当初「私とSEALDs」という題で書こうと思いましたが、まだ名前ぐらいしか知らない状況で書いても、
誤解を生むだけなので、暫くお蔵入りにします。

・・・事件当時、東スポ(日付以外は嘘と揶揄されている)情報をもとに、「きっと少年の犯行ですよ」と当時働いていた焼肉店の休憩中に言ったら、みんな凍りついたというか、(はっ?何言ってんの?)という空気になったことを覚えています。1997年の出来事です。今では少年犯罪は(またか)ってなりますが、それぐらいありえない出来事でした。宮崎勤の事件の印象がまだ強かったのもあります。


かといって少年による凶悪犯罪が増えたかといえば、実は戦後の方が圧倒的に件数は多かったというデータもあるようです。
戦後に少年による凶悪犯罪が多かったのも、なんとなくわかります。神戸の事件は震災から3年後の話でもあります。この関連性については、ただの憶測です。


普段、あたかも人権派弁護士のような発言をしているのにもかかわらず、彼のHP開設とかの記事を読むと、

(また凶悪犯罪が起こる前に、別件でも彼を逮捕して欲しい)

という感情も起こります。ただマスコミが報道すべきは以下のようなことで、実名や顔写真ではないとは思います。

(また、審判終了後、『文藝春秋』(1998年3月号)に、検事供述調書が掲載される事が判明[88]。一部で販売自粛、各地の公立図書館で閲覧停止措置となる。後の法務省の調査で、供述調書は革マル派が神戸市の病院に侵入してコピーしてフロッピーディスクに保存していたことが判明し、塩田明男が逮捕された(神戸事件をめぐる革マル派事件)。立花隆は、これを雑誌に掲載するか否かについて当時の編集長平尾隆弘から緊急に相談を受け、2時間で7枚に及ぶ調書を精読、「どんなことがあっても掲載すべき」との判断を下す。少年法61条に抵触するか否かについては、この法令が報道することを禁じているのは、あくまで、本人のアイデンティティを推知できるような要素であって、それ以上ではない-従って、この調書を載せること自体は少年法61条に抵触することは全くないと判断。掲載を推薦し「文藝春秋」(1998年3月特別号)に掲載された。立花隆自身バッシングが起こることは確実と予想してのことであった。 立花は『FOCUS』に少年の顔写真と実名が掲載されたことについては、別の理由から反対している。(Wikipediaより抜粋))

彼が今後過ちを犯すのかどうかはわかりません。大人になった分、確実に捕まるような計画的な犯罪は犯さないような気がします。Wikipediaを読むと、捜査撹乱など、幼稚ではあっても冷静な部分は当時からあったようです。

ただ、何かの引き金により、突発的な殺意が起こる可能性は、非常に高いと思います。


本人の資質の問題なのか、環境の問題なのか、ただ思うことは「かわいそう」ということです。

彼自身と、関係するすべての人に対してです。


特に両親。

(彼と自分との間、あるいは彼と我が子との間の相違点はあるのかないのか。)


母親に対する執着心はものすごく感じます。

その点に関しては自分とはかなり違いますが。

自慢げにいうことではないですが、「おふくろの味」なんて、思い浮かばないので。


同じ環境に育った兄弟にそのことを確認したことはありませんが、おそらく息子にとってはうちの母、つまりおばあちゃんの味がおふくろの味だったかとは思います。


いわゆる、ぞんざいな母親だったのと、病気など諸々の理由でかなり小さい頃から自分で料理を始めました。
小学校高学年頃には、家族の夕食は毎日ではなくても普通に作っていました。
かといって、すべてやっていたというより、なんだかんだ言って母は懐石料理を習っていたり知識はあったので、下ごしらえは母あるいは母の指示、味付けは自分みたいな感じです。

