意識せずサッと書いたが前回の記事「謹賀新年」には多くの示唆があった。
私たち人間は思考を言語(話し言葉と書き言葉)に転換するが、その入力は五感だ。
五感、すなわち、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。第六感は今のところ除外。
この中で主だったものは、もちろん、視覚と聴覚で、像と音。
像と音 ⇒ 思考 ⇒ 言語、となる。
対して、動物には言語が無いと仮定した場合、像と音 ⇒ 思考 ⇒ 像と音(ボディラインと鳴き声)、となる。
つまり、謹賀新年の像(図柄)の表象によって多くのことが伝わる…。
配置、色彩、イメージ、境界、組合せ。
そこに言語はないし、象形文字の元型があるのみ。
美しい女性に出会えば、人は五感で認識し、思考が発動するわけで、そこに言語はいらないのだ。
したがって、言語を極限まで削ぎ落し、象形で表象するべし。
視覚と聴覚は、電子ネットが介在してでも、活用できる。
この言語を削ぎ落した状況では、脳はポジネガでシンプルに反応している。
なぜなら、好き嫌い、良し悪し、正解誤解といった言語は無いから。
というわけで、入力に使うプラットフォームの原型を考えてみた。
五感に相応した感情や対の構造はポジネガのみに集約してしまおう。
僕が石を犬に投げる…
これも「僕の石、犬、投(投げる)」で通じる。
この場合、犬に対して、好きと言うポジティブな感情を抱いているか、嫌いというネガティブな感情を抱いているか、で是否が左右される。
嫌いなら石を投げるし、好きなら石は投げない。
(余談だが、、、僕が石を投げる…も、僕の石を投げる…も相似しており、彼が僕の石を投げる…とはちょっと違った認識だろう。)
色彩でポジネガを表現したり、○型は主語、□は「~へ」「~を」といった対象、矢印は修飾、楕円型は述語といった意味付けをしたら、後で解析・評価しやすいだろう。
この場合、是否を左右しているのは犬を好きか嫌いかだ…ということが可視化できる。
もちろん、犬に石を投げてはいけない…という是否の判断もありうるが。
さらに、この思考に対して、是否だけではなく、正誤も評価したり、比率や割合といった%も加味すれば、もっと数学的、統計的に解析しやすくなると思われる。
私たち生物にとって、ウサギたちの床の間の配置と象形の表象はトポロジーでフラクタルになっていることが、とても興味深い…
追記: 魔女の宅急便を観ながら、この記事を書いていたら、ユーミンの唄が流れた。
「目に写る、すべてのことは~、メッセージ~♪」