認識のズレを埋めるためにできること | クラスタ民主主義システム研究室

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☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

私たちの脳は、私たちが意識していない領域で知性的に作動している…


また、言語を使い文章化する場合でも言葉にならない事象が作動して文章になっていく。


その無意識のうちに作動している領域を明視下にすることができれば、私たち人間同士の間に出現する認識のズレを埋めることができるのではないだろうか?


その一つの方法として、KJ法を写真やイメージで行うと良いだろうと考えている。


そして、その一つ一つのイメージを有向(⇒)で結び連関をグラフ化していく。


この連関は無数になっていくだろうから、立体(3D)化したり、様々な軸の組合せをタブで切り替えたり、イメージ因子を近位か遠位かで折り畳んだり展開したりして、全体を認識しやすくしたり細部を注視したりできるようにしてみたら良いだろう。





あと、私たちがこうしたイメージ因子を想念する時には、私たちが意識していないレベルで知性的活動が作動している…


一つは感情だろう。 これは喜怒哀楽愛憎が典型。


その他には衝動がある。


好奇心≒探求心(知りたい)、選択(良い方を選びたい)、獲得(獲りたい)、勝利(勝ちたい)、遊行(遊びたい)、幸福(満たされたい)、自由(自分でしたい)、奉仕(役立ちたい)…などだと思うが、どんな因子があるかは更に検討が必要だろう。





そして、因子には二面性(多面)がある。


善い人と判断したとしても、そこには悪い人という面もある。逆に悪い人と判断しても、そこには善い人という面があるわけだ。


イメージ因子の裏側の見えていない部分を常に意識できる様な仕組みがあると良いだろう。


二面性なだけでなく多面性が在る場合には、イメージ因子を入れ替えるような仕組みもあった方がいい。


老人・大人・子供と対象を入れ替えてみたり、日米中韓でも立場を入れ替えてみたらいいと思う。





最後は、データ処理だろうか。


例えば、従軍慰安婦の給料が多かったか少なかったかを論考する場合であれば、給与が高かった一例を取り上げて、給料が高かったとか貯金が多額だったとか論じてしまっては間違っているのは明らかだ。人間はイメージだけで判断していることが多いし、自分が望んでいるイメージを持つもの…。仮に、現代で風俗業に就く人々の収入や貯蓄について論じるのであれば、データのサンプリングが必要だろうし、恣意的に自分に都合がよいデータだけを利用してはいけないはず…。


データ処理が上手くいっているかどうかを視覚的に把握するためには分布図などを描画できるようにしたら良いだろう。偏りがないデータを使っていなければ、正しい結論に到達することはできない。





あるイメージ因子を使う時、そこで発生する事象は大概同じだと思う。


悪いのは他者か仲間か…、人間は仲間を大切にする動物。


右派は右派を、左派は左派を、仲間と認識して大切にする。


これは、同国人同士で仲間と認識したり、組織内で仲間意識を重んじるのも同じだ。


ただ、こうした仲間を尊ぶ活動が昂ぶると、仲間と内省する活動が疎かになる…


その弊害が大問題に発展することは枚挙にいとまがない。


したがって、仲間を峻別する境界について注視しておく必要がある。


仲間の内側か外側か…



内外


敵か味方か…


その繰り返しが続いていることも意識してみると良いだろう。





何が大切なのか…


何が歪めているのか…


何が成功の種か…


何が失敗の素か…


あるイメージ因子に関して作動するものを一覧できれば、おそらく、それは全ての場合で反復しており、そのパターンの違いによって、違った自己組織化が続いていく。


基本動作を違ったパターンにできれば、おそらく違った展開になっていくはず。


この因子を解析すれば、私たちが覚知していない知性を活用できるのではないだろうか?


誰かが訴え続けているような思想より、こんな無思想に活路を見い出してみたいものだ。


ウサギ



追記: 言葉自体、イメージ自体の認識で既にズレがあるので、これも修正が必要。