まぁ、歳をとって逆に元気になってきたそんな母から、この夏に聞いた話です。


自分の元嫁(息子の実の母)から電話があった話でした。

ある程度は想像していましたが、思った以上の環境にいるようでした。

そのことを、息子にも話したようです。自分の胸に秘めておくことができないのかと、憤りましたが、ここで書いている時点で、血筋とも言えます。


高校受験の前に、知人を通じて手紙をもらったので、生きていることは知っていました。太宰府のお守りが入っていたので、おそらく九州にいるんだなと。

息子が実の母を憎んでいるのかどうか、自分も含めてどうなのかは、わかりません。まぁ表面上は憎んでいます。そのあたりは割愛させていただきます。


きっと今も母は自分の元嫁と連絡を取り合って、あるいは1日に一回は、なんとかして九州まで会いに行こうと思っているのでしょう。ほっておいたらすきを見て必ず会いに行くのでしょう。そういう性分なのです。




・・・一体過去の話ばかり書いて何になるのでしょう。反省すべき点はあります。あまりにも自由過ぎたことです。すべてにおいて。
この点はいろんな方に迷惑をかけてきたので、少年時よりは改善されているとは思いますが、まだ治癒してはいないようです。

迷惑をかけたいろんな人が思い浮かびますが、今回は元嫁に対して。



[遊び歩いていたという自覚は全くなくても、子育てに悩む妻に、1日何時間家にいてどれだけ協力したのか?]



ただ、今までの全ての自分の行動に対しては、後悔はしておりません。


伝わっているかは全く自信がありませんが、前しか見ておりません。

どんだけ後ろ向きなんだと、きっと勘違いされるでしょう。



ずいぶん前にブログで書いた、「忘れるとかじゃなくて、全部抱えていきたいんさ」

とか、「男に二言は無い」

ってのはそういう意味です。



もう二度と、「愛してる」なんて口に出すことはないでしょう。


昔「人は鏡を見るように、相手を通して自分を見ている」みたいなことを書きましたが、
さしずめこのブログは鏡ではなくて、その時々の自撮り写メみたいなものです。


いろいろ詰め込むことでぼやかしてるこの自分のいやらしさとかも記録されます。


パスポート二重取得の記事を見てのブログですが、特例で戸籍などを変更した件に対してヤフコメの「人生にリセットボタンはあったんだ」ってコメントに、感心はしましたが、

「それでも人生にリセットボタンはない」以上
KABA.ちゃん、これまでの手術代は「高級車1台分」
 タレントのKABA.ちゃんが2日、都内で行われた映画『ワイルドスピード SKY MISSION』ブ..........≪続きを読む≫




もう10年位会ってない友人と二人でずいぶん昔に朝の多摩市内をココイチを目指してなのか散歩だったかはわからないけど見晴らしの良い公園で同性愛について話した事をなぜかずっと覚えてます。
男性として男性を好きになるのかとか、女性の格好はしても中身は男性だったり、ニューハーフ同士の恋愛は成立するのかとか、とりとめのない話ですが。

あらかじめ言っておくと、彼はそういう感じでまったりと語り合うのが好きなだけで、二人の間には何もありません。

http://diamond.jp/articles/-/59068
少なくとも数パーセントは同性愛だという事実はあります。からだの性別と心の性別と、性的対象の性別がどう区別されるのかでも違ってきます。

その公園での話を振り返ると、
例えば一方が生物的な作りはオスで恋愛対象がオスでなおかつ女性の格好をしており心は女性として、もう一方が生物的にメス、恋愛対象がメス、男性の外見をしてて心も男性の二人が恋に落ちた場合、
まぁ簡単に言うとオカマとオナベが上手くいって子孫を残すことが出来たらいいのですが、成立しますかね…



ってのが言いたいわけではなくて、僕の勝手な願望というか思い込みですが、
性交を目的としない、

心と心の、

人が人を本当に好きになるというのはどういう事なのか、

教えてほしいです。


恋とはやっぱり苦しいものなのかとか、


子孫繁栄のためだけではない人が生きる意味を、
知りたいです。


殺したいほど憎いって感情と
一見正反対の
愛しすぎた故に殺してしまうそのもどかしさについても、知りたいのです。



ちょっと前に判決の出た競馬で儲けて脱税疑惑で訴訟になった話がありました。例えば同じように恒常的に億単位で勝ってるような人は一体何人ぐらいいるのでしょう?きっと100人も200人もいないでしょう。
確実に勝てるからと1レースに億単位で勝ち馬投票券を買った場合、オッズが大幅に変わってしまい、配当が極端に減って負けてしまうからです。あるいは予言者が複数名いて同じような事をしていた場合、ライアーゲームみたいな感じでオッズ変動の仕掛け合いになって結果ばれる事になります。まぁ予言者は欲をかかず、毎週5000円ずつかけて10万円の配当で満足なので、あの人なにして生計立ててるんだろうねとうわさ話になるぐらいで、マルサに目をつけられる事も無く暮らしているんでしょうが。

