[沖縄 編(28)のつづき]
移動中、こいのぼりが泳いでいました。

もうすぐ端午。菖蒲の節句です。
やはり、日本人は「こいのぼり」と「かしわもち」ですな。
そんななか、向かった先は青山繁晴氏の発言で慰霊に訪れる方も増えた
「白梅(しらうめ)学徒隊」白梅の塔です。

字国吉守護獅子(国吉集落の東の外れ)


県立第二高等女学校
動員数56名。戦死者数22名。在校生(学徒隊以外)死者数36名。


水とお菓子をお供えし手を合わせ、感謝、慰霊いたしました。


白梅之塔
沖縄県立第二高等女学校の四年生五十六名で編成された白梅学徒
看護隊は、昭和二十年三月六日第二十四師団(山部隊)の衛生看護
教育隊に入隊し、補助看護婦として特別集中教育を受けていた。
米軍の艦砲射撃が激しくなった同月二十四日から、東風平町富盛
の八重瀬岳にあった同師団の第一野戦病院に軍属として配置され、
昼夜別なく傷病兵の看護に専念した。
戦況は日毎に悪化し、同年六月四日遂に白梅隊に解散命令が下り、
隊員は散り散りになって戦野を彷徨し、一人またひとりと戦火に斃
れていった。その場所は殆ど不明である。
また、解散後この地に後退した山第一野戦病院に、再び合流した
一部の白梅隊員は、同年六月二十一、二十二の両日に亘り、米軍の
猛攻撃を受け無念の最期を遂げた。この辺一帯は、白梅隊員の最も
多くの犠牲者が出た所である。
塔は、戦没した白梅隊員及び沖縄戦で戦死、或いは戦争が原因で
亡くなった教職員・同窓生百四十九柱の鎮魂と、世界の恒久平和を
祈念して昭和二十二年一月に建立した。
毎年六月二十三日の「慰霊の日」に例祭が行われる。
平成十年 六月二十三日
沖縄県立第二高等女学校 白梅同窓会


白梅の塔の横には、南禅廣寺:通称国吉の寺(クニシヌティラ)と
少女たちが自決したとされるガマ(洞を利用した壕)があります。



白梅の塔の横には萬魂之塔、すぐ近くには、歩兵第32連隊碑、
山形の塔がございます。




全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げ、
戦没者の御霊を心から慰霊いたします。
つづく