今日は、最近おもうことを少しだけ。
世の中、結構、言葉遊びになっていることが多いように思う。
自衛隊、軍隊、国防軍、我が軍、Defence-Armyなどがそう。
ある者は、自衛隊は軍隊なのだから、「軍」で何が悪い、「軍」にすべきだと言う。
また、ある者は、自衛隊は軍ではないのだから、自衛隊のままであるべきだと言う。
しかし、どんな言葉を使おうと、中身は兵士と兵器でしかない。
重要なのは活動範囲だ。
同盟し国外でも活動するのか、中立を守り国境内で活動するのか…
本来であれば、そこのところを議論すべきだ。
あとは労働。
労働、自助、勤労、自活…なんでも同じことを言っている。
勤労は国民の義務であり、国民が勤労を怠れば、国家は弱体化する。
労働し賃金を得るからこそ、誰かが援助を受けることができる。
みなが援助を受ける側にまわれば、その組織は滅亡することになる。
これは、地球レベル、国家レベル、自治レベル、企業レベル、一族レベル、家族レベル、いずれでも同様。
自助=勤労を否定しては、社会性動物は生存できない。
これから、若者一人が勤労し、働くことができなくなった老人一人を支える時代がやってくる。
その未来をしっかりと見据えることを今はじめるべきだと思う。
みながゲームや麻雀やギャンブルなどといった遊興ばかりや好きなことばかりしていては社会は成り立たない。
社会インフラを支える使命感を持つことも成人には必要であり、そのことを教育しておくべき。
成人して人は何を成すか…
話し合ってみることから始めるべきなのかもしれない。