今回逮捕された彼はきっと予言者で、地方競馬含めて何百ものレースに投票する事で外れくじをわざとたくさん引き、なんとかかんとか今までマルサの目をかいくぐって来たのではないでしょうか。脱税の嫌疑をかけられ全国的なニュースになる事も分かってて、その時のためにカムフラージュになるようなシステムを作り上げておいたのでしょう。

という事は、彼は唯一絶対の神!?


ちなみに神はさいころを振らないという言葉がありますが、
もしも同じ条件で(枠順、馬の体調、騎手の思惑など)走らせた場合、
同じ馬が勝つ確率はどれくらいになるのでしょうか?これは何らかのかたちで、検証実験が可能かと思います。


その他具体的にいくつかの項目にわけ競馬必勝法を考えてみます。

人気がすべて

専門紙とスポーツ新聞とがありますが自分の場合東スポしか買わないので、印(◎とか◯とか)と人気の連動性は実は低いのですが、基本的に人気(倍率)は、ネットが普及した今も昔も、調教の様子や調教師からの情報を元にトラックマン?や新聞記者が決めるとおもいます。

前も書いたように、ネットでの馬券購入が前日などから出来るようになった今は、デイトレーダーとは違いますが刻々と変化するオッズによって相当に人気のトレンドが左右されるのは間違いありません。元々主流であった専門紙がどんどん廃刊になり、専門家の印が人気の割合の大部分であった時代は終わりを迎えつつあります。

その他人気の要素は例えば、お父さんお母さんがすごい人だった、見た目がかわいい、名前が面白い、エピソードが豊富、などの理由が増加していてます。昔はオッサンしか馬券を買っていませんでしたが、今や競馬場では家族連れの方が多いのでは?と思うぐらいです。
ただ、要素としては、まだまだ薄いです。が、いろんな客観的理由を積み重ねて、ランダムに買った場合の75%から少しでも100%に近づくことは可能です。

名前がかわいいからって買った人を馬鹿にしてるつもりはありません。確率の問題です。

「当たる確率の高い馬券を選ぶのが、馬券の必勝法のひとつって、お前予言者かよ笑」

説明不足ですね。。。。

例えば100円かけて750円になる馬券と、780円の馬券、どちらを買うか?後者ですよね?それだけの話です。

余計怪しいですね。

書き方を変えましょう。


A君は、初めて競馬場へいきました。

事前に教えてもらった通り、元々500円の配当がついていた馬券を購入しました。


100円買ったので、当たれば500円です。

つまり、5倍です。

(ということは1万円買えば、5万円か。もし1億買えば・・・・)

A君は、少し欲を出しました。

ちょうど先週宝くじで10億円当てたばっかりだったので、あわてて1億円を引きだし、締め切り直前になんとか買う事が出来ました。

いよいよレースです。当然あたりました。

震える手で(外れても9億円残ってるから、震えてるようにみえただけですが)

当たった馬券を確認しながら、払戻金の確定をじっと待っていました。

そして・・・

「単勝6番、100円」

の発表にどよめきが!!

500円のはずだったのに何かのまちがいか?


みんなとAくんの驚いた理由は同じでしたが、こうなった原因を作ったのは、A君一人です。


でもまあ、1億円は戻って来て、損をしなかったからべつにいいじゃあありませんか!

