- 昨年他界し仏様になられた水木サンの本が出たことを知った。
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水木サンの哲学はゲーテだったんだ…。
水木サンは太平洋戦争で辛酸をなめ片腕を失っている。ただ単に『死ぬ』ことが報国になっていた大日本帝国の内実を水木サンが実体験したことは間違いなく戦争の真理だった。
死ぬことを散花と呼び美化した時代…、今でもそんな美意識を後生大事にしている人々もいるが…、そんな人は水木サンの本や戦争を実体験した人々の様々な体験談に耳を傾けて欲しい。美談ばかりの史実は偽りでしかないから…
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昭和40~50年代には、そんな戦争の悲惨さを白日の下に晒す書物が日本には溢れていた…。私が小学生の頃には小学生用の太平洋戦争戦記があり、その中には「かあさん」と叫びながら死んでいった新兵たちの悲哀、飛び出てしまったはらわた(腸)を必死で元に押し戻そうとしていた兵士の惨状、新兵を訓練するため柱に縛り付けた捕虜を銃剣で突かせていた残虐などが書かれていた…。
あの頃の日本人は真理を語り継ごうとしていたのだと思う。
だが、今はそんなことを言ったり書いたりするだけで「貴様!!」と非国民呼ばわりする連中が増えつつある。だからこそ、今の若い人々には「野火」 のような映画を観て欲しいと私は想う。
どんな戦争でも人間がやることは同じだ…。みんな同じ人間だから…。
聖戦や自爆を美化したい人間…、そんな人間たちは過去にも現代にもアッチにもコッチにもいる。
それが人間の真理だ。
そして、人間たちは神様・仏様を使う。誰かを神様に祀り上げ…使う。
これも人間の真理だ。
天のため、国のため、神のため、母のため、皆のためと称し、自分たちのために使う。
「使う≒奉仕する」なのだ。
「奉仕せよ」といって「使う」
奉仕するのも使うのも「行い」に他ならない。。。
こうして全ての言語表現を追求していくと、人間は単純なことを繰り返している。
美化し、理想化し、夢を抱き、行動する……の繰り返し。
その人間の本質である『繰り返し』を誰かに操られる傀儡となるか…、自ら自律する独立となるか…。
我は独立独歩の大人(たいじん)だと思っていても多くの場合で傀儡でしかない。。。
己を知り、叡智を知り、無知を知り、束縛を知り、自由を知り、この世を知る……ことは難しい。。。
お世話する…、この言の葉について、私たちは知っているだろうか?
世間話をする…、世話をする…、せわ…、世と話…
そこで世話の語源を調べてみた。
サンスクリット語から由来するसेवा(sevā:セーヴァ-)
ヒンディー語固有の発音ではセーワー
ラテン語の「servire」、英語の「serve」(仕える、尽くす)
世話する≒奉仕する、尽くす
語源、行為の源に立ち返れば全ては「人間の行動原理」に至る。。。
人間は奉仕し合うことで社会を営む。
御世話様で…、御蔭様で…、そこに仏や神や天の御心を人間は見い出す。
そして、人間が互いに奉仕し合う先に、対立が派生し、さらには殺戮と戦争へと連なっていく。
お蔭様、そこには天啓を見ています。。。
英語でも、the shadow of the Almighty という言葉があるので、私たち人間は太古から蔭(shadow)に天(おてんとう様)の影響を感じてきたのでしょうね。
人間は互いに奉仕し合うために様々なシステムを造りだしてきた。
そう、美や理想を共有するのだ。そこで美や理を想う場所…
先週、上京した時にそんな場所に参拝してみることにした。
昔々、一度参拝したことがあったと思うが、遊就館を見学したことが無かったので、それが目的だった。
私は巨大な宗教施設は好きではない。
人造物を崇拝するのではなく富士山を崇拝した方がいい。
