を早く早くお届けしたい。
そのために、出来る事は何でもしたいと思います。

しかし、NZクライストチャーチへの義捐金も同じく募り続けるのが当然のことでしょう。
自国民の苦悩を目の当たりにして、混乱するのは充分に理解ができます。
それでも、11日以前に募金活動を告知し続けたメディアが一斉に義捐金の対象を東日本に切り替えたのは、身勝手です。同じようにどちらの義捐金も募り続けなくてはいけないでしょう?
ハイチの子供たちはコレラや赤痢の恐怖から逃れられていないのに…。
時間が経てば、忘れられてしまう事が多すぎます。
世界でおきている事象を規模や死者行方不明者の人数で比較して世論を煽動してしまう事が、恐ろしくてしかたありません。

もしも今、日本人が違う大きな悲しみに遭遇するとしたら…。

想像をしたくもありません。


ブログを通じて学んだ1番大切なことは、「継続」

尊敬するコモンるみさんは自身に個人的な問題を抱え心折れそうなときも
幼くして母親になった少女たちを支援していらっしゃったそうです。


初めて歩き始めた子供が転んで無くと抱きしめてあげます。
何度でも諦めず、歩いて転び、泣けば、抱きしめ…。
それを繰り返して、
子供は一人で歩き出します。

もしも、まだ充分に一人歩きできない子供を抱きしめる腕が無かったら?
抱きしめてくれる腕を期待する子供に背を向けることが出来ますか?

自分自身に問いかけています。

継続。
継続。

今始めた事をけして止めない。

小学生のなりたい職業アンケートで公務員を第一志望とすることを大問題のように各メディアで取上げられた世代。

彼女ら彼らが、自分で考え、模索している様子が

インターネットの各ソーシャルネットワークで見られて

本当に感動しています。


震災は自然の摂理。

津波は抗い難い巨大な力。


「天罰」だと発言する政治家に真の強さがあるとは思えません。

それこそ今立ち上がるべき時なのに、ただ手を合わせるだけの事しか出来ないと、

自らの無力と無粋さを露呈させた老人が権力を掌握していることに疑問しか持てません。


苛立ちの余り東電職員に冷静さを欠いた発言を浴びせる記者。

たしかに、東京電力の情報公開は当然の義務。

それでも真実の追究だけに目的意識を持ち、不安心理をあおり激しく扇情的な報道を、皆が皆求めているのではありません。

心情として確かに真実を知りたい。

しかし、逃げ場が無い人への配慮はどこへ行ったのでしょう?

被爆の危険にさらされている方々にとって必要な情報は何でしょう?

私ならば、「放射能からの防護方法」「被爆後の対処法」「当面の生活情報」



報道の現場にいる方は、現実を目の当たりにし

現状を伝えたいという欲求に駆られているばかりに見えます。

しかし、11日の映像を繰り返し放送するのは、現状を報道していることになるのでしょうか?

心情に理解を示したいのですが、多くのメディアの双方向ではない情報に困惑しています。



多くの命が失われ、先が見えない今の状況でも

避難所にある秩序と平和を誇らしく思います。



子供に感情を吐露するわけにいかず、平常心を心がけ、子供に気を配りながらも

被災された地域の方々に思いをはせ、動揺しています。


特に、TVの刺激の強さに唖然としています。


地震発生後2日間の各キー局の番組構成は情報を発信していると言えたのでしょうか?


遠く離れた九州の片田舎で自分勝手な発想ですが、

私が知りたかったことは、松島に住む実家母方の大伯父とその家族の安否だけでした。


正直すぎるかもしれませんが、安否情報だけが欲しかった。

屋根の下にいるのか、毛布はあるのか、助かっているのか。


極端なことを書くと、

ヘリで被災地を回り、煙が立ち上り水が引かない住宅地をみたくはないのです。

人が流されるのをわざわざ何度も何日も観るためにニュースを見ているのではないのです。


どこの避難所にいるのか?

どこの避難所に誰がいるのか?

なぜ、どの生存者検索サイトでも名前が見当たらないのかを知りたいのです。

九州で兄の身を案じ、涙を流す82歳の祖母には探す術が無いのです。



そして九州でも同じ日本に住むものとして、どのような行動を起こせば良いのかを教えて欲しいのです。

九州では節電をしても意味がないとみる向きもありますが、

「日本のエネルギー政策を変える方向付けになる行動になるかもしれない」という観点では

節電、節水も無駄な努力ではありません。

それに差額も僅かながら募金することができます。



偽りの情報にかき乱されるインターネット。

それでも頼りやすく、多くの方が思いを寄せ集まってきています。

しかし、それは広く使用されているとは言っても限定された世界。


高齢者はラジオだけに情報を求めればいいのでしょうか?


