今日は、近所にある烏岩神社に行ってきました。とても近くにあるのですが、5,6才のころ遊びに行って烏岩の上に登って以来、行った事がありませんでした。現代のネット上では、さだまさし原作「解夏」のドラマ版「愛し君へ」でロケが行われたことで有名ですが、明治時代には、日露戦争における旅順攻防戦でロシア側の将軍だったステッセル将軍が訪れた「お栄さんのホテル」があった事で有名でした。
明治38年にステッセル将軍が上陸した記念碑が最近になって建立されています。
道永お栄は長崎のロシア人居留地で「ホテル・ヴェスナー」を経営していましたが体調を崩したため、烏岩の中腹に転居してロシア上級将官向けの小規模の高級ホテルを造っていました。
烏岩神社の参道入り口にも碑が立っています。
参道は急な細い坂道で、今では民家が軒を連ねています。
三神が祀ってあるようですが、中央の烏岩大明神しか判読できません。
右側は白兎?大明神に読めないこともないような(^_^;)
参道から港を眺めています…
鳥居の上には石が…、子供の頃はよく投げ上げていましたね。
本殿の上には神紋が彫ってあります。三つの玉の下に横一線。
これがからす岩です。子供の時はとても大きな岩山で登るのに震えた記憶があります。今見るとそれ程大きな岩山ではありませんでしたが、今はフェンスで囲われていて登れませんでした。
この写真では岩の右端に朱文字で「大神」と書いてあります。
烏岩下の境内は公園になっていて、ここがロケに使われたそうです。
明治から平成へ100年という年数が経過しただけで大きく風景は変わってしまいました。
昔はどんな風景だったのでしょう。
そして、その風景をステッセル将軍はどんな思いで眺めたのでしょうか。3日間滞在したそうです。
日露戦争中で旅順陥落直後にもかかわらず、ロシア人と日本人には親交がありました。
そんな事実は歴史から忘れ去られていますが、過去の真実を忘れない者たちもいます。
電子ネット上でも現実社会でも世間の風潮に流されることなく、真実に目を向け、怨念に踊らされることなく、お互いに感謝の念を広げていきたいものですね…
そういう商売を続けていた道永エイ…、地元の歴史も大切にしなければなりません。
百年前、千年前、一万年前と変わらないものは変わりませんね。
年月に暦をつけ一年の区切りを設け皆で心をひとつにして祝う…、大切な人の営みだと思います。
どうぞ、みなさん、よいお年を(^O^)/
新年には初詣に行きましょうね。。。
山野右左吉拝