BEFORE I GO TO SLEEP | クラスタ民主主義システム研究室

クラスタ民主主義システム研究室

☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 


ニコールキッドマンは私が好きな女優さんの一人です。ラビットホール、グレース・オブ・モナコなどが記憶に新しいです。彼女の最新主演作を観ました。

映画『リピーテッド(BEFORE I GO TO SLEEP)』



眠ると記憶を無くしてしまう女性の物語りです。

人間は記憶する動物ですね。考えるだけでは機能しません。

実は、私たちの世界は同じことが繰り返していて、シンプル…

古代エジプトのファラオが治めた世界も、神国日本を天皇が治めた世界も、大差ない。。。

ですから、リピーテッドと似たような映画は沢山あります。

先日観たアニメ映画「ガラスの花と壊す世界」は何故か今は当地でしか上映されていませんが、これも記憶に関する映画です。



この映画はとても興味深いストーリーになっていて人類と人工知能の未来を描いたサイエンスフィクションでした。

主題歌もなかなか良かったです。



この映画のテーマの一つは「1、2、3」の素数だと言えるでしょう。

人類は世界の管理をマザーという単一の人工知能の判断に任せましたが、マザー・コンピュータは人間に判断を委ねることを否定してしまいます。実際、様々な判断を人間に委ねるよりコンピュータに委ねる時代は既に始まっていますし、現状のように民主主義による判断が愚かであれば、近未来で人工知能に判断を委ねるに違いありません。

しかし、単一の人工知能エンジンでは判断に修正を加えることができないわけです。そこでデュアル人工知能エンジンを設計することが必要なわけで、これがトリプル・エンジンならさらにベターでしょう。

これは人工知能に限ったことではなく、人間の判断もデュアル、トリプルが良いことが多い…。ただし、愚かな者より秀でた者による判断が良い…かもしれないけど、愚直な判断が勝る場合もある…、といったように判断というものは考えれば考えるほど多数の選択肢があり、時と場合によって正否の判断はファジーなものになり、やっぱり人工知能の方が正しいことが多いかもしれない…、、、こうなると判断できませんね(笑)

では、どうしたら良いか?というと、人間の判断と人工知能の判断における大きな違いは感情を表出する無意識領域の関与です。無意識領域は「直観」を使うことで人工知能のような「論理」よりも高速かつ的確に判断を下すこともある…、ただし直観が間違っていることも多々あるわけですが。。。

また、私たちは自然の力を信じています…。

自然はお天道様であり、自然の中に創造主の叡智が潜(秘)んでいるからですし、自然の創造物である人間にも創造主の力が潜(秘)んでいる…。人間が判断するより、神任せが良いと考えることもあるでしょうし、人間が神だとか神の子孫だとかと信じている人物や、その人物を左右している施政組織に判断を任せてしまおうということもあるでしょう…。

こうなると、もう、迷路のようになっていて判断できないわけですが(笑)

先日書いた「クラスタとアセンブル」のように物事の流れは【形(型)】で決まっており、様々な事象が相似しており、物理的あるいは原理的には同じことでしかない。。。

つまり、人間の判断も人工知能の判断も大差ないわけです。なぜなら、人間は特別な存在ではなく人間(生命)の脳は単なる生体コンピュータであり、人を模した人工知能と私たち人間の知能はどんどん似たモノになっていき、区別がつかなくなっていく…、つまり、判断して境界線を引くことができなくなってしまうに違いない…かもしれない(笑)

例えば、人間は、動機があり、認知し、論考し、行動する…わけですが、時間軸を多層化してしまえばA⇒BはB⇒Aに向かって解析することもできます。展開の方向性が無くなるわけですね。

そんなことを繰り返していくと…

私たちの世界は『点と線』でできていることに気づきます。

神経細胞とシナプスもそうですし、私たち人間一人一人がノード(因子)であり繋がりあって社会を構成しますし、私たちの脳の中でもモナド(因子)が繋がって記憶が構成され物語りになります。私たちが外部出力した小説や文章も因子が繋がった構造になっていますし、私たちの人生にしても様々な判断時点(ポイント)から違った選択肢へと繋がっていくのです。

ノード

これをどのようにしたら型に分類して記録し世界を描くことができるか?

写真(イメージ)をメタファーにしてナラティブ化しないといけませんし、その辺りをどうやってコンピュータ、ネットワーク、人間の思考の間を繋げていくか…、外部記憶化と人間の潜在意識の接続が成否を分けるでしょうし、その辺りの流動性と不確定性をどのように表現したら良いのか?…、その先には人間個々のライフログを記録再生するmemory化が存在していますし、私たちが今書いている個々のSNSもその未来へと繋がっている…

まあ、とんでもないことが始まるんでしょうね。

私たちは、兎に角、恐らく、別世界に適応していくことになるでしょう。

100年前からすれば私たちは既に別世界へと進化しているわけですが。。。

この判断も「進化している」と「進化していない」のいずれかに判断・決断することができない流動の中に在ります。

どうやったら、必要なことを忘れず、不必要なことを忘れ、全てをテーブルの上に載せることができるのでしょうか?

兎に角、シンプルに原理型だけで考え判断することが必要でしょうね。

この映画の主人公のように大切なことを忘れて生きるのではなく、リアルな現実と脳の中の記憶と仮想世界の箱の中とを繋げ、明るい未来に描き出して希望を抱くことが私たち一人一人に…、そして私たち人類にできるでしょうか?

ウサギ