その方が誰かの傀儡になる危険性が少なくなるから…
この鳥居を見たら、故郷にある生長の家の鳥居を思い出した。ほとんど同じ大きさだ。
この靖国神社も新興宗教施設、150年前の人造物。
人間は、人々の神や天への畏敬を利用して、その互いの心の中にソッと忍び込む。
伊勢神宮や大神神社とは似て非なるもの。
巨大な像は人間に畏敬をもたらす…
本殿に参拝し、宗教法人によって強制的に招魂されている英霊にお詫びしてきました。
境内には大砲が飾られていて私には異様な神社の風景に見えました。
境内にはなぜか何の案内もない荒れた石碑もありました。
靖国神社は国家に殉死した人々を祀る神社ですから、官軍に逆らい地域の民衆のために戦った戦士は祀られていません。そんな対象外の人々はひっそりと鉄格子に囲われた鎮霊社に祀られていました。
靖国神社は官軍の神社であることは間違いなく、賊軍とされた日本人は対象外。
そんなことを思いながら、目的の遊就館を見学しました。
入り口には零戦。私も大好きです。美しい…
全国の空を飛ぶそうですから、機会があったら見てみたいですね。
中は撮影禁止でしたから、写真に残すことはできませんでした。
30分くらいの歴史を解説する映画が放映されていたので、これも観てきました。
太平洋戦争は自尊自衛、欧米を駆逐する亜細亜開放の戦争だったと繰り返していました。
その亜細亜開放のためにどれだけ多くのアジア人が死んでしまったのか?…
私は、そんなことを想いましたし、美化された歴史だけが語られていました。
おそらく水木サンが訪れたとしても同感に違いありません。
参観して印象的だったのは、入り口に在った元帥刀と出口近くの桜花でした。
この遊就館の中には、兎に角、刀の展示が多かったです。
この神社に祀られているのは刀剣と刀剣を手にする武士の魂なのでしょう。
お土産コーナーの中にも3,4種類の模造刀が十数万円で売られていました。
その模造刀を見て悲しい気持ちになったのは私くらいだったようです。
靖国神社には外人の観光客も多く、熱心に英語の解説を読んでいました。
この遊就館を訪れた彼らは、きっと、靖国を見て「Soldier Shrine」と理解するでしょう。
戦争博物館がある宗教施設は世界広しといえども日本くらいなものでしょうから。
神と天と天皇と国家と兵士を繋ぐ宗教施設…、靖国神社。。。
これがイスラム教のモスクだったとしたら、どんな感情が湧いてくるのでしょうね。
最後に…
この遊就館の全ては純白に塗られ桜の花があしらわれた桜花が象徴しています。
一式陸攻に搭載され出撃していく桜花の勇姿のジオラマ…
その姿を見て私は涙が湧いてきました。
桜花を造った軍部、次々と撃墜された桜花搭載の一式陸攻を出撃させた軍部。。。
私たち日本人が形成したその軍部の愚行は水木サンが実体験した『総員玉砕せよ』と同じでした。
実戦で桜花は白く塗られたことはありません。
美しく、華々しく、散花したわけでもありません。
そんな悲劇の桜花を白く塗装して美化し展示する精神の貧しさ…
「○○命」と記載された戦死者の何千枚という英霊の写真にお詫びせずにはいられませんでした。
虚しく撃墜され続けた一式陸攻と桜花、さくら弾機や赤トンボの残骸を展示せずして…
この国は何を後世に伝えようというのでしょう。。。
世話…、この世に私たちはどのように奉仕すれば平和が続くのだろうか…
そんなことを考えさせられた参拝でした。
水木サンが語り続けていた…実在や真理の様々な面を見極めるための求道の道程が今の私たちには見えているでしょうか…
追記: 案内がない荒れた石碑について (平成28年2月10日)
これは明治天皇の『軍人勅諭』を掘った碑でした。
http://www.geocities.jp/fujimoto_yasuhisa/bunsho/gunjinchokuyu.htm
もっと大切にした方が良いと思います。