ウィル・スミスと息子のジェイデン・スミスが共演した映画です。
ジェイデンとジャッキー・チェンが共演した映画「ベストキッド」をウィルが観て、自分も息子と似たような映画を共演したくなり、ウィル自身がシナリオを書いた映画なんだそうです。
そして、これは通過儀礼(イニシエーション)の映画です。
少年は父親に反発するもの。
そんな少年が旅に出て、己に克ち、試練を克服する…
そう、己に克つ…
そうやって、少年は大人になるわけです。
己に克つとは、どういうことでしょう?
己の欲、我欲に克つ…
己の情、情動に克つ…
それが克己ですね。
子供は、無謀と勇気の違いを知らない…
なぜルールがあるのか、なぜ律法に従い己を律するのかを知らない。
この映画では、人間の恐怖を感じて襲う怪獣が出てきます。
それで恐怖を感じない勇者になることが必要という設定の映画…
恐怖という情動を律し、己に克つ。
同じように、大人に成れば怒りにも克たねばなりませんね。
その他にも、色欲など様々な強欲や情動を律しなければならない。
しかし、こうした欲は、心的エネルギーの源流でもあります。
怒りが、民主主義のエネルギーになることもある…
イニシエーション…
私たちは、ちゃんと通過しているのでしょうか?
恐れ、怒り、悲しみをコントロールできるようになっているのか…
電子ネットワーク上で熟議民主主義を稼動させるためには、情動をコントロールしてもらう必要があります。
電子ネットワーク上での様々な出来事そのものがイニシエーションでもある…
その試練を通過できたものだけが成人していく…
人間の成熟度は様々です。
師に教えを請い、弟子を導き、己が成長する…
師≒己、弟子≒己、師≒弟子…
そこにも連続性がある。
はて?
私たちの、どこまでがイニシエーションなのでしょう?
おそらく、人生全体が通過儀礼、人生儀礼なのでは…。
そして、
人類全体すらも未だに通過儀礼の中にいる…
未熟から成熟できるのか。
この映画は、人類が滅ぼした1000年後の地球を描いています。
そう、この映画では、人類はイニシエーションに失敗したことになっています。
我欲、克己、道徳、対話、争い。
要素は共通、フラクタルですね。