めでたし、めでたし。



ええ・・・・・言いたかったのは、当たる馬券を選んで購入する事は出来ませんが、オッズ操作は可能ですよ。って事です。

人気があり、不当にオッズが下がる馬券を選ばないという選択は、できます。



ドラマチックな展開と盲点

人気のあるいわゆる本命が勝ち、やっぱり値というレースもあれば、
人気薄の馬が大穴をあける時、いろんなパターンがあります。特にカギになりやすいのがペース展開が原因となる場合。ぱっと思いつくのは人気薄ゆえに他馬が余裕ぶっこいて楽に逃げる事が出来た結果、ペースが落ち、最後の直線で追い込みが届かないパターン。逆に追い込み馬が大穴を開ける時は、ハイペースが@@@@


もう読んでいる人はいないでしょう。。。
今日は疲れてきまして、思考能力が落ちているのが自分でもわかるので、もうやめます・・・



最近は全然ないですが、一、二年前はときどき「ブログ読んでますよ!なーんかよくわからないけどあのやわらかい感じが好きなんですよね」
と褒めて頂きました。
「面白い」とか、具体的に「あの時のあの話は・・・」といわれた事はなく、なぜか口を揃えて同じセリフなのです。
ひたすらデスマス調で統一された語尾が良いのか、もしく話の内容が全くないためか、どっちなんでしょう?

まぁ、ごくちっちゃなオチを、気づかれないようにあるいは気づかれないほどの頻度で、ちりばめてるつもりだけど。

その他具体的な感想としては、
「長過ぎる」「何度読み返しても、でも意味が分からない」「独特の句読点の多さや改行、段落の分け方が、読みづらくさせてる」
「何かあったの?」「大丈夫?」と、直接心配の声を聞いた事はありません。
この場合、心配されてないのか、逆にいえない空気を出してるのか、どっちなんでしょうか。



ココ数日で出た、今のところの結論↓


人の評価を気にし過ぎ+表現がへた→サンダル等、独特のふくそうをして、無精髭をはやし、訳の分からない文章を書く。→変な目で見られる→余計に人の評価を気にする+余計に誤解されるような行動をとる。→どんどんインフレ的に加速していく。


もう一つの神的結論↓



なんとか分かってもらおうと、色々手を変え品を変え説明しているうちに自分でも分からなくなってる事に気づく←今ココ

という事は・・・・・

分かっているようで何も分かっていない→話が長くなる。

分かってる→話が短い。


あんだけ小保方さんを擁護しておきながら、上西議員を批判しないのは小保方さんがタイプだったからじゃないの?といわれる前に先手を打っておきます。

【維新の党からの除名処分の経緯
2015年3月13日に体調不良を理由に衆議院本会議を欠席するも、翌14、15日に知人男性と旅行に出かけていたことを週刊誌に報じられる[12]。この報道に対して自身のFacebookにて一連の経緯に関して釈明を行い[13]、4月3日には橋下徹大阪維新の会代表同席の下で記者会見を開き、「私的な旅行でなく、仕事での宮津市行きであった」と説明[14]するも、翌4月4日に橋下は統一地方選の街頭演説中、上西本人に対して議員辞職を求めたが拒否されたと述べ、「許すことはない。あの議員とは二度と付き合わない」と発言。
橋下は上西に「1回辞めて、2年間3年間もう1回修行積んで、次の選挙の時に一生懸命努力して、また維新の党から出てしっかりやればいい。だから1回どうですか、時間置きませんか」と述べたところ、上西は「法に触れない限りは議員の身分は奪われません」と答え議員辞職を拒否し[15]、「いや、もう、それだったら除名で結構です」と答えたという。
維新の党の江田憲司代表は、4日にも党として厳しい処分を決める方針を明らかにし[15]、党紀委員会を開き上西を党から除名(除籍)処分とする決定をし公表した[16][17]。上西の処分決定後、大阪維新の会幹事長(大阪府知事)の松井一郎は「(上西を議員に)擁立した責任はこの僕にある」と悔悟の言葉を述べた[17]。上西は維新の党幹事長の松野頼久に対して「議員辞職はしない」と表明し[17]、朝日新聞の取材に対しても「議員辞職はせずに無所属で頑張っていく」とコメントした[16]。】
(Wikipediaより抜粋2015.4.11)



