~北へ~(113)13日目④ 陸奥国一之宮 馬場都都古別神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。


             北関東・東北・北海道・上信越 編 ~北へ~(1)1日目①は、→こちら


                      


次に訪れたのは、馬場都々古和氣神社です。
同じ棚倉町ですので、すぐ着きました。

  
 一の鳥居と社号標
旧社格だからか?社格の部分が潰されてます。

   
二の鳥居横の社号標は完全に塗りつぶされてます。 

 
 宮司・西郷頼母
昨日、登城した白河小峰城にて戊辰戦争を戦った会津藩の家老。
会津が落ちると土方歳三先生らと合流して箱館で戦う。
放免されると、謹申学舎塾の塾長となり、その後、馬場都々古和氣神社の
宮司となり、松平容保公が日光東照宮の宮司となると、頼母は禰宜となる。

  
   随神門と扁額(陸奥國一宮)

 隋神門 天井画
  

社伝によると、およそ千六百年前の第十二代・景行天皇の御代、
日本武尊が東奥鎮撫のおり、初め建鉾山(白河市)に鉾を祭り、
のちに大同二年(807)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと
伝えられます。寛永元年(1624)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を
築城するため現在の地に神社を遷宮しました。

     
      三の鳥居(木造の明神鳥居)
 

 拝殿(豊臣秀吉の命により、文禄年間(1592~1595)に佐竹義宣が奉造)


 社号額(松平定信公 揮毫)



 ご祭神は、
主祭神:味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)創祀時の主祭神。
相殿神:日本武尊(やまとたけるのみこと) 大同2年(807)の合祀
                       で、ございます。


 本殿(文禄3年(1594)佐竹義宣による再建。三間社流造 銅板葺)


境内を見て回りました。

       
    厳島神社                鹿島神社

      
  神明宮                 磐座

     
 熊野神社               稲荷神社

          
      甲山天満宮             寅卯神社 


何故か本殿の後方に魅かれたので、御朱印を頂く際に宮司に
お聞きしたところ「古墳がある」との事。不思議な神社でした。



         
         陸奥国一之宮 馬場都都古別神社
                御朱印




                              つづく