傍観者とスクール・リスク・マネジメント | クラスタ民主主義システム研究室

クラスタ民主主義システム研究室

☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

まだまだ映画「ライフオブパイ」のシリーズは続くのですが、ちょっと気分を変えて、今日は違う話題を混ぜておきます。




昨日は三月三日…、みなさん、何の日だとお思いですか?


真っ当な答えは、ひな祭りですよね♪


でも、もう一つ、ミミの日なんです。


そう、耳の日がメタファーになっている日です。


というわけで、昨日は講演会のお手伝いがあり、今週は休日無しで、今日から一週間また仕事…


そういえば、来週の日曜は休日当番医でお仕事せねばならず、先週から三週間も日曜無し。(´д`lll)


労働基準法や週休二日などは存在しない世界です。


だから、公務員が羨ましくなるのかもしれませんね…




昨日は、午後の耳の日講演会の前に、午前10時から学校医講習会があり、行って来ました。


鳴門教育大学の有名な先生のお話で、面白かったです。


検索にヒットすると困るので、お名前は伏せておきます。


体罰はダメだと単純な話しになってしまうが、体罰が必要なこともある…というご意見でした。


そして、いじめは、被害者と加害者だけの問題ではないとのこと。


講演を聴いて思ったことは、こうした傍観が日本社会の根源に潜む病根の一つだろうということでした。



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この「四層構造」はフラクタル化できると思いました。


以下は、講演のメモと、講演に対する私の感想です。


記録のついでに、ご紹介しますので、興味のある方は、お読みいただければ幸いです。




ハザード(危険度)× ヴァルネラビリティ(脆弱性)が、リスク(危険性)になるわけです。


つまり、加害者の悪の度合いに左右されますし、被害者や教育者の脆弱さも影響します。

さらに、被害者や教育者のレジリエンス(回復力)も重要です。

レジリエンスは、災害対策の世界でも防災力と呼ばれているそうです。

平時の防災準備だけではなく、橋が落ちたとか、火災が同時発生したとか、予想外に対して対応できる「レジリエンス(しなやかさ)」が大切。

延びきってブチッと切れてしまうより、伸び縮みするバネのようなしなやかさを…というわけです。




あと印象に残ったのは、いじめとはパワーバランスの問題だということ。

必ず、強い勢力が弱者を叩く…


いじめをする者は暴力団のようにずる賢く、弱者に先に手を出させて道徳的言い訳を用意しておいてから、その後にボコボコにするんだそうです。





引き篭もりや脱落者には、立ち直るエネルギーを創出することが大切。

発達障害児童と教育実習生が触れ合う時においても、それぞれに配慮するシステムを準備しておくんだそうです。、りす、うさぎ、きつねといったイラストを胸に付けさせておき、対象者のレベルを明示することによって、緊張を避けるシステムを用意する。

りすの子は写真を撮ってはダメ、うさぎの子は難聴があるので大声で、きつねの子は弱視なので配慮を…といったフォローがないと、ふれ合いの場を壊してしまう…


人間には自尊感情が必要なんだそうです。


自尊感情とは、自己に対する評価感情。


各自を価値あるものと評価し信頼してあげると、人は自主的に経験を積み重ね、満足感を持ち、自他両者に対して受容的となる。

お互いの弱点をさらけ出し、配慮しあうと、認め合い始める…。

この自尊感情が精神的健康や適応の基盤をなす…


したがって、社会が目指すべき最終目標は、何かわかった時に感じる「達成感」と、誰かの役に立てた時に感じる「有用感」を体感させ、自尊感情を大切にする…

様々な工夫を積み重ね、システムを改善して、人々が自尊感情を持てるような社会にしていく…


みんなが、家庭や会社や地域や国家といった社会(公)に参加して、遊びではなく職業で達成感を感じ、役に立っているという有用感を感じないと、社会が廻らないんでしょう。



日本は諸外国に較べていじめの件数が多いわけではないが、日本は進行性いじめが多い。


同じ人を継続的にいじめる傾向が強い。

こうした進行性いじめはフィンランドと日本に多い。


それは風土だろう。

年令が上がると、傍観者の割合が増え、仲裁者が減っていく社会が、日本。

面倒に巻き込まれるな、首を突っ込むな…というわけです。

日本には傍観者が多い。


無視する…、無関心…。


黙っていると、暗黙の支持をしていることになります。


いまの日本は一億総評論家状態ですが、評論家でいるかぎり、実は傍観者にすぎない。

お節介になり、土足でも他人の領域に入り、介入しなければならない。


そういう介入が仲裁者となり、いじめの抑止力となる。

日本のいじめ社会は、学校に限らず、大人の世界にも拡がっているわけです。


いじめる側は陰湿ですから、周囲は次第に傍観者になり、面倒は避け…


自分だけ楽しく遊んで暮らせれば良い…と思っている人が多い。

それで、楽しく遊んで暮らせない人が不満を訴える…




実は、自分は犠牲になってでも社会全体のために行動しないと、社会って良くならないんですよね。


新型インフル、口蹄疫、原発事故、いじめ、談合、食品偽装、天下り、生保不正受給、宗教法人、消費税不正還付、健康保険格差…


何でも、自分の周りに関することは傍観者になり、他人に対しては批判家になる…


今の日本は、全てにおいていじめの四層構造と同様になっているのではないか?


ちょっとお節介でも、他人の境界内に土足で入ってでも、傍観から仲裁に転換していかないと、日本は変わらないだろうと感じた日曜日でした。


ウサギ