TVが情報ツールではないのを再確認いたしました。



子供の前では泣けません。

それに被災地の方々が涙流れるままになさっていないのに、こんな離れた場所で泣くような事は間違っています。


幼稚園の小さな恋人たちが

「ホワイトデーのかわりに募金する」

と、約束を交わしました。

娘は小さな恋人の行為を当然の事と誇らしく受け入れています。


他の方々と同じく、

私ももどかしく、

ただひたすらに祈り

久々に更新しています。



久しぶりに吐き出して笑い事に変えないことには、消化不良になりそうな出来事がありました。



夫はカレンダーに従い「お盆?どこの国の行事なの?」と言わんばかり。

もちろん!通常勤務です。


貴重な夫の休日(お盆休みではない…。ただの日曜休み。)を夫の父親の実家への暑気見舞いにあてました。

娘を連れて夫と3人で久しぶりに伺った夫の父方祖母宅は、なかなかに居心地悪く、早々に退散いたしました。

もう叔父様方の孫世代が主役になっていて、夫の孫としての立場は皆無の状態。

どこへ行っても30代半ばにもなれば、そんな扱いですよね。



さて、本題。

マダムの実家には8月上旬とお盆の2回、ご挨拶を済ませました。


それが凄いんですってば!


あぁぁぁぁぁ。声を大にして言いたい!


マダム、普通じゃないってば!


車で30分弱ほどの所に在るマダムの実家は、93歳の母親を頭にマダムの弟夫婦・その息子夫婦・その子供たち…。

まぁ、田舎には有りがちの大所帯です。


8月上旬、九州は例年にない酷暑でした。

マダムは実家の母親をいたく気遣っておいででした。

ある日の午後。


マダム:「貴女。今から実家に行くけど、ご一緒しない?」


わたし:「娘がもうすぐ寝そうだしなぁ…。」(消極的抵抗)


マダム:「じゃぁ。着いたら布団準備させるわよ。」


わたし:「はい・・・。」(敗退)


出かける準備を整え乗車し、娘は大好きなお出かけに興奮。

私も向かってしまえば気分転換になるし、夫の祖母のことが好きなので楽しく30分のドライブ。

しかし…。

到着してみると、マダムの実家は完全に留守。

マダムも呼鈴を押して返答が無いのを確認し、帰路に着くのかと思いきや…。

さっさかと、縁側や勝手口へ。

開いていたの…。

車庫のシャッター…。

おばさま、無用心ですよ。


留守にするなら、小姑閉め出さないと!!!!

おばさま、何やってんの!!!!!!


勝手に侵入、勝手に仏壇にチ~ン、勝手に居間へと誘導、勝手にお茶を出し、勝手にご休憩…。


大ババ:「あら~。・・・来たの~?…開いてたの~?」


ご老体が登場!

居たんだ!!!!


マダム:「閉まってたから、開いてる所を探したわ。」


普通なんだって!

閉まってるのに入るのも、留守宅で冷蔵庫開けて冷茶出すのも!


挙句、マダムは「まだ絨毯引いてる」だの「仏壇に盆の準備が無い」だの「床を拭き上げてない」だの…。

…恐ろしい。


おばさま!

小姑が侵入しないように警備会社と契約なさった方が良いですよ!


しかし、専業主婦のはずのおばさま…。マダムの突っ込みどころ満載。

私も気を付けねば!


マダム:「貴女、ご覧なさい。この台所…。なってないわぁ~。」


「嘆かわしい」と、何度も首を振るマダム。

その横で娘は大興奮。

私は有頂天の娘が飾ってある焼き物などを壊さないかと恐怖!

行動を制御するのも難しくなってきた頃、とうとう娘は台所へ突入!

「きゃ~。物を壊す~!」と、叫びそうになる私の声よりも早く、響きわたったマダムの声。


マダム:「ダメ!孫ちゃん!そこばっちい(汚い)からダメよ!ダメ!」


どう思いますか?

土足で生活している家じゃないし、普通のお家。

いくら実家とはいえ、もう弟嫁の城…。




マダム、それはあまりにお心無い言動です。



                                        これ、前編…。もっとあるの…。