テレビは悪である。 | うじのブログ

うじのブログ

うだうだだらだら、鬱患者の日常。そしてホームページ、アフィリエイトの話もちらほら。気が向いたら見てやって下さい。

いや、そんなことはないんですが。本質的には。ついでに、前にも書いたかもしれない。


でも、もやもやするので書き殴っておく。


テレビは、見たい番組を見終わっても勝手に電源切れてくれない。油断していると次々と不要な情報を望まない相手に投げつけてくる。


テレビは、考える隙を与えない。テレビ側の好むタイミングで、異論を受け止めることなく話題を好きに展開していく。


テレビは、見せたくない内容でも一緒に見ている家族に見せてしまう。


テレビは、消すタイミングを与えない。そこに居る誰かが見ている可能性を考慮すると容赦なく消すのには相応の決断力を必要とする。


パッと思いつくだけでこんな感じ。


気の置けない相手とわいわい言いながら見るテレビは良いと思う。バカな演出があれば「おいおい」とか突っ込みつつ。


私の場合は某巨大掲示板の専用ブラウザを併用しているが、今時の人ならばツイッターやらLINEやらで情報交換しながら見るのは楽しいことだろう。


でも、孤立して、あるいは無言で見るテレビは情報の凶器である印象を持つ。


真面目な顔をして頓珍漢なことを言う人がテレビに映った時に、「アホかコイツ」と思えればいいのだが、同じ事を言う人を次々画面に登場させると、「アホが多い」と思い続けるのは意外に困難だと思う。


大抵の場合は「こう考える人もそれなりに居るんだ」と思うだろうし、さらに「へぇ、それならそう言うだけの理由があるのかな」とか思ってしまうのでは無かろうか。


我が家では私がリビングを占拠していて、ほぼパーソナルテレビ状態だが、この「ほぼ」がくせ者。


自分一人で(チャットで情報を修正しつつw)テレビを見ていると、気がつくと母が見ている。例えば国会中継で頓珍漢な質問をする某党議員。某掲示板ではお笑いの流れ。でも議事は淡々と進んでいる。


母は何と思って見ているか。そもそも見ていないかもしれない。「バカだよね、コイツ」とか言う空気ではない。もやもやもやもや。


あるいは何か番組を見終わってテレビを消し忘れる。「あっ」と思ったら母が見ている。あるいはその様な気配がある。見たくもない番組なので消したいが、見ているのなら消すほどのこともない。微妙な遠慮の末、誰も見ていないテレビが流れていることもあるだろう。もやもやもやもや。


兄どもはいずれも独り身で、やはり「とりあえずテレビをつける」習慣があるような気配。大丈夫なのだろうか。兄の頭の中もさることながら、自分が着実に世間から隔絶して行っているのではないかという不安感もある。いや、それはそれで別に良いのだけれど。


そんなこんなで、ひょっとしたら思想的(情報能力的?)には今現在テレビが普及していない途上国が先進国を追い越すのではないかと半ば恐れ半ば期待している。


ネットという情報選択を各自が行う文化が、テレビという誰かが(主に善意で)選択した情報を待つ文化に先行するかもしれないから。


これからのテレビはどうなるのか。個人的にはCS放送みたいな自由選択型のものに頑張って欲しいが、誰かがある種の意志を持って、それを視聴者に理解させないまま垂れ流す放送は滅びればいいと思っている。テレビ滅びろ、ではなくごり押し滅びろ。


善意のテレビは大歓迎だが、そうとばかりも行かないだろう。


というわけで、テレビは悪であると認識して接するぐらいがちょうどいいと思っているのでした。