[沖縄 編(27)のつづき]
右掖門(うえきもん)より下城します。


振り返り、

正殿北面

淑順門(しゅくじゅんもん)

東側石垣



北側石垣
登城の際に見た龍樋(瑞泉門下)で湧き出た水は、ここ寒水川樋川
(すんがーひーじゃー)を通り、久慶門をぬけ円鑑池(えんかんち)
へと流れています。


久慶門(きゅうけいもん)から城外へ


久慶門(城内側) (城外側)


案内板などでは、全体的に中華国(清国)の一部、属国・琉球国という考え
のようだが、実際は「うまく付き合って(あしらって)いた」ではないだろうか。
現に薩摩国・島津の使者も丁重に、もてなしていますし。
ちなみに、琉球王国の正史/中山世鑑(1655年)中山世譜(1701年)では、
初代琉球国王は、源為朝公の子である舜天(しゅんてん)と書かれてます。
(源頼朝公とは従兄弟同士)

ふたたび守礼門をぬけ、次なる地へ


円鑑池(えんかんち)

日本100名城スタンプ
首里城(100)
つづく