[沖縄 編(11)のつづき]
満腹、満足で向かった先は、中城城(なかぐすくじょう)です。

この城は、15世紀の琉球国・尚泰久王代(護佐丸)のグスク(城)として
知られており、日本100名城に選ばれております。

1458年に護佐丸は王府軍の策略で自害して滅びた後、「中城王子の居城」
→島津侵入(1609年)後は「番所」→廃藩置県(1879年)後は「中城村役場」
として戦前まで利用されてきました。

連郭式の山城である中城城は、標高約160メートルの丘陵上にあり、北西から
南側に伸びていく丘陵の東崖縁を天然の要害として築かれております。

では、通常の観光ルートとは逆の「正門」から登城します。

舗装路を進み、左手に少し上ると


カンジャーガマ跡(鍛冶屋跡)





正門(やぐら門)

晴れていれば、最高な眺めが楽しめるでしょう


城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれており、石垣には野面積み、
布積み(豆腐積み)、あいかた積み(亀甲乱れ積み)が見られ、ペリー提督も
「要塞の資材は、石灰石であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。
石は…非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも
何も用いていないが、その工事の耐久性を損なうようにも思わなかった」
(日本遠征記)と記し、その石垣のすばらしさを讃えています。

つづく