基本的にそんなに人に嫌悪感を覚えないのですが、上西議員は初めて見たときから基本好きじゃないです。
どんな人かはよく知らず、今回ニュースになった時に(この人どっかで見た事あるな。あっ、大阪維新から出馬した人だ)ぐらいのかんじですが。
誤解を招く言い方かもしれませんが、世間のかなりの人がそう思っているんじゃないかと思います。
なんだか好きになれないと。

そして橋下さんなど政治家やマスコミの人も、上西議員がきらいなんでしょう。

もちろん橋下さんやマスコミは、上西さんの言動とか性格を知った上での「嫌い」なんでしょうが、
ほとんどすべての人は、元々上西さんに対して(どうも好きではないんだよ)って思っていたようななきがします。




バッシング記事の内容、詳しくは知らないです。一方的に叩かれるのは仕方ないとして、ここまで大きく取り上げられる内容か?とも思います。ニュース番組で時間をかけて報道する事でもないような。

もしかして上西議員が嫌われているからこんな疑惑もニュースも発生したのではないでしょうか?


釈明しているように、宮津行きが仕事であるならば少しも問題は無いでしょう。仮に物的証拠が何も無く、目撃証言だけだとします。世間から不当にただなんとなく嫌われている上西議員の目撃証言が
無意識にゆがめられている可能性もあるでしょう。上西議員の見た目だけが今回の騒動の原因だったらとんでもない事です!!!

とすると、突然いわれも無いバッシングを受けて、「私のどこが悪いの?なんでやめなきゃならないの?」と思っているかもしれません。


妄想7割、事実に基づく検証3割ぐらいでしょうか・・・・・

「人は見た目が9割」

見た目だけで職を追われたり、婚期を逃したり、ぬれぎぬを着せられたり、社会ではごく当たり前にある事です。

就活も、婚活も、妊活も、生涯年収も、死期も・・・

解決策ですが、「上西さんのばあい、メイクをこんな感じにしたら、ものすごい明るい未来が待ってますよ?」というアドバイザーの一言にもう少し真剣に耳を傾けていたら・・・・・

それでも「男は見た目じゃない」と、虚勢を張ってみます
探偵ナイトスクープを動画サイトで見てたら止まらなくなってしまい、いくつかの話では涙が止まらなくなって(T_T)

しかし何ですねー、近頃は何を検索してもNAVERまとめに頼ってしまい、便利なんだかどうなんだか?


まとめサイトなどで名作を紹介してましたが、ここでも思いつくものだけを紹介。
ちょっと前に観た一休さんになりたい子供は、僕の中のたむけんさんの評価を一気に上げた作品です!。二人の会話の間、ずっと号泣(^^;;話し方が上から目線じゃない所が、素晴らしい。

昨年位に放映された、23年間会話のない夫婦。他の動画が数千回から数万回なのに、飛び抜けて再生回数が多く、ネット上で賛否の反響が大きかったようですが、夫婦とは?家族とは?ってふかーく考えさせられる話でした。

因みにちょっと前に観た、夢の中に出て来た女の子に恋をしてしまった旦那さんの話、やらせ感が強かったのですが改めてよく観ると、小枝探偵、ロケ中に泣いてまして、もしドキュメンタリーだとしたらとんでもない番組だなという今さらながらの感想です。
演出と偶然の境界線、という辺りが、この番組の凄さ!バカらしい、と思って見てても出てる本人は至って真剣なのです。
探偵が入れ替わってからなのか最近は、便利屋替わりになってるVTRが一つも面白くないのは何とかして欲しいです。依頼者(素人)が真剣じゃない事が最近多いようです。


おじいちゃんの探検隊、というのもいい話です。孫とその友達をどぶ川や危険な所に連れ回すおじいちゃんを叱って下さい!との依頼に、探偵は最後依頼者ではなくおじいちゃん側について「なんも悪いことしてませんよ」という終わり方。


そんな中で、一輪車に乗りたい元ヤンキー、という話がありました。高校中退後、働いている若者が、小学校の時に1人だけ一輪車に乗れなかった挫折体験を克服したいという話です。最後、一輪車で家まで帰るだけというエンディングですが、自分の体験を振り返ってしまいました。



