この映画ライフオブパイでは救難ボートが重要なテーマを暗喩しています。
この映画に出てくる救難ボートは常に雨よけシートで二分されていて、シートで隠された部分が影(陰)であり、シートが無く表に出ている部分が陽を意味しています。ですから、トラはシートの中に居て、ある時から陽に出てくるわけです。
救難ボートは、主人公パイの自我を表していて、シートに隠れた部分が超自我と言えるでしょう。自分の自我の中に、普段は気づかなかったトラという野蛮な野性が隠れていた…
そして、救難ボートの上で繰り広げられる出来事は、パイの理性と野性がせめぎ合っている状況を映像美で表現しているのであって、深く設計された映画手法だと思います。
映画の始めの方で、パイが動物園にいた実際のトラに餌を与えようとしたシーンがありました。トラに餌を手から食べさせようとしたパイを父親が制止して言った言葉があります。猛獣のトラとも心が通うはずと言うパイに対して「お前はトラの瞳に映った自分の姿を見ているに過ぎない」と言って、宗教を信じない父親は諭しました。
野性のトラの目を見つめた時、そこに心はあるのか?…これが映画ライフオブパイの核心と言えるでしょう。
シートの中に隠れた…、自我の中の見えない部分にいる野性のトラに心があるのか?
別の言い方をすれば、水面下の氷山のような超自我や無意識を覗きこんだ時、そこには何が潜んでいるのか?
この映画ライフオブパイは、パイが自我の中を見つめ、自我を知る物語なわけです。
仏教的に言えば、彼岸に至るまでの物語であり、悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩が流れる川を渡り 、その向こう岸にある涅槃に辿り着くまでを描いていると言えるでしょう。ツィムツーム号はマリアナ海溝という苦難の深淵に沈み、パイが陰陽のボートとなって飢餓という煩悩の太平洋を越えて、メキシコの彼岸に辿り着く…
救難ボートからパイとトラが水面下の海底を覗き込むシーンがあります…
そこでは、パイが無意識の中を覗き込んでいることを表現しているのですが、そこには、魔物のイカと神聖なクジラの争い、クジラから出でる様々な生命の群れ、恐怖の怪魚、母(母性)の思い出、ランゴリ(シンボル)…と拡がっている。無意識の成り立ちの表現を試みたんでしょうね…、すごい発想だと思います。
意識の水面下に広がる無意識…、自我の水面下に広がる超自我…
そこは、宗教的あるいは信仰的あるいは神話的には、何が存在しているのか?
この映画ライフオブパイは、その疑問に答えようと試みています。
この映画の重要なテーマの一つは、ヴィシュヌ神とシヴァ神とブラフマー神であり、それらの神々の化身(アヴァターラ)が現世と考える論理パターンですが、そこに神様が存在するのか…、あるいは心理学的な実存主義で説けるのか…、そこに論理樹が集約されていくことになります。
例えば、肉食島はヴィシュヌ神の仰臥像と同じ形をしているわけですが、それはパイが食べたコックを暗喩していて、胃があって、水を飲んで真水がある時もあれば、食べ物を食べて消化し胃酸で満たされている時もある状態を表現しています。パイの食糧となったコックは、パイにとって食糧の宝庫であり、命を救ってくれた神の化身でもあった…。そこに人間の破壊と創造を悟るのでしょう。
シヴァ神はトラの毛皮を纏っていますから、この映画の中のトラは破壊を司るシヴァ神の化身であり、パイは自分の無意識下にシヴァ神の化身(アバター)を見い出したわけです…
この映画「ライフオブパイ」のシリーズも、やっと終わりに近づいてきました。あと一回で終わる予定です。