[沖縄 編(31)のつづき]
「瑞泉(ずいせん)学徒隊」の慰霊碑「ずゐせんの塔」は、
「ひめゆりの塔」から200m程離れた所に建っております。

「瑞泉(ずいせん)学徒隊」県立首里高等女学校
動員数61名。戦死者数33名。在校生(学徒隊以外)死者数22名。

水とキャラメルをお供えし手を合わせ、感謝、慰霊いたしました。


ずゐせんの塔
ずゐせんの塔は、第二次世界大戦沖縄戦で戦死した沖縄県立首里高等女学校
看護隊並に職員同窓会員の御霊を祭ってある。
昭和二十年一月二十五日から軍医の講習を受け、引続き合宿訓練に入った後、
三月二十七日野戦病院壕で卒業式を挙行、直ちに第六十二師團、石部隊野戦
病院に配属され最前線の浦添から首里、摩文仁へと負傷兵を看護しつつ、
泥濘の中を弾雨に叩かれ、奮闘したが惜しくも散華したのである。


こちらも、悌梧(でいご)の塔と同じく「ひめゆりの塔」の近くにあり、
建立された意義も同じにも関らず、訪れる人は少ない。
車を数分走らせ、「魂魄の塔」に来ました。
(沖縄各地に存在する慰霊塔のうち最古のものとされている慰霊塔)

周りには、各県の慰霊碑が建っております。

水を供え手を合わせ、感謝、慰霊をいたしました。


魂魄の塔
この地は今次大戦でも一番の激戦地であり、日本軍も住民も追いつめられて
逃げ場を失い、陸、海、空からの攻撃を受けて、敵弾にあたって倒れた屍が最も
多い激戦地の跡である。
戦後、真和志村民が収容移住を許された所で村民及び地域住民の協力によって、
道路、畑の中、周辺いたる所に散乱していた遺骨を集めて祀ったのがこの
魂魄の塔である。
祭神三万五千余柱という、沖縄で一番多く祀った無名戦士の塔であったが、
その後、昭和五十四年二月摩文仁の丘に国立沖縄戦没者墓苑が完成し、遺骨は
同墓苑に分骨して安置してあります。
和魂となりてしづもるおくつきの
み床の上を渡る潮風
建立年月日 昭和二十一年二月
財団法人 沖縄県遺族連合会
「魂魄の塔」は「平和創造の森公園・糸満市米須霊域」の
一郭に建っております。

つづく