僕がいた小学校では、二年生まで自転車禁止で、3年に上がる前に試験を受けて合格したら自転車に乗れる、という制度でした。通学ではなく普段の生活でもそうでした。


普通の子が三年生から自転車に乗って遊びに行くのに、自分だけ五年生になるまで走ってついて行ってた記憶があります。

やや突飛な話ですが、今回はそんな思い出がメインです。

自分ではそのことをあまり気にしてなかったのですが、今になって周りからどう思われていたのか、少し思うところがあります。
というよりも、過去から現在まで、自分が他人に対してどんな印象を与えていたのかを考えるきっかけになったので、ここに書き留めておこうと思います。

客観的な指標はないので、全て主観と、その時々の相手の態度やセリフが元になります。


運動神経に問題があるのか、性格に問題があるのか。最初の試験の時は自転車を持って行かなかったので不合格になったのです。試験前には誰もが庭や駐車場で、おそらく日曜日にはお父さんのコーチの元に練習して試験に臨んだと思います。
当時は兄の乗っていた大きな自転車しかなく、練習をした記憶もあるのですが、試験当日には「自転車が無い」との理由で試験を受けなかったのです。おそらくその時自分の中では、「そもそも二年生までは自転車禁止なのに練習が出来るわけがない」みたいな理屈が働いていて、ボイコットしたのだと思います。

三年生の試験は、何人かの昨年落ちた子と転校生が一緒に受けた記憶があります。ただ当時一学年下の子たちは流れ作業的にコースを走ってみんな合格になっていたのに、再試験の三年生は1人ずつ減点方式で採点されて、自分の場合はスタート前に後方確認をしなかった、停止位置をオーバーしたとの理由で不合格になりました。
あきらかにフェアではない裁量だと当時の自分は思ってました。

保育園時代からこういった先生とのやり取りや規則が馬鹿らしく意味のないものに思えて、反発も中途半端にしかせずに、逃げるという形でやり過ごしてきたのです。


結構頻繁に、ブログの中などでも自分なりの理由はあるけども結局うやむやな形で終わるのもそういう諦め感があったからです。


ここからの話は過去に対しての考察です。何か結論が導き出される訳ではないと知りつつ思う事を書きます。


少なくとも世間的に今の自分は、酷くルールをはみ出す事もなくそれなりに社会的活動をして生活を送っていると認識されている気がしています。
いや、それは違うよ。という突っ込みも一部あるのも認識してますが、それはまた別の場所で。少なくともルールに縛られている人間の一人であるとは言えると思います。


自分が特異な人間という事ではないです。人生の中で、取り立てて目立った記憶はなく、むしろ目立つ要素もないと思います。


自転車の話に戻ります。

自分が周りからどう認識されているのか?という事を考えるきっかけとしては、一つのエピソードです。

少なくとも小学校低学年から高学年まで、自転車に乗れない少年と認識されていたと、今になったらよく分かります。

当時、一学年下の近所の子が、やけに自分に対して突っかかってくるのには、自転車の件があったのでは?と思い至りました。1人だけだったのですが、その子に同調する形でその子の友達にも冷たい態度を取られた事があったので、些細な事ではありますが、一学年下の子に対しての扱いが不安になったりもしました。

今時点で、過去のその時々で、いちいちどんな風に思われているか考えても仕方のない事かも知れません。そのその年下の子にしても、見下した感じよりも妬んでる感情だったので、全く違う理由があったのかもしれません。


今この年になって思う事は、周りの評価をもっと気にしていかないとダメだという事です。


小さい頃は外見がほとんど。小学校から中学校までは運動が出来るかどうか。それ以降は勉強が出来るかどうか。社会人になったら仕事が出来るか。
というのがいわゆる評価の基準でしょうか。

モテる基準の話ではありませんが、そういった評価が結果としてモテるかどうかにつながるのでしょうね。

結局そういう事⁉︎ではないですよ…


ただ今までそういう評価なんてどーでもいいと思ってましたが、かっこいいと言われる生き方を目指すのもいいかと。