[駿河国一之宮と若獅子神社(1)のつづき]

若獅子神社境内から見る富士山
境内には、サイパン帰還戦車が安置されておりました。

サイパンの戦いにて使用された九七式中戦車(チハ車)は、昭和51年(1976年)夏に発見され、戦後30年余りが経ち、この地に安置されました。

車体には貫通した弾の跡が各所に見られ、激戦の跡を物語っております。

発見時、車内から二振の日本刀とご遺骨が発見され、その後の調査で、
戦車第九連隊第三中隊砲手 鈴木正軍曹と判明され、ご遺族に返還されました。
なお、同じく戦車第九連隊所属で、同時期に帰還したもう1輌は現在、
靖国神社の遊就館に修復され展示されております。

帰還戦車の由来
かつての大戦において陸戦の華、少年戦車兵とともに活躍した機甲部隊の
主力に九七式中戦車(チハ車)がありました。
この戦車は、もっとも熾烈をきわめた玉砕の島サイパンにて四十余命の
少年戦車兵とともに、勇戦奮闘、祖国の礎となり、戦後30年土中深く
無縁をかこっていましたが、このたび一有志の悲願がかない、この母なる
地に還り、安置したのであります。
無数の弾痕は戦争の激しさを訴え、満身の赤錆は戦いの空しさを語り、
平和の尊さを教えています。
ここに若獅子の御霊とともに永く平和の道標として顕彰されんことを
希うものであります。
昭和50年(1975) 10月吉日
全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。


社務所(無人)と松野の